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ジュンの大冒険

作者: うたた寝 楽

こんにちは!お久しぶりです。

初めましての方はこれからよろしくお願い致します。

皆様に楽しんで頂ける一冊となれば幸いです。


それでは、皆様をうたた寝の世界へご招待…

『くぁ~』

よく寝た~とばかりに手足に目一杯力を入れて丸まっている背骨を伸ばす。脱力。ゆるゆると瞼を開けると朝の心地いい光が窓から差し込んでいる。

もう一眠りしたいところだが、これ以上寝てると母さんにどやされるかもしれない。

『そろそろ起きるかー』

今日は日曜だから学校もないし、あいつら連れてサッカーでもするか!

起き上がるために体に力を入れる。

ん?何だか目線が低い。あーなんだ四つん這いだからだ。今度こそ、しっかり体を起こして……

『__ッッ!?!?!?』

視界に長い尻尾が映り込む。

「ニャーーーーーッッッ!!!」



第一章


『おおおおお…!!』

しばらく言葉が出なかった潤は、感嘆の唸り声をあげながら自らの体を確認している。

すげぇ…!すげぇすげぇ!!

体中もふもふの毛で被われており、口元にはピーンと伸びた硬いヒゲが数本生えている。耳はピンッと立ち掌にはプニプニの肉球、そして何より…

『尻尾だーーーっ!!』

間違いない、このフォルムは見慣れている。

今僕は、“猫”になっているのだ!!

わぁぁ!!すげーーっ!!

まだ夢でも見ているのだろうか、それにしてはなにもかも現実味を帯びている。今まで10年間生きてきて、こんなに愉快でワクワクする夢は初めてだ!

僕は急いで寝床から飛び降りる。身の回りのものが巨大化したみたいだ。見慣れているはずのものなのに、なぜだか心が踊って仕方がない。

『!!』

何かを発見した!僕の気をとびきり引くこの箱はいったい何だろう?少し近づくと答えはすぐにわかった。ティッシュ箱だ!

まだ開封して間もないティッシュ箱。中身も沢山入っている。

………気になる。

端をくわえて、持ち上げる。

スルッ

楽しいーーーッッッ!!!

これはもうやめられない。くわえる、スルッ、くわえる、スルッ、くわえる、スルッ………………なくなってしまった。

我に返り辺りを見回す。一面真っ白け。

母さんに怒られる!!どこかに隠れられる場所、隠れられる場所…あたふたと動き回り、やっと丁度いい場所発見。

ここだーーーっ!!!

ズサーーーッ!!

先程自分で空にしたティッシュケースの中にすっぽりと収まった。もちろん、幅はよくても長さは足りるはずもない。まさに、頭隠して尻隠さず、だ。

そうしてしばらく大人しく。足音も気配もない。そろそろと箱から出ようとする、が、出られない。どうしよう、出られない。

ティッシュ箱に頭を突っ込んだまま、どうにかして箱から抜け出そうと後ろ足を蹴って床を摩っていく。

完全に前方不注意の危険車両。昨日畳んでおいた洗濯物の山を蹴散らし、部屋のゴミ箱に体当たり。先程撒き散らしたティッシュ紙が見事に床の上で踊っている。

散々暴れまわり、スポン!ようやく箱から解放された。

正直ちょっと怖かったが、これはこれで面白い。またやりたくなってしまいそうな遊びだ。

そーだ!もし猫になれたら、一度やってみたかったことがある。

高い勉強机の上を見上げる。体を縮めて…思いっきり跳ぶっ!!

天板に両前足の爪が引っ掛かった!ガリガリガリガリ!!!

机の脚を伝って滑り落ちる。諦めてなるものか、もう一回!!

今度は助走をつけてジャンプ!!乗れた!!!

そう、高いところからの景色を見てみたかったのだ。ビルの屋上とか飛行機からではなく、もっと自然と一体になれるような場所。無造作に突き出た岩場や高い高い木の上…そんな自分で選んだ最高の場所から、今僕たちが住んでるこの街を見渡してみたかったのだ。

だから、僕の部屋の、僕の机の上は、その第一歩。

ここから、最高の景色を探す冒険の旅は始まるんだ!!



第二章


しばらく机の上からの景色を堪能していた潤は、突然開かれた扉の音に目を丸くして体を固めることしか出来なかった。

キィー…

誰もいない。まさかポルターなんちゃら現象か。潤はホラーが得意ではない。というか、苦手である。

そのため、ただひたすらに身を小さく固め息を殺すことしか出来ないでいる。

ガタッ

何かがどこかに上る音がした。

姿は見えない。ただ、ソレがこちらに近付いてくるのはわかった。

背後に逃げ場はない。潤は覚悟を決めた。意を決して飛びかかる。

「ンニャーーーッッ!!!」

二つの物体が床に転げ落ちる音がした。

今のうちに外に逃げないと…!

潤は開いている扉目掛けて一目散に駆けていった。が、遅かった。あと少しのところで扉は閉まってしまった。ドアノブに向かってぴょんぴょん跳び跳ねるが、届きそうにない。

終わった。もう闘うより他に生き残る術はない。振り返り様に一発食らわせて相手が怯んだ隙に……

「おいっ」

ポンッ、と肩に置かれた手。瞬間、僕の冷静さを失った悲鳴が部屋中に響き渡った。



「__い、大丈夫か?」

『!?!うわぁぁ!!』

突然目の前にぬっと影が現れたことに驚き、とっさにその顔を弾き返してしまう。

「ンニャッ!!」

あのまま倒れてしまったのか、僕はくるんと体制を立て直し相手を威嚇する。

「落ち着くニャ!オイラはアンタの飼い猫のタマニャ!!」

………え?

目を凝らして今しがた自らが突き飛ばした相手を見る。

『たまーーーーっっ!!!』

潤はとんでいって愛猫のタマをだっ…こは出来ないので代わりにその勢いのまま抱きついた。

「ぐえっ!!」

クリーンヒット。潤の広げた腕がタマの喉元に直撃するが、構った様子もなくこの貴重な体験を楽しんでいる。

「わかった、わかったから一旦落ち着くニャ…!」

大好きなタマとハグしているこの瞬間にこれ以上ない幸せを感じているのか、全く聞く耳を持たずに全身を撫で回し続けている。

「…ッわかったから離れるニャッ!!」

必殺猫だまし!!

『!!!』

止まった。人間にも効果があるのか。

「とにかく、落ち着いて話を聞くのニャ!!」


どこから引っ張り出してきたのか、タマは小さめのクッションをくわえて戻ってきた。そしてそこに潤を座らせる。

「改めて状況を整理すると、、アンタはオイラのご主人のジュンで合ってるニャ?」

『うん!合ってるよ!』

まぁあの可愛がり方からしてもこの猫が自分の主である証拠として十分な気はする。

『でもよくわかったね!この姿なのに僕がジュンだって!』

「ご主人の匂いがしたからニャ。でも若干獣臭かったから半信半疑だったけどニャ」

『あ、ほんとだ!獣臭い!』

自分の鼻先をタマに近付ける潤。

「うるさいニャッ!!オイラが獣臭いのは飼い主であるアンタのせいだからニャ!!」

『でもタマ風呂嫌がるだろ?』

「当たり前ニャ。水は嫌いニャ」

なんだよそれー、と笑いながら潤はもう一度タマに鼻先を近付ける。

『…でも、ちゃんとタマの匂いもするよ。僕の大好きな匂い』

必殺猫パンチッ!!

「……恥ずかしいからやめるニャッ…!」

イテテ、と鼻先を押さえる潤。でも大好きなタマと話が出来てとても嬉しそうだ。

『うへへ、幸せな夢だなぁ』

ニヘニヘとした笑いを浮かべながらも幸せそうな表情の潤。

だが、今の呟きにタマは疑問を返した。

「何言ってるニャ?これ夢じゃないニャ」


…………へ?

『いや、いやいやいや。だって僕、猫になってるんだよ!?』

「そうニャ。でもオイラ今起きてるニャ。ご主人も起きてるニャ」

『まぁまぁまぁそうだけど…!』

「嘘じゃないニャ。信じられないなら尻尾に噛みついてみるといいニャ」

ガブッ

「オイラのじゃないニャーッ!!」

ごめんごめん、と平謝りし、上手く体を捻って尻尾を捕らえる。

『……ッいってーっ!』

体を丸めてころころ転がる。でも何となく、尻尾を追いかけたくなる気持ちもわかった気がする。もちろん、噛みつきたい訳ではないことは確かだけど。

『…えっ、じゃあどういうこと?僕、このまま一生猫として生きるの?』

もちろん、猫が嫌いなわけではない、むしろ好きだ。人生ならぬ猫生も楽しいだろうと思う。でも…

『…でも、タマのご主人は僕だ。タマをお世話するのは僕のオシゴトなんだ!それにこのおっきさじゃタマのこと抱っこ出来ない…それは嫌だ!』

本当に、この小さなご主人はタマのことが大好きだ。でも、見てくれは小さくとも、ご主人として百点満点の心構えだ。

まぁ、だからタマも、このご主人のことが大好きなわけだけど。

「その心意気、さすがオイラのご主人ニャ!」

タマはスクッと立ち上がると軽々しくステップを踏んであっという間に高い小窓の元まで辿り着く。慣れた手つきで鍵を開けたタマは振り返ると同時に思いっきり小窓を開け放つ。

「さぁ、一緒に来るニャ!!頼れる猫のところに案内するニャ!!あの猫ならきっとオイラたちの力になってくれるはずニャ!!!」

小窓から外界の生き生きとした爽やかな風が舞い込んでくる。お日様の味をたっぷりと含んだ新鮮な空気が僕を誘う。

『うん!行こう!!タマ、案内してくれる?』

気がつくと、僕はタマの隣に並んでいた。先程は少し高いところに登るのにあれだけ苦労したのに。

「よし、じゃあ行くニャア!!出発進行ーーっ!!!」

僕の中に迷いはなかった。元の姿に戻る、その一心を胸に、僕は外の世界に踏み出した。



第三章


『うぉぉおお!!すっっげーーっ!!!』

「いい加減落ち着くニャ。さっきからそればっかりニャ」

もう家を出てから五分は経つ。しかし潤は出た瞬間から今まで終始このテンションを保っている。タフなやつだ。

「それにここは見慣れたいつもの道ニャ。目新しいものなんて何もないニャ」

そうなんだけど、と前置きして少し小走りをしてタマを追い越す、かと思うとクルッと振り返って後ろ歩行を始めた。

危ないニャ!と注意するタマ。だが潤はまるで上の空だ。

『だって僕、今屋根の上をお散歩してるんだよ!!いつもだったら絶対登ることが出来ない屋根の上の散歩、これがはしゃがずにいられないよ!!』

「それでも危ないことに変わりはないニャ!!今すぐやめるのニャ!!」

『だーいじょーぶだーって!!』

少し強めに牽制をいれるタマ。しかしこのご主人は全く聞き耳を持たず後ろ歩きを続ける。

その時だ。ズルズルズルッ!隣の古い瓦屋根に渡った途端、潤の足元の古くなっていた瓦が滑り落ちたのだ。

『うわぁぁ!!』

「ご主人!!!」

パラパラパラ…地面に塵が落ちる。間一髪、駆けてきたタマが一瞬宙に浮きかけた潤の首根っこをしっかりとくわえたのだ。ちなみに瓦の方は潤が未だ必死にしがみついているため、下に落ちて大惨事、ということにはならなかった。

前足に力を込め潤を引っ張り上げたタマはそのまま安全なところまでくわえて運んでいく。そうして平らな所まで移動したタマは潤を解放すると間髪入れずに叱り飛ばした。

「あれほど危ないと言ったのに何で止めなかったのニャ!!!危うく死ぬところだったニャッ!!!」

さすがにまずいと思ったのか、ヘラッとした調子で済ます予定だった潤は体を強ばらせる。

「オイラが間に合ったからよかったものの、一歩遅かったら大惨事になりかねなかったのニャ!!」

固まった体がフルフルと小さく震える。余程堪えたか、瞳も若干潤み始める。

潤の様子を見て反省していると伝わったのだろう。タマは大きく息を吐き出すと、今までとは違う優しい声音で語りかけた。

「もしご主人がいなくなったらオイラが困るのニャア。ご主人に何かあったらオイラが嫌なのニャア。だから、あんまり危ないことはしないでほしいのニャ」

ボフッと音を立ててタマの喉元に顔を埋める潤。その頭をよしよしと撫でてやる。

「くれぐれもオイラのご主人なんだから、わかったニャ?」

こくこくと頷き顔を擦り付ける。まったく、これではどちらがご主人なのやら。だが、そんな潤を見つめるタマの瞳はどこまでも優しいものだった。


「さ、もう少し歩いたら商店街ニャ!」

あれから潤は走ったり危険な歩き方をしなくなった。タマの気持ちが伝わったのだろう。未だにあちらこちらに気をとられてはいるが。

『商店街かぁ~、今度はどんな風に見えるんだろう!!』

「今までと大差ないニャ。強いて言うと、ごちゃーっとしてるニャ」

なんだかあんまり良い印象を感じない口調だ。嫌いなねこでもいるのだろうか。

『そういえば、今日まだ一度も他の猫に会ってないね』

皆まだ寝てるのかな?その呟きを半分否定しつつタマが答えた。

「いや、寝てるヤツもいるけど、極力他の連中がいる道は避けてきたからニャ。でもここは中々そう上手くはいかないからニャ…」

余程厄介猫が沢山いるのだろうか、猫界も大変だなぁ。

「それと、こっから先は人語禁止ニャ」

『……!!え、僕猫語喋れないよ!?今タマにだって通じてるし、このままじゃ駄目なの?』

「ダメに決まってるニャ!ご主人は今は人じゃなくれっきとした猫、ちゃんと猫語で喋らないと怪しまれて変なのに目付けられるニャ」

タマに気圧され、どうすれば猫語で話せるか考え込む。

「あまり考えることないニャ。感じた通り言葉にすればいいニャ」

なんとも難儀なことを言う。潤はタマのアドバイス通り、あーだのうーだの声を出し色々と試してみる。

「ニャー、こんな、かんじ…?」

できた!!!なんだ、こんなにアッサリ出来るのか!!

「そうニャそうニャ!!まぁ今は声帯が猫だから、むしろ人語の方が相当難しいと思うけどニャ」

慣れって怖いなぁ、ひとしきり笑った二匹は改めて商店街に向き直る。

「よし、じゃあ行こうかニャ!!」


色々な匂いがする。八百屋さんの土の匂い、魚屋さんの海の匂い、小さい子供から大きな買い物バックを持った主婦さんまで、沢山の匂いで溢れてる。

僕たちはその匂いがなるべく薄い道を選んで進んでいく。

そうなると、必然的に裏道や細い道を進むことが多いんだけど…

「…ここの連中最近良いモン食べてるニャー、ニャッ、きっとあの通りに出来たファミレスのせいニャ、ニャッ」

さっきから地面に気絶したネズミやらゴキブリやらがゴロゴロと転がっている。

多分先導してくれているタマの仕業だ。直接害がなければ放っておいてやればいいのに。きっと猫の性なのだろう。

「…道理でうちにゴキブリが出ないわけだ」

「ニャ?何か言ったかニャ?」

「ううん、何も」

頷き、タマはまたゴキ&ネズミ退治に戻る。まさに一家に一猫だ。

ピタリ。タマの動きが止まる。今度は何事だろうか。

続いて、力の抜けるような惹き付けられるような、なんとも言えない甘い香りが鼻腔をくすぐる。

堪らず潤の膝は折れ、その場に寝転がってしまう。

なにがなにやら、なーんにもわからにゃい。

「たーまぁーー、なぁにぃ、これぇー」

チラッと後ろを確認したタマは、半分だった怒りを全開にし発臭元を探す。

いた。すかさずその空間に乗り込み、一番奥でメス猫をはべらかし寝転んでいるソイツの元へズカズカと踏み込んでいく。

「やぁクロ、相変わらず気色悪いのヤってるニャ」

「他猫の趣味に口出すんじゃねぇよ、相変わらず臭いぜタマ」

二匹の視線がバチバチと絡む。一触即発とはまさにこのことだ。

潤は何とかその場を這って動き、入り口から顔だけを中にぬっと覗かせる。甘ったるい。より一層強い香りが思考を滞らせてくる。

ふと、クロと呼ばれた猫と目が合う。ニヤリと笑ったかと思うとすぐに視線は外されタマへ戻る。

「こんなところに長居してていいのかよ。お前の大事な飼い主ちゃんが抜け出せなくなっても知らないぜ?」

バレ、てる……?

潤の思考はどんどん止まっていき、意識は薄くなっていく。

「だから、今日はこれ以上いるつもりはないニャ。またニャ」

「ああ、またな、ミケ」

あ…れ、いまあいつ、なんて……

そこで潤の意識は途切れた


「……人、ご主人!」

「…!!……タマ…?」

「よかった、やっと気がついたニャ」

「ここは…」

ぐるりと周りを見回す。どうやら商店街の先の空き地のようだ。よく皆とサッカーをする場所である。

どうやらあのまま倒れてしまった僕をタマがここまで運んできてくれたらしい。

「ありがとう、タマ」

「どうってことないニャ。それより、ここからが本番ニャ」

本番?聞き返す潤に、意を決したようにタマが話し出す。

「オイラたちの隠れ家に連れてくニャ!!」

「隠れ家ーーっ!!!」

猫キーーック!!!

「喜ぶニャーーッ!!本当は極秘ニャ!!バレたら怒られるじゃ済まないニャ!!」

「そんなに怖いの?大丈夫…?」

クリーンヒットした頬をさすりながら問いかける。

「大丈夫じゃないニャ。だから対策を考えるニャ!」

「対策?」

「そうニャ。この先にあるオイラたちの隠れ家にはボスがいるニャ。ボスならきっとご主人を元の姿に戻す方法を知ってるはずニャ。でも問題はボスは人嫌い。どうやって接触するか…」

タマは一つ呻いたまま考え込んでしまった。

「あっ!じゃあさタマ!!」

潤に名案が浮かんだようだ。

「タマも僕のことご主人じゃなくてジュンって呼んだらいいんだよ!これで猫が二匹、これなら大丈夫!!」

しばらく考え込むタマ。

「名案ニャ!!!」

タマの目が鋭く光り、顔が明るくなる。

「よーしそうと決まれば早速乗り込むぞー!!」

こうして一人と一匹が、二匹になり、垣根の向こうに消えていった。



第四章


そこはまるで猫の楽園だった。

周囲は木や積み上げたガラクタたちで埋め尽くされている。そこへよじ登って遊び回る子猫たちもいれば、木々の隙間から差し込む陽光の中に丸くなり日向ぼっこをする成猫もいる。ガラクタの中で丸くなる猫も、毛糸玉を転がして遊ぶ猫もいる。

自由の象徴、まさに猫らしい空間が、そこには広がっていた。

「すごい…」

そのとき、日向ぼっこをしていたうちの一匹がこちらに気付いた。くぁーっと伸びをしてきっちり体を伸ばした後、先程とはうって変わった鋭い目付きでこちらを真っ直ぐ見据え、ゆっくりと向かってくる。

タマが僕とその猫の間に入る。タマは真っ直ぐにその猫を睨み返し、呼吸を整える。これから何が始まるのだろうか、ジュンの背中に冷たい緊張が走る。

先程の猫が目の前に迫る。お互いの視線がかち合う。

が、次の瞬間、目の前の猫は先程とは全く真逆の雰囲気を放ち、満面の笑みで声を張り上げた。

「ミケだ!!おい皆!!久々にミケの野郎が帰ってきたぜーーっ!!!」

そこら中の猫全員の耳がピンと立つ。先程までぐっすりだったチビたちも例外なく。そしてわっと集まってきた。

「ミケだ!ミケだ!!」

「おいミケお疲れさん!背中でも掻いてやろうか?」

「ミケさんや、美味しいブドウの実が手に入ったんだよ!」

「ミケおじさん!!冒険のお話聞かせてーっ!!」

あちらこちらどこからともなく声がする。タマはここではかなりの有名猫だったんだろう。そのタマはというと、次から次へと集まってくる猫の衆を困り顔でなだめている。

「ねぇタマ…っ!"ミケ"って…??」

「…あー、、ここでのオイラの呼び名みたいなモンニャ」

「そうなんだ…!」

大量の猫にもみくちゃにされながら問いかける。四方八方どこを見ても猫猫猫…とはいっても、僕に言わせてもらえば今この瞬間ほど幸せなときはない。だって今僕両手に猫、これぞまさに猫ハーレム!無類の猫好きからすればこんな桃源郷他にはない。

「わかった、わかったから、一匹ずつ、順番ニャ!!」

タマのこの声を聞くとすぐ、サッと一本の列が出来る。

「……あ、でもその前にボスに挨拶してからニャ!」

今度は先程の列が綺麗に二つに分かれ、目の前に道が出現した。

「じゃあジュン、行こうかニャ」

……いったい、タマは何者なんだろう。そんな疑問を抱えながら、僕は猫の道をタマに続いて進んでいった。


「ボスッ!!」

「……その声はミケか、よく帰ったな」

ここにジュンの姿はない。ボスは人嫌いだから一先ず自分が行って話してくる、と『待て』を食らったのだ。仕方がないため、ジュンは近くにいたチビ猫と遊ぶことにした。

「今はタマですニャ。でもここの皆、未だに覚えてくれてましたニャ。ミケの方でしたけどニャ」

苦笑混じりに答えるタマ。

「それほどここの連中はお前さんのことを気に入ってるってことじゃな。どれ、お前さんの顔が見たい、もっと近くに」

促されて、声のする方へ寄っていく。薄暗い囲いの中、その一番奥に古めかしいが存在感のある大きなソファが置かれている。その上にボスと呼ばれた猫は寝転んでいた。大きな白い老猫だ。

「懐かしいのぅ。あれからもう二年ちょいか」

大きな鼻をタマの方に寄せ、その匂いをよくよく嗅ぐ。もう目はほとんど見えないのだろう。ここ数ヵ月で一気に体調が悪くなったとは聞いていたが、まさかここまでとは。もうすぐ御歳18歳、人に換算すると90歳前後にあたる。

「元気そうで何よりじゃ」

込み上げてくるものをグッと堪える。さて、こんな状態のボスに潤のことを話していいものなのか。話したことによって余計体に障りはしないだろうか。

「話しても大丈夫じゃよ、言うてみぃ」

ぐるぐると考え込んでいたタマは驚いて勢いよく顔を上げる。

バレていた。

「気付かれてないとでも思うたか?入ってきた瞬間から匂いでわかったわぃ。まーったく、人間の子供なんぞ連れてきおって…」

さすがボス。長老となってもその桁外れの察知能力は健在か。

なら、隠すことも言い繕うことも何もない。

「…実はボス、今日はオイラのご主人の件でボスの力を借りたくて来ましたのニャ」

「わしの力を?さて、人間相手に何の力添えを、このわしに求めに来たのじゃ、タマ」

圧倒的威圧感だ。ただ話をしているだけなのに萎縮してしまう。

しかしここはタマも引くわけにはいかない。大事なご主人が何で猫になってしまったのか突き止めなければならない。負けじと老猫に食いつく。

「実は、今朝からご主人が猫になってしまったのニャ。それも、原因不明。どうしたら戻れるか、何か知ってることがあったら教えてほしいのですニャ!!」

「人が、猫に…」

一瞬、老猫の口元がニヤリと弧を描く。それをタマは見逃さなかった。

「ボス!!何か知ってることがあるなら教えてほしいのニャ!!!お願いしますニャ!!!」

「さぁーな、そんなものは知らん。人が猫に?馬鹿馬鹿しい」

「ボス!!!」

タマは必死に老猫に頼み込む。必死に、必死に。だが、この人嫌いは根強いもの、そう簡単に横っ腹に付いたヘソを正しい位置には戻せない。

「ボス!!!」

「知らん!!!」

意地と意地のぶつかり合い。互いに互いの大事なもののために一歩も引かない。この意地の強さがボスたる由縁なのだろう。

空気が張りつめる。触れると切れてしまうかのように、鋭くキツく。

が、ある一声でその糸は何とも簡単に切られてしまう。

「ひぃじぃ~!!」

飛び込んできたソレは助走をつけて老猫の腹部目掛けてダイブする。

タマ、唖然。突然の出来事に驚いて猫だまし状態だ。

「なんじゃチビ、今ひぃじぃは大事な話を…」

「あのねひぃじぃ!!はい、これ!!!」

「………これは?」

「はなかんむり!!あのね、きょうはひぃじぃの18さいのおたんじょうびだから、ぷれぜんとなのーっ!!」

老猫の涙腺大決壊。可愛い可愛いひ孫からプレゼントをもらって嬉しくないわけがない。うぉんうぉん泣きながらお礼を言っている。感極まりとはまさにこの事。

全身を沢山撫で回されたチビ猫は上機嫌で帰っていく。

「わーい!!!だいせいこうしたよー!!おにいちゃーん!!!」


?????“おにいちゃん”???

ふと老猫が視線をあげると、そこには見知らぬ猫が、いや、猫の形をした何かが、我が愛しいチビの帰りを両手を広げて迎えているではないか!!

「ジュン!!!」

タマの張り上げた声が部屋中に響く。

満面の笑顔で飛んでくるチビ猫をしっかりと両手でキャッチしたジュンは、えへへと一つ笑うと、風のようにシュンッと音を立て隣の柱の影に隠れた。

タマは頭のてっぺんからサーッと血の気が退いていくのを感じた。チラと目の前の老猫を視界にとらえる。

…………わらっている。

血液が散らばってなくなっていく感触を覚えた。タマはこの次に起こるであろう最悪のパターンの解析と対応策を瞬時に模索する。

「おい、にんげん」

タマの心臓は全力疾走だ。

一方、柱の影のジュンの心臓も跳び跳ねている。当たり前だ。相手は人間嫌いのボス猫。その説得にタマは向かってまだ帰ってきていないのに勝手に入り込んできたあげく、自分が猫でないとばれてしまったのだから。

「………………」

「聞こえているのだろう、にんげん」

「………………ハイ…」

降参だ。潔く柱の影から出ていく。凄い圧力だ。これが一群のボスの風格か。

素直に感心しているジュンに老猫が低く問いかける。

「お前、今そこのチビを抱いたな?」

ジュンは震える声で返事をする。

「…ハイ」

「チビを下ろしてこっちへ来い」

「…………ハイ…」

そっとチビ猫を足元に解放してやり、慎重に、ゆっくりと、静かに唸るボス猫へ近づく。

「人間風情があれに近づくとは」

呟きに憤りが混じるのが、この距離でも伝わる。

「お待ちくださいニャ…!ジュンをここに連れてきたのはオイラニャ!!責任はオイラにあるニャ…!!」

タマが食って掛かるが、老猫はそちらを見向きもしない。

ジュンがボス猫の隣へ辿り着く。

「人間ごときが、わしの前に、わしらの国に………貴様!!!!」

鋭い爪を引っ提げた老猫の前足が高く翳される。

「ご主人ッ!!!」


「気に入った。力を貸してやろう」



第五章


ジュン目掛けて振り下ろされるかと思われた前足は、高いところにある平たい器を二枚とり、そのままゆっくりと下ろされた。

一枚、ジュンに差し出される。

「…………へ?」

予想だにしなかった老猫の行動に間抜けな声しか出ないジュン。差し出されるまま器を受けとると、老猫は奥から天然水と書かれたペットボトルを取り出し、器用にキャップを開け客人の器に注ぐ。

「……あの、ボス…これは一体……」

先に口を開いたのはタマだった。相当驚いたのだろう。目が真ん丸に見開かれている。

「力を貸してやる、と言ったのじゃ。お前のご主人が人間に戻れるよう協力してやろう」

タマはあまりに驚いたのか口をあんぐりと開けたまま固まっている。

一方ボス猫はやれやれと一つ呟くと改めてジュンに向き直る。

「お主、名前は?」

「……ジュン、です」

問われたジュンは何とか声を絞り出す。

「ジュンか。よろしくのぅ」

ボス猫はにかっと笑った。なぜここまで態度が180°変わったのか、タマの思考はぐるぐる回って未だ迷宮から脱出出来ずにいる。

その様子を横目で見て察したか、老猫は口を開く。

「ジュン、お主あのチビを抱いたじゃろう」

先程のチビ猫を思い出し頷く。

「あのチビはな、かなりの猫見知りなのじゃ。そのチビがあそこまで笑顔で自ら飛び付いて行った。……わしは3ヶ月はかかったのに……」

最後の一言は呟きだったが、ジュンにもタマにもはっきり聞こえた。

「そんな猫が、悪い奴な訳ないじゃろう。例え人間でもな」

その瞳はボス猫の鋭い視線ではなく、ひ孫のことが大好きなおじいちゃんの優しい眼差しだった。

「まぁ、少なくともわしが今まで生きてきた中で間違いなく一番に羨ましい出来事じゃがのぅ」

そうして老猫はまたにかっと笑った。


「さて、本題じゃ」

あれから老猫はひ孫自慢、ひぃじいちゃんっぷりをたっぷり発揮した後、改めて居ずまいを正した。ジュンとタマもそれにつられて背筋を伸ばす。

「ジュンは元は人間で、今朝目が覚めたら猫になっていた。原因は不明。それで元の姿に戻るためわしを訪ねてきた」

二匹は息ピッタリに頷く。老猫は続ける。

「タマよ、お主が先に睨んだ通り、わしはこの件について知っている。いや、正しくは聞いたことがある」

「ほんとですかニャ…!!」

タマは文字通り飛び上がり老猫に食いつく。

落ち着くのじゃ。そう促されタマは何とか腰を落ち着けるよう努力する。

「その昔、わしのじいさんも同じ体験をしたと聞いたことがある。突然飼い主が猫になったから助けてほしい、と相談を受けたそうじゃ。じいさん達は必死で元に戻る方法を探したが全く手応えが無かった。そうして日も沈み満月が頂点を迎える少し前、驚くことが起こったそうじゃ」

なんと月から光が降りてきてそのまま飼い主を包み込み、次の瞬間人間の姿に戻っていたという。

「残念ながらわしが知ってるのはここまでじゃ。光が降ってくる場所や条件、それらの詳しいことはわからん。じゃが、」

一旦言葉を区切って老猫は続ける。

「じゃが、じいさんはこう言っておった。『ここからずーっと東に行った森の中に大きな岩があって、そこにいた仙猫が案内してくれた』と」

老猫は一つ息を吐き出す。

「でも、わしもよくその森へ遊びに行っていたがそんな猫に会ったことはないし、じいさんすらもその一回しか会うことは無かったという」

今度は深く息を吐き出す。

「一番の問題は時間じゃ。猫になってから一日以内、それが元に戻る猶予らしいのじゃ。もう日は傾き始めておる。本当はわしらも総出でその仙猫探しを手伝いたいところなのじゃが…」

すまない、老猫の両耳が代弁するように下がる。

「今、わしらの隣の地域が荒れておってな、そこの連中がいつ攻めてくるやも分からない、土地を離れるわけには…」

言葉が飲み込まれる。老猫の拳が強く握られているのが分かる。

僕とタマの意見は同じだった。

「ボス、大丈夫です!戻り方を教えてもらえただけでもとっても助かりました!僕には心強いタマがいます。あとのことは僕たちで何とかします!」

隣でタマも大きく頷く。

「ボス、大丈夫ですニャ。ボスや皆はここを、大事なオイラたちの故郷を守ってくださいニャ。ご主人は、オイラが絶対元の姿に戻しますニャ!」

お互いに顔を見合って頷く。息ピッタリだ。

「………わかった。必ず生きて戻るのじゃぞ」

二匹は力強い瞳を老猫に向け、大きく頷くのだった。



「おにいちゃんたち、いってらっしゃーーいっ!!!」

ピョーンと飛び付いてきたチビをがっしりと抱き止めたジュンは、そのままクルクル回ったり高い高いをしたりとチビとじゃれている。

「ここまでで大丈夫ニャ、ありがとニャ」

チビと、いかにも真面目そうなボスの側近が森への近道まで見送りにきてくれた。

礼を告げ小道に向き直るタマに、心配の色を浮かべた側近は問いかける。

「本当にこの道を行くのですか…?」

「もちろんニャ」

迷い無く頷くタマに向かい、側近は更に表情を曇らせ口を開く。

「…しかし、貴方もご存知でしょう…アイツの噂…」

「もちろん、知ってるニャ」

「……やっぱり二匹だけで行かれるのはあまりにも危険すぎますニャ!!」

側近はタマに食って掛かる。が、タマは表情一つ変えず側近を見返す。

「オイラを誰だと思ってるニャ?」

タマの瞳孔が細められる。視線がこれ以上の問いかけを制す。

「ご主人には時間がないのニャ。なりふり構っていられないのニャ」

纏う空気がピリッとしたものに変わる。その威圧感は最早飼い猫のそれではなく、側近は引き下がるしかなかった。

するとタマはニッコリとした笑みを浮かべ、明るい口調で言い放った。

「大丈夫ニャ!ご主人はオイラが必ず守るから、安心するのニャ!!」

ドン、と自らの胸を叩いて見せる。そのまま遠くで戯れているジュンに向かって呼び掛ける。

「ご主人ーー!!そろそろ出発するのニャーー!!」

「ーーーうん、わかったーーー!!」

大きく返事をしたジュンは、チビを抱えたままぽてぽてと駆け寄ってくる。

「まったく、いつまで遊んでるニャー」

「ごめんごめん」

隣に戻ってきたジュンの後ろ頭を軽くはたく。先程までの厳しい雰囲気は全く感じられない。

「それじゃあ、行ってきます!!」

元気よく側近に挨拶をしたジュンは手を振りながら駆けていく。

「タマーー!!早くしないと置いてっちゃうよーー!!」

「ニャッ、待たせてたのはどっちニャー!!!」

負けじとタマも走り出す。その背中をチビのご機嫌な声が送り出す。

「バイバーーーイ!!!」

二匹の背中はどんどん小さくなっていき、とうとう見えなくなってしまった。

「ご武運を…」

側近は、小さく呟き頭を下げる。

"必ず守る"、その言葉が、側近にはやたらと重く感じられた。



第六章


薄暗い小道をタマを先頭に進んで行く。先程通ってきた商店街の裏道とはうって変わって、周りを竹藪と無造作に生えた背の高い雑草に囲まれている。人間の手などもう久しく加えられていないだろうことはジュンも一目でわかった。

もうすっかり日も落ちてしまっただろうか、今朝は太陽が照りつけ快晴だった空も、今はどんよりとした分厚く黒い雲に覆われている。今にも雨が降り出しそうだ。

「………ねぇータマー……」

前をスタスタと進むタマに向かって間延びした声で呼び掛ける。

少しの間の後タマが返事をする。

「……どうかしたニャご主人」

「やっぱりやめようよー」

もう何回目だろう、このやりとりをするのは。

「やめないニャ」

「ええーー……」

力無い抗議の声が聞こえる。が、タマは歩調を緩めることはしなかった。

理由を聞いても「なんでもない」の一点張りで全く要領を得ないご主人にいささか苛立っていたのもある。

その時だった。黒く厚い雲間に轟音とともに電流が走る。

「ーーーーっ!!!!」

雷だ。光って直ぐに音がしたからそう遠くはない所で鳴っているのだろう。急がなければ雨まで降り出してしまう。

「ご主人、大丈夫ニャ?」

「・・・・・」

「………ご主人?」

返事がない。くるりと振り返ると、転がっていたビニール袋に頭から突っ込んだジュンの姿が目に入る。

「何してるのニャーー!!!」

「僕は今ビニール袋の中の野菜」

「尻尾の生えた野菜なんて気色悪いニャ!!」

あっという間に駆け寄ったタマは、勢いよく袋を剥ぎ取る。ああああ、とジュンの気抜けた声が響く。

「まったく、ふざけてる時間なんて………っ…」

袋を放り捨て視線を戻したタマは、目の前で丸く小さくなっている主の姿を発見する。

「…っ!!こ、怖くなんかないからな…っ!!」

ただの強がりであることは明白だった。証拠に両の瞳は開き耳は横に倒れている。

今までの言動にやっと合点がいった。

「ご主人……」

タマがジュンのことを心底案じているのは、その声音からもよく聴きとれる。

全身の緊張を緩めたタマは、普段しているのと全く同じ様に、尻尾をピンと立ててすり寄っていく。

毛並みを舐めて整えてやり、ゆったりとした口調で語りかける。

「…ご主人、真っ暗なのも雷も怖がらなくて大丈夫、ご主人にはオイラがついてるニャ」

…あったかい。

タマの温もりを感じ、強張ったジュンの身体は徐々にほぐれていく。

「よしよし、怖いものなんて何にもないニャ。オイラがちゃんと側にいるニャ。それに…」

スルッとタマの身体が離れる。その場に腰を下ろし、丸みを帯びたジュンの瞳を真っ直ぐに見つめる。

「ご主人のことはオイラが必ず守るから、安心してついてくるのニャ!!」

周囲の暗闇を切り裂くように、ニカッと笑って見せる。

ジュンの目が大きく見開かれる。タマの笑顔で、心の中の恐怖や不安が吹き飛ばされていく。

「………タマ…」

安心感に包まれてあったかいものが込み上げてくる。が、決して流すまいと、ぐっと堪える。

詰めていた息を吐き出し顔を上げたジュンは、潤んだ瞳でしっかりとタマを見つめニコッと笑う。

「ありがとう、タマ」

何だかくすぐったい気持ちになったタマは、それを隠すようにそっぽを向く。いつもならニャーと鳴いて誤魔化せるものが、言葉が通じるこの状況ではそうはいかない。

「………ほら、いつまでも座ってないで早く進むニャ…!」

表情こそ見えないものの、ゆったりと大きく揺れている尻尾がタマの気持ちを代弁している。

「……うんっ!!」

小さく力強いその背中に、負けじと腹に力を込めて返事をする。


その時だ。二匹の背筋を氷塊が滑り降りる。

バッと振り向いた闇の向こう、ソイツが放つ鋭い殺気に、二匹の動物的本能が反応したのだ。

「……ご主人、オイラから離れるニャよ」

「…う、うん…」

タマは唸り声を発しながら、姿勢を低くし尻尾の毛を逆立て威嚇する。一方のジュンは、尾を脚の間に挟み込み、小刻みに体を震わせている。圧倒的な敵意に気圧され、及び腰になってしまったのだ。

その様子を視界の隅で捉えたタマは、小さな声でジュンに指示を送ろうとする。

瞬間、地響きの様な鳴き声を発し、眼前のソイツが襲いかかってくる。

「ーーっ!!」

とっさの判断でタマはジュンをどつき、すぐさま斜め上方へ飛び上がる。

直後、ソイツは二匹が元居た地面をゴッソリと抉り取り、そのまま奥の壁へ突っ込んで行った。

粉塵が舞う。まるで巨大な鉄球でもぶつけたかのようなクレーターがコンクリートの壁に出現する。

ジュンの横に着地したタマは、苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべ舌打ちをする。

「アイツ、何でここに…!」

「タマ、アレのこと知ってるの!?」

タマの呟きを聞き逃さなかったジュンはすかさず質問をぶつける。

タマは眉間のシワを更に濃くし苦々しく答える。

「……隣の動物町会を取り仕切ってるボス犬ニャ」

ーー『狂犬ドン』、そう通り名が付いたのはあの巨体から繰り出される馬鹿げた剛力と、見境なく襲いかかる狂暴さが所以だ。

「ヤツが現れてから、隣の町会は周辺の町会を襲撃しみるみる内に巨大化、狂暴化していったのニャ。今回オイラたちのボスが増援を出せなかったのもコイツらのせいなのニャ…」

それにしても、まさかここまで侵略されていたとは。タマの拳が強く握られる。

再度咆哮が轟く。体制を立て直したドンがこちらに向かって突進してくる。

その様を確認したタマは、またも動けなくなっているジュンの首根っこを咥え、無理矢理脇の茂みに引きずり込む。

ゲホゲホと咳き込むジュン。その隣を巨体が風を切りながら駆け抜ける。数秒の後大きな衝撃音と共に地響きがした。

「…ご主人、聞くニャ」

まだ息の荒いジュンに向かって、タマは声を潜めて語りかける。

「アイツは手強い。このまま真正面からアイツに向かっていっても先に進むのに相当時間を労するニャ。でも今のオイラたちには一分一秒でも惜しい」

だから、と一区切り置き視線を外す。が、すぐにまた真っ直ぐにジュンの瞳を見つめ直す。

「だから、オイラがアイツを引き付けるから、その隙にご主人は森まで駆け抜けるのニャ…!!」

「……!?!」

必死に呼吸を整えながら話を聞いていたジュンだったが、そのあまりに突飛な内容に言葉を失う。

「わかったらオイラの合図で…」

「…ッちょっと待ってよ!!」

タマを遮ってジュンが声をあげる。

「それってつまり、タマを囮にするってこと?」

向けられた瞳に一つ頷く。

「そんなこと出来るわけないだろ!!!アイツはどう見てもヤバいヤツだってことくらい僕だって分かるよ!!!」

整いかけていた息が荒くなる。

「そりゃあ僕は怖がりで足手まといかもしれないけど、でもタマを置いて先に行くなんて絶対にやだ!!!」

見開かれた瞳が潤み始める。

「…タマは僕にとって何よりも大事なんだ。大切なんだ。タマに何かあったら、僕……」

ジュンの瞳からあたたかいものが溢れ落ちる。その様子に、タマの胸がキュッと締め付けられる。

うっうっ、と声を殺して泣くご主人を、タマはやわらかい瞳で見つめる。

ああ、愛されてるニャア。

ゆっくりとジュンとの間を詰めたタマは、優しい声で呼び掛ける。

「ご主人。顔をあげるのニャ」

それに応えるように、ジュンはぐしゃぐしゃの顔でタマを見返す。

「ご主人にはオイラがついてるって、側にいるって、そう約束したニャ」

「…だったら」

「オイラは絶対いなくならない、オイラは絶対ご主人を悲しませない」

ジュンの瞳を、タマの真っ直ぐであたたかい瞳が包み込む。

「オイラを信じるニャア」


ああ、本当に僕は、タマに弱いなぁ…


「わかった」

「ありがとうニャア」

タマがふっと微笑む。

本当は置いて行きたくなんてない。一緒に戦いたい。

でも、タマの瞳が、言葉が、それを許してはくれなかった。

タマはいつでもジュンに安心をくれる。そのあたたかさに偽りを唱えたくなかった。

「でも、一つだけ約束」

いつまでも、失いたくないから。

「必ず帰ってきて」

この灯火を、ずっとずっと、感じていたいから。

「…うん、約束ニャ」


唸り声が響く。

匂いを辿って標的を探し回っていたドンの頭上に、その頭部をかるく覆える程に大きな風呂敷を咥えたタマが降ってくる。

覆いごと標的を振り落とそうと、ドンはその場で暴れまわる。

「ご主人、今ニャッ!!!」

それを合図に茂みの一番端から飛び出したジュンは、全速力で森へ向かって走り出す。

鼓膜をつんざく様な咆哮をあげたドンは、タマもろとも邪魔な布切れを払い除ける。

開けた視界の先に、こちらに背を向け一目散に駆け抜ける猫の姿を捉える。

ニヤァと嗤ったドンは、猛スピードでその後ろ姿を追い掛ける。が、数メートルも行かない内に横っ面に鋭い痛みが走る。

「お前の相手はこのオイラニャア!!!」

もう一匹の猫が目線のど真ん中に滑り込む。

スパッと切れた頬から血が滲むが、それを吹き飛ばす様に頭を大きく振る。浅かったか。

勢いに任せ、巨体はタマの細い胴体目掛けて頭突きを繰り出す。

強すぎる一撃に、タマは数メートル先の空き家目掛けて吹き飛ばされる。

老朽化した建物が大きな音を立てて崩れ落ちた。それを聞いたジュンは咄嗟に足を止めて振り返る。

「っ!!タマ!!!」

かろうじて受け身を取ったタマは、節々痛む体を何とか起こして声の主を探す。

「!!!!ご主人!!!!」

オイラに構わず早く行け!!その言葉は目の前の光景に吸い込まれてしまった。

タマを突き飛ばしたドンは、そのままジュンの方へ向かって全力で走り、もう目と鼻の先まで辿り着いていたのだ。

鋭い爪がズラリとついた前足が大きく振り上げられる。その様が動けなくなったジュンの小さく丸い瞳にくっきり写る。

「ご主人ーーーッッ!!!!!」

タマは片足を引きずりながら走っていく。が、掲げられた足が振り下ろされる方が圧倒的に早い。

「ーーータマ…ッ!!」

ぎゅっと目を瞑る。高く掲げたドンの前足がジュン目掛けて振り下ろされる。

「ジュンーーーっッ!!!!」

タマの絶叫がこだまする。粉塵が舞い辺りを覆い隠す。

一つ、大きな吠え声が聞こえた。タマの足が崩れる。

「………ご主人………ジュン……」

力なく呟く。頭の中がすぅーっと白くなっていく。

タマの瞳から、大粒の涙が滴った。



「なーに情けなく転がってんだよミケ」



聞き慣れた声に、タマはのろのろと顔を上げる。

「………ク、ロ……?」

うっすらと焦点が合っていく。長年バディを組んできた相手の声はそうそう忘れるものでもなく、すっとタマの中に入ってきた。

「…クロ、ジュンが…オイラのご主人が……」

今にも色々なものが溢れ出しそうな顔で見上げてくるタマを前に、クロは長く息を吐き出す。

「ったく、愚策なんざ立てやがって。大事なモンなら、手放したりしねぇでちゃんとテメェの手で護るんだな」

クロの言葉がキリキリと絞め上がった心臓に容赦なく刺さる。

うっうっ、と嗚咽を漏らす。今にも張り裂けそうな痛みが心臓から全身に広がる。

「……ご主人……ご主人…」

タマは全身を抱き締めるように丸くうずくまる。

その様子を眺めていたクロは一つ深い溜息を吐き、首を傾ける。

それを合図に、草むらから一匹の猫が現れる。それは目の前の光景を確認するなり声をあげた。その声は、もう聞くことの叶わないと思っていた声で…

「___タマッ!!!!」

駆け出した。丸く小さくなっている背中に向かって一直線に。

声に引かれるように頭を上げたタマの胸にジュンが飛び込む。

「タマ、タマ…!」

「……な、んで…?」

まだ状況が飲み込みきれていないタマの目線はどこか空を見つめている。

「タマ、よかったよぉ…またこうやってタマをぎゅーってできるよー…!」

ぼろぼろと涙を溢しながらタマの胸に顔を埋め、そのまま額を擦り付ける。

そのあたたかさに、徐々にタマの硬直は解け始める。

そっと、ジュンの頭に前足を乗せる。肉球に感じる温もりが、生きていると実感させてくれる。

「ーーーまったく…それはこっちの台詞だニャア…」

そのままゆっくりと、柔らかく撫でてやる。いとおしそうに、壊れないように。

二匹の間に流れる時間は、まるで永遠を過ごしているかの様にゆったりとしている。

「…あー、感動の再会してるとこ悪ぃんだけど」

現実に引き戻すため、クロが口を挟む。

「まだあのバケモノは倒れちゃいねぇ。俺たちはあくまで間一髪のところでそいつを助けたってだけだ」

顎でジュンを指す。少し離れたところでドンの怒声が轟く。どうやらクロが引き連れてきた仲間たちが応戦してくれているようだ。

二匹はハッとしたように居住まいを正し、改めてクロに向き直る。

「クロ、ありがとうニャ、本当に…」

「僕からも、ありがとう、クロ君!」

「__ッ」

クロはついッと顔を背けながら答える。

「礼なんて気色悪いニャ…それから君付けで呼ぶんじゃねぇ…」

口が悪いだけでただ照れているのはジュンでもわかった。

ジュンはタマの方を向きふふっと笑う。タマもやれやれといった風に肩をすくめる。

聞こえてるぞ、と訴えたクロは、一つ咳払いした後真剣な表情で切り出す。

「んなことより、こっからが本番だ」

クロの纏う空気が厳しいものへと変わる。つられるように、二匹を取り巻く空気もまたピリッとしたものに変わっていく。

「時間がねぇから単刀直入に話すぞ」

遠くで咆哮が轟く。先程まで舞っていた粉塵がいつの間にか収まりつつあり、狂犬の姿が段々と浮かび上がる。時間稼ぎをしてくれていた猫たちも限界なのだろう。

タマはいつでも戦闘体勢になれるよう、先程の襲撃の際に使った布切れを千切り怪我をした足を覆う。

その姿を横目に捉えながら、クロはハッキリとした口調で告げる。

「アイツは俺たちが引き受けるから、テメェら二匹は隙見て森へ走り抜けろ」

タマの手が止まる。心配したジュンが口を開く。

「でもそれじゃあーー」

「テメェ等には時間がねぇんだろ?とにかくアイツさえ切り抜けちまえば後は森を突っ走るだけだ。それなら、ミケ一匹でも大事な主人護りきれるだろ」

言いながらクロはタマを振り向く。が、視線の先でタマが小刻みに震えている。刹那。

「なに寝ぼけたこと言ってるニャこのアホ猫!!!」

タマが怒鳴り声をあげた。

「ッ誰がアホだこのバカ猫!!よく状況考えやがれ!!!」

「その状況を身をもって体験したから言ってるのニャ!!!」

どちらも一歩も引かず罵倒と怒声が続く。お互いに止まるところを知らない。

「……と、とりあえず二匹とも落ち着いて…!!」

目の前の二匹は全身の毛を逆立てて言い争っている。

本気の喧嘩になりつつある現場をなんとか収める為に、ジュンも腹に力を込めて、負けないように声を張り上げる。

「これ以上言い争っても仕方ないよ!!!」

突然の声に動きが止まる。その隙にやっとの思いでジュンが二匹の間に割って入る。

「皆、お互いが大切なのはおんなじなんだよ…!!だから、誰かが犠牲にとかじゃなくて、力を合わせて全員揃ってここを突破しようよ!!!」

一瞬の静寂。先に口を開いたのはタマだった。

「…………わかったニャ」

はぁー、と深い溜め息がクロから漏れる。

「……ったく、簡単に言いやがる」

二匹は共に渋い表情を浮かべている。タマにとってはジュンも戦闘に参加することが、クロにとってはタマたちを思って立てた最善策を却下されたことが、それぞれ納得いかないのだろう。

だが、先刻のタマの闘いから、単騎で向かって行って易々勝てる相手でないこともまた明白だった。

「ちょっと待ってろ、作戦を立て直す」

そう言ってクロは目を瞑り爪で地面に図形を描き始める。

どうやらこのバディの参謀はクロだったようだ。

「クロが作戦担当ってことは、タマは攻撃担当だったの?」

声を潜めて聞いてくるジュンに、昔を思い出すように視線を外したタマは答える。

「まぁそんなところニャ。でもこいつも黙って見てるタイプじゃないから、結局はほとんど一緒に戦ってたけどニャ」

そうなんだと頷き、ジュンは視線をクロに戻す。確かに、先程の言い争いを思い返しても、クロが血気盛んだということは簡単に納得がいく。

すると視界に映る黒猫は突然前足を止めてパッと目を開く。

「終わったニャ」

その様子を見たタマが呟いた。それに応えるようにクロが目線をタマに合わせる。

「今度はあんなふざけた作戦じゃないニャ?」

タマが問いかける。クロは瞳を一瞬キラっと光らせ答える。

「どの口が物言ってんだ」

もう一度お互いの目を見合った後、こちらを振り返ったクロが口を開く。

「作戦変更だ」

その声を合図にそこら中から首輪の付いていない猫が集まってくる。あっという間にジュンの周りはクロが連れてきた仲間たちで埋め尽くされた。

クロはしっかり端から端まで見渡した後に、姿勢を正して告げる。

「いいか、内容はーー」

刹那、その場を凍りつかす低い声音が猫たちの耳を突き抜けた。

「見つけた」

鋭い牙がズラリと並んだ口がジュンの真後ろでぐぱぁと開かれる。

瞬間タマは身体の硬直を無理矢理解き、ジュンを咥え力ずくで自分の方へ引き寄せる。

ガチンッと鈍い音を立て大きな口は虚しく空を咬む。

「逃げろ!!!」

クロの一声で仲間たちの不自由だった身体は何とか動き出す。

タマとクロはその間に滑り込み、姿勢を低くして戦闘体制を取る。

一方、ドンは顎が揺れた衝撃で軽い脳震盪を起こしていた。その隙を二匹は見逃さなかった。

ぐらぐらと目眩を覚えている顔面にタマとクロのキックが炸裂する。

勢いに任せてドンの身体を後方へ仰け反らせ、更に押し込む様にして飛び退き距離を取る。

「おい」

「ニャ?」

目線はドンを見据えたまま続ける。

「お前が平和ボケして鈍ってなけりゃ、新しい作戦ーー」

「オイラを誰だと思ってるニャ」

寄越してくる視線が全てを物語る。

「伊達に長年お前とバディ組んでた訳じゃないニャ」

「へっ、そうかよ」

一瞬視線を絡ませ、息ぴったりに飛び上がる。

倒れた身体をやっと起こしたドン目掛けて舞い降りた二匹は、勢いに任せ連続攻撃を繰り出す。

右からはタマ、左からはクロが交互に引っ掻き、ドンの分厚い皮膚に裂傷を与える。

「ぬるいわ!!」

低い咆哮と共にブルルッと身体を振るわせ二匹を吹き飛ばす。

地面を転がるクロにドンが狙いを定める。が、その視界をまたしても大きな布が覆い隠す。

「お前の相手はオイラだって言ってるニャ!!!」

暴れようともがくドンの背中にしっかりとしがみつき、布の端同士を固く結ぶ。

「ええい、しつこい毛玉どもめ!!」

背中に引っ付く邪魔な標的を叩き落としてやろうと、タマの感触を便りにそこら中の壁に体当たりを繰り返す。

全身に掛かる強すぎる力に小柄なタマは耐え切れず吹き飛ばされる。

頭に掛かる邪魔な布を噛み千切ったドンは、地面に叩きつけられ体制を崩したタマに標的を切り替える。

「くたばれ!!!」

ばかデカい雄叫びを上げ、牙をギラつかせた巨体が突っ込んでくる。

その場から逃げようと足に力を入れたタマだが、先程負った怪我が痛みその場に崩れてしまう。

「…ッしまっーー」

ドンの振り上げた爪が鈍く煌めく。

血飛沫が舞った。



第七章


キツく閉じた瞼をのろのろと開けたタマは、直後、目の前の光景に絶句する。

そこには赤い血を撒き散らしながら吹き飛ばされる黒猫の姿があった。

「ーーークローーっ!!!」

タマは追撃するドンの攻撃を躱し、数メートル先まで飛ばされたクロの元へ駆け寄る。

「おいクロ!クロ!!」

ぐったりと倒れるクロの左目から赤黒い血が溢れ出す。どうやらドンの鋭い爪はクロの左瞼を縦に切り裂いたらしい。

タマは反応の無いクロの身体を何とか引きずり物陰へと身を隠す。先程自分に巻き付けた布切れをほどきクロの傷口を覆い止血を始める。

「……ってぇ、もうちょっとマシな看病はできねぇのかよ」

「クロッ…!」

右目をうっすらと開けながら得意の憎まれ口をたたく。

その瞳を見たタマの胸に安堵の感情が湧き上がる。が、それはすぐに怒りの色へと姿を変える。

「何で」

「ん?」

「何で庇ったりなんてしたのニャ…!!」

「…うるせぇ、傷に響く」

つい声が大きくなる。狂ったように感情がぐるぐると回る。

「お前が庇ったりしなきゃ、こんな大怪我しなくて済んだのに…」

「仕方ねぇだろ…気付いたらお前とあいつの間に飛び込んでたんだからよ」

胸中を渦巻く感情を全部まとめて言葉に乗せる。

「本当に……お前はバカ猫ニャア……」

フッと口角を上げるクロ。様々な感情を押さえ込み口端を下げるタマ。

二匹の背にまたもアイツの声が降り掛かる。

「お喋りはそこまでだ」

ピリッと二匹の神経が張りつめられる。直後、ドンの振り下ろした前足が二匹を隠していた壁を粉砕する。

よろめきながら立ち上がったクロの首根っこを引っ捕らえ、タマは無理矢理奴の攻撃範囲から脱出する。

「ーーっおい!あの程度自力で避けられる!」

「うるさいニャ!怪我人は黙ってろニャ!!」

軽く身震いをしたドンは、得意の突進や爪での攻撃を繰り出し続け二匹を追い詰めていく。二匹はお互い怪我を庇いながらも、それらをかろうじて避け続ける。遠くから鳴き声が響いた。

「ーー行き止まり、か」

クロが呟く。それを聞いたタマはちらとクロに視線を向ける。

タマの視線に頷きを返し、二匹は振り返る。その後ろは垣根で閉ざされていた。

「これで終わりだ!!!」

一番大きな咆哮を上げ、ドンはその巨体に全ての力を込めて突っ込んでくる。

「へっ、てめぇなんかに負けるかよ!!!」

「かかって来いニャア!!!」

二匹は重心を低くし戦闘体制をとる。

衝突。

と、思われた瞬間、二匹は空高く飛び上がった。

勢いを殺しきれなかったドンはそのまま垣根に突っ込み、その先にあった深い穴へ落ちていった。

その場に着地した二匹は穴の中を覗き込む。

そこには腹を上にして意識を失っているドンの姿があった。

「作戦成功」

クロが呟く。それを合図にどこからともなく現れた猫たちは歓喜の色に染まっていく。

「やったーーー!!!」

「あの狂犬に勝ったぞーーー!!!」

皆が思い思いに勝利の雄叫びを上げる。

その様を見たクロの身体がガクッと崩れる。が、すかさずタマが支えに入る。

「さすが、オイラの唯一の相棒ニャ」

握り拳をクロに突き出す。

「当然だろ」

タマの拳に自分の拳を突き合わせる。

「ーーーータマーーーーっ!!!!」

遠くから、聞きなれたはずなのに随分と久しく感じる、大切な唯一無二の声が響く。

走り回ってやっと愛猫の姿を見つけたご主人は全速力で駆けてくる。

「ジュン!!!」

ジュンはタマの目の前に来るなりその懐に飛び込んだ。

タマはクロとは反対の空いている方の足でジュンを受け止める。

「タマ、タマぁ…!!」

その声は涙と喜びで彩られていた。



「さて、それじゃあオイラたちはそろそろ行くニャ」

近くにあった水道でしっかりと傷口を洗い流し、新しい布切れをキツく巻き付け終えたタマが告げる。

一方のクロはというと、動物病院を勧めたジュンだったが、猫界に敏腕医師がいるらしくその猫に治してもらうと断られてしまった。

「クロ、本当に大丈夫?」

「大丈夫だっつってんだろ。俺のことよりアンタはとっとと自分の身体を元に戻すことだけを考えやがれ」

「ご主人、大丈夫ニャ。コイツはこの程度の傷でくたばるような魂じゃないニャ」

クロはフンッと鼻を鳴らし「当たり前だ」と答える。

タマは少し歩いて痛みが無いことを確認し、振り返る。

「じゃあニャ、クロ。久しぶりに、楽しかったニャア」

「へっ、たまには俺のとこにも遊びに来いや、歓迎してやるよ」

慌てて後を追いかけるジュンだが、「待って!」と告げ駆け戻る。

そして、クロにぎゅーっと抱きつき一言。

「ありがとうクロ!!大好き!!」

「~~~とっとと行けーー!!!」

顔を真っ赤に染めて叫ぶクロ。慌ててタマの元へ走るジュン。涙を流しながら大笑いするタマ。

森へ向かう二匹の背中はどんどんと小さくなっていった。


『ーー何で、か。そいつは多分、猫界ナンバーワンで相棒のお前に初黒星くれてやるのは俺がいい、ってそう思っちまったからだろうな』


『そんなの気付いてたニャ。何年お前の相棒やってたと思ってるニャ』


「「ーーー本当、バカ猫」」



「さてと、んじゃあ俺らは仕上げといくか」



第八章


高いところにあった太陽ももうとっくに姿を隠し、夜の帳が降りる。辺りを木々に囲まれ更に闇が濃くなっている山道を、二つの小さな背中がぽつぽつと突き進む。

ジュンは未だ及び腰ながらも、しっかりと歩みを進めている。

「……タマ」

「どうしたニャ、ご主人」

声を聞くと少しだが安心感に包まれる。

「あのさ、作戦、よくわかったね」

タマは少し考えるように目線を動かす。

「……ああ、さっきのかニャ」

「うん。あの時、クロが新しい作戦を言おうとした瞬間に襲われて…僕はクロの仲間たちに教えてもらってそっちを手伝ってたけど」

そう、ドンの落ちた大穴は、ジュンとクロの仲間たちとが掘ったものだった。まともに戦えるタマとクロが前線で時間を稼いでいる間に。そして二匹に夢中になったドンを穴に落とす。これがクロの描いた作戦だった。

あの後クロにこっそり聞いたの?と、ジュンは首を傾げる。

聞いたというか、と前置きしてタマが続ける。

「わざわざ聞かなくてもアイツの目を見て大体わかったニャ」

その言葉を受け、ジュンは感嘆の声を上げる。

「すごーーいっ!!!マンガみたい!!!」

「漫画って…まぁ、クロとは長い付き合いだからニャ」

「そういえば、よく一緒に戦ってたって言ってたね」

「昔の話ニャ」

タマは少し恥ずかしそうに視線を逸らす。

「昔、かぁ。タマは僕と出会う前はどんな感じだったの?」

無垢な視線が向けられる。

少し考え込むタマだったが、ぽつりぽつりと答え始める。

「あれはまだ、オイラがご主人に拾ってもらう3年も前の話ニャ」

ーーーその三毛猫は路地裏の狭い物陰で産まれた。真冬の冷たい風を凌ぐのがやっとの板の隙間に、母猫と兄妹たちともみくちゃになりながらも仲睦まじく暮らしていた。

やっとぽてぽてとその辺を歩き回れるようになったある日、三毛猫はいつもよりちょっと遠くまで散歩に行くことにした。そしてウキウキ気分で帰ってきて、その光景に愕然とした。

ちょうどその時、猫たちの住処はニンゲンたちに見つかったところだった。そして、三毛猫の家族はニンゲンたちに連れていかれてしまった。

産まれて間もなかった三毛猫は助けるどころか動くことすら出来なかった。偶々、三毛猫のいた場所は垣根の影になっていて気付かれることはなかった。

母猫と一瞬目が合ったとき、「出てきちゃダメよ!!!」と叫んでいた姿は今でも瞼の裏に焼き付いている。

全てが済んで辺りが静かになった時、やっと三毛猫の身体は言うことを聞いた。その晩は三毛猫の姿を写したような土砂降りの雨だった。


太陽が昇った。荒れ果てた板の間から三毛猫はゆっくりと姿を現す。その顔は肉が削げ落ちた様な印象を与える程に、ゲッソリとしていた。

腹が減った。ぼんやりとした頭の中でそれだけを思い、食糧を探しに住処を抜ける。

今日はいい天気のはずなのに、三毛猫には重たい曇り空に見えた。

そんな時だ。いつもなら避けて通るのだが、今の三毛猫の瞳にそいつの姿は映らなかった。

ドン、何かにぶつかった。顔を上げると、ここらでは柄とタチの悪さで有名な犬がこちらを睨み立ち塞がっていた。

ハッと我に帰った三毛猫だったが、遅かった。犬の頭突きが小さな胴体にまともに入り、三毛猫は空き缶の様に転げ飛ばされてしまう。咳き込みながら何とか立ち上がろうとするが、足に力が入らない。

ああ、ここで終わるのか。そんな考えがぼんやりと浮かんだ次の瞬間、形勢が逆転していた。

三毛猫と犬の間に一つの影が滑り込む。その姿を見た犬は尻尾を巻いて逃げていった。

助かった、のか…?その影は威嚇の体制をスッと解き、三毛猫に一言「俺たちと共に来い」と声を掛けた。そこで三毛猫の意識は途切れた。

あとから聞いた話だが、その影は当時のうちの町会ナンバーワンの猫だったらしい。

目が覚めた三毛猫は見知らぬガラクタ置き場にいた。「目を開けたぞーーー!!!」耳にキーンと響く第一声が頭の真横から聞こえ、同時に周囲から喜びの声が上がった。

よくみると身体のあちこちに布切れが巻かれていた。どうやら周りにいるこの猫たちが治療してくれたらしい。

息つく間もなく、ボスと呼ばれる初老猫が入ってきた。

腰を落ち着けると早々に「話は聞かせてもらった」と三毛猫に告げる。続けてこんな提案を持ちかけてきた。「わしらの仲間にならんか」と。

三毛猫は老猫からミケという名をもらい、ナンバーワン猫の下で一年間みっちり修行を積んだ。強くなって、家族をニンゲンの手から連れ戻すために。

その時共に修行をしていたのが、ほとんど同じ時期にこの町会に連れてこられたクロだった。

ミケとクロは常にお互いが競い合うライバルだった。

二匹の成長は目覚ましかった。特にミケは戦闘に、クロは頭脳に、それぞれ特化していった。

ある日、二匹でバディを組み、町会に侵入して暴れまわっている流れ者集団を壊滅させる任務に当たることになった。

そこで二匹は誰もが驚く結果を持ち帰った。侵入した集団だけでなく、その本隊までも殲滅してきたのだ。

その頃からだ。この二匹は最強のバディと誰もが囁き、その名が動物界に知れ渡っていったのは。


ミケが町会にやって来て三年が経ったある日、ミケは決心した。今こそ家族を救い出す時だと、今なら救い出せると。

クロの反対すら押しきって、単身でニンゲンたちのところへ乗り込んで行った。が、これが災いの始まりだった。

ミケはたくさんの猫やら犬やらが閉じ込められているケージを端から順にしらみ潰しに探していく。あれから数年経ってしまったが、血の繋がった家族、会えば必ずわかる。

が、全てのケージを調べ終えても、ミケの家族は見つからなかった。

可笑しい。そんな馬鹿なことがあるわけがない。

今でも忘れることのない、入り口に停まっていたあの檻付きの車に連れて行かれたのだ。

なぜ家族の姿はないのか。

答えは、すぐにわかった。

一周調べ終えたミケがもう一度確認するために最初のケージを覗き込もうとした時、ニンゲンが部屋へ入ってきた。そして、今日の日付が書かれているケージを順に開け、中の動物たちを連れていく。

そしていくら待っても、その動物たちは帰って来なかった。

そこにいた連中に聞くと、彼らはしんでしまったのだと、教えてくれた。

その日の帰り道は足がとてつもなく重かったのを覚えている。

またあの日と同じ様に、雨が降り出した。


それからというもの、任務に就いても全く身が入らず失敗の日々が続いていた。

そんな毎日に焦りと怒りを感じていたのだろう。今のミケには難しいと言われていた任務に勝手に一匹で向かい、大怪我を負ってしまった。そして運悪く、見知った車に乗ったニンゲンたちがやってきた。

ミケは抵抗すらままならず、簡単にニンゲンたちに捕まってしまった。

保健所に運ばれたミケだったが、その怪我の具合から、ミケのゲージに付けられた猶予は三日だった。

四肢を投げ出し倒れているミケの視線はぼうっと宙をさまよう。

ああ、兄妹たちや母さんも、こんな気分だったのかニャア。

その瞳はどこまでも暗く静かだった。


その時だ。真っ暗だった瞳に一筋の光明が指した。

「だいじょうぶ?どこかいたいの?」

幼く高い声音がミケの鼓膜を叩く。うっすらと片目を開けると、ケージを両手で掴んで心配そうに見つめてくる両の瞳が視界に映った。

これが潤との出会いだった。

その直後の記憶はあまり定かではないが、常に温かかったのを覚えているーーー

「最初は戸惑ったニャ。目が覚めたら見知らぬところにいて…」

ふと視線を上げると、そこには大粒の涙をぼろぼろと溢すジュンの姿があった。

「ーー!?!ご主人!?大丈夫ニャ!?」

「うっうっ、だ、だいじょうぶじゃない、たまがだいじょうぶじゃない~~」

せきを切った様に泣き出すジュン。タマは慌ててその頭を撫でる。

「大丈夫、大丈夫ニャ…!ほら、オイラこんなに元気ニャ…!!」

「たまぁ~~ごめん~~ぼく、ぼく……」

涙と鼻水とでジュンの顔はぐしゃぐしゃになっている。タマは慌ててそれらを綺麗に舐め取ってやる。

「んん……いやなこと思い出させちゃってごめんね…」

耳と尻尾をペタりと垂らし、鼻をすすっているジュン。

タマはそんなジュンを思いきり抱き締めてやる。あの時、自分がやってもらったように。

「ご主人、顔を上げてほしいのニャ」

ジュンの背に回した腕の力を緩めずに続ける。

「オイラはこの話をご主人に聞いてほしくて話したのニャ」

ジュンがゆるゆると顔を上げる。

「それに最近思うのニャ。オイラの家族も、きっとこうやって誰かに拾ってもらって、新しい猫生を歩んでるんじゃニャいかって」

ジュンの瞳が潤み始める。

「ご主人に拾ってもらえて、オイラ今とっても幸せニャ。きっとオイラは、ご主人と一緒にいるために生まれてきたんだなぁって。ご主人にも神様にも感謝でいっぱいニャ」

ジュンの瞳からまた涙が溢れ出す。

「ぼくだって…ぼくだってタマに出会えてとってもとっても幸せだよ…!ありがとうでいっぱいだよ…!!」

ジュンもタマの背中に腕を回し、ぎゅーっと抱き締める。

「タマ、大好き、大好きだよぉ…!」

「オイラも大好きニャ、ご主人」

大切な家族の温もりを感じられるように、タマとジュンはきつく抱き締め合うのだった。


「…落ち着いたかニャ?」

うん、と頷き改めてタマに向き直る。

「ありがとう、タマ。もう大丈夫」

真っ赤になった目を恥ずかしそうに隠しながら呟く。

「なんだか僕、今日泣いてばっかり…」

「そんな優しいところもご主人のいいところだニャ」

「もー、また泣かせる気?」

頬を膨らませて抗議するジュン。ごめんニャ、と軽く謝り、タマはまた歩き出す。

「…クロ、大丈夫かなぁ」

タマの後ろを離れないようについていくジュンが心配を漏らす。

が、それを聞いたタマはあっさりと答える。

「ああ、アイツなら大丈夫ニャ」

「…何でそう言い切れるの?」

信頼しているバディなのはわかったが、ドンの一件を一匹で片付けられる程簡単でないこともわかっているジュンは、不安気に問いかける。

その様子を確認したタマは耳をピンっと立てて見せる。

「耳をすませてみるのニャ」

言われた様にジュンも耳を立ててみる。

遠くでドンの咆哮が轟く。それを聞き取ったジュンは慌ててタマに詰め寄る。

「タマ…!!ドンが!!戻った方がいいんじゃ」

「落ち着くのニャ、ご主人。よく聞くのニャ」

タマに制され、もう一度耳を立ててみる。

ドンの鳴き声の他に何やらざわざわと聞こえてくる。

「ん、成功したみたいだニャ」

耳をパタリと倒したタマは、軽快に歩き出す。

一匹おいてけぼりなジュンはタマに説明を求める。

「アイツは頭脳に特化したって話したニャ。でもアイツが一番得意とすることは戦略を立てることじゃないのニャ」

「作戦参謀じゃないなら、何が得意なの?」

ちらとこちらを振り返ったタマは瞳を妖しく煌めかせる。

「アイツは頭の回転の早さとその性格の悪さから交渉・拷問に長け、中でも洗脳術に於いては右に出る者はいないのニャ」


悲鳴を上げて逃げ去っていく保安官たちの背に向かって、ドンは一際大きな咆哮を上げる。

「こんな感じでいかがでしょうか、クロの兄貴!!」

「よーしよくやったドン」

ピシッとおすわりをするドンを高い岩場の上からクロが見下ろしている。

「また何かあったらいつでも呼んでくだせぇ!あっしで力になれることがあったら飛んできやす!!」

「いい心がけだ。よし、その気持ちを評してお前に新しい名、『ぽち』をくれてやる」

「はっ!ありがたき幸せ!!」

更に背筋を伸ばし満面の笑みで答えるドン、改め、ぽち。

「さあぽち、最後の知らせを届けてやれ」

はい!!といい返事をしたぽちは本日一番のバカデカイ咆哮を上げる。

「さて、帰るぞお前ら」

ミケ、あとはお前次第だ。とっととケリつけちまえ。

遠くの森を一瞥したクロはぽちの背に飛び乗ると、そのまま真夜中の路地裏へ消えていった。


「す、すごい…」

状況をほぼほぼ正しく伝えたタマの言葉に、ジュンは驚きを隠せず開いた口が閉まらずにいる。

「よし、オイラたちも先を急ぐとするニャ」

「まって!もう一つだけ…!」

歩きながら一瞬顔だけジュンへ向ける。

「何ニャ?」

「こんなに信頼し合ってる二匹なのに、何で路地裏で会ったときはあんなに険悪な雰囲気だったの?」

それを聞いたタマはばつの悪い表情を浮かべる。

「……あー…それは……」

意を決したように答える。

「オイラが相棒よりご主人を選んだことに嫉妬してるのニャ」

「………へっ?」

猫は嫉妬する生き物だということは本を呼んで知ってはいたが、まさかここでその知識が生きることになろうとは。

「ぼ、僕のせいだったんだ…」

何となく責任を感じるジュンにタマは陽気に返答する。

「まぁそうは言いつつ頼ったときは力を貸してくれるあたり、アイツは真のツンデレ猫なのニャ(笑)」

「そっそんなこと言ったらまた怒られるよ…!」

二匹は揃って笑い合う。先程まで真っ暗に感じていた森も、今は何だか明るく感じる。

空では一面を覆っていた雲がいつの間にか晴れ、月がもう少しで頂点に到達しようとしていた。



第九章


「ーー着いた」

森の中を歩き続けた二匹は少し開けた岩場に到着した。

周囲木々で埋め尽くされているため、空を見上げると円でくりぬいたように夜空が広がっている。

その一番奥に、一際大きい岩がずっしりと置かれている。

タマたちの背よりうんと高く、見上げてもそのてっぺんを見ることは出来ない。

「ここに仙猫が…」

ふと、タマは空を見上げる。もう少しで満月が頂上に到達してしまう。急がねば。

「おーーい、仙猫ーーっ!!いたら返事してほしいのニャーー!!!」

反応なし。タマは負けじと声を張り上げる。

「仙猫ーー!!お願いニャーー!!仙猫ーー!!!」

つられてジュンも一緒に呼び掛ける。

「仙猫さーーん!!お願いです、助けてくださーーい!!!」

ニャーニャーと二匹の鳴き声が響く。

静寂。タマは握りこぶしを地面に叩きつける。

「せっかくここまで来たのに、せっかく…」

ギリギリと歯が擦れる音がする。

「タマ、タマ、もういいよ、ありがとう。何か別の方法を探そうよ」

タマの握りしめた拳から血が流れる。爪が肉球に刺さっているのだろう。

「ありがとうタマ。僕とっても嬉しいよ」

「ダメニャ…これじゃご主人が」

刹那、今までと違う風がぶわっと吹き込み、二匹の間を駆け抜けていく。

その風は渦を巻くように岩場の上に移動し、やがて消え去った。

先程まで何もなかったはずの岩上に一匹の猫が現れる。整えられた毛並みが月光を浴びてキラキラと輝いているように見える。それ程に見事な銀色、いや本当に輝いていたのかもしれない。

そして銀猫はチラッとこちらを見下ろす。

「他猫の名前をぎゃーぎゃー喚き散らしおって。お主ら、何者じゃ」

その風格に圧倒される。目の前の猫から視線が外せない。

「……オイラはタマ。貴方が仙猫で間違いないニャ?」

口火を切ったのはタマだった。銀色の瞳が弓のように細められる。

「いかにも。わしが仙猫じゃ」

空気が張り詰める。言葉の圧が二匹の肩に重くのしかかる。

負けじとタマが仙猫に食いつく。

「今日は頼みがあって来ましたニャ」

「こんなところまでわざわざ足を運んだのじゃ、そうじゃろうなぁ。久しぶりの客人じゃ。実に50年振りくらいかのぅ」

あっという間に仙猫のペースに呑まれる。二匹が二の足を踏んでいることなど気にも止めず木ノ実等を準備し始める。

「あのっ、頼みというのは」

仙猫の独特のペースに焦りと苛立ちを募らせたタマは食い気味に声を張る。が、落ち着けとばかりに風がタマめがけて吹き付ける。

「『猫代わり』のことじゃろう?」

「猫、代わり…?」

ジュンの口から呟きが漏れる。

「人間がある日突然猫の姿となってしまう現象じゃ。50年前にもあったじゃろう」

二匹は町会で老猫に聞いた話を思い出す。

木ノ実を並べ終えた仙猫はふわりと舞い降り、ジュンの前に着地する。

「…!!ご主人!!」

タマが血相を変えて声を上げる。

「大丈夫じゃ、取って食うわけでもあるまい」

仙猫の言葉に警戒体制を解く。それをちらと見やるがすぐに視線はジュンへと戻る。

「さて、少年。わしからたった一つ問わせてもらおう」

ピンっと背筋を正したジュン。押し潰されそうな空気に全力で抵抗する。

「主はその姿になって何を見て何を思った?」

「……僕は…」

少し考えるが、すぐに目線をぱっと仙猫の両の瞳へ戻す。

「僕は、今日一日でたくさんの温もりを感じました。タマと僕、町会の皆、老猫とチビ、タマとクロ…種族や血の繋がり関係なく、そこには温もりがありました。人間と人間も人間と動物も動物と動物も関係なく、そこは愛情でいっぱいでした。人間に戻ったら、僕はこの温もりを皆に伝えていきたい。そして酷いことをする人や簡単に動物を捨てる人、そんな人たちに愛情を教えてあげたい。皆誰かにとって大切な家族なんだ。お互い助け合って、温めあって生きていきたい」

ジュンの脳裏に今日会った町会の皆の顔、そして自分の大切な家族の顔、最後にタマの顔が、ゆっくりと蘇る。

「この世の全ての生き物が幸せになれるように!!」

瞬間、ジュンの周りを力強く風が舞い上がる。

「合格じゃ!!」

「ふへへへ、ありがとう仙猫さん」

照れ笑いを浮かべるジュンに仙猫が問う。

「元の姿に戻ってもよいのか?今ならまだ、猫としてこれからずっとその姿のまま生きていくことも出来るぞ?」

一瞬目線を逸らしたジュンだったが、そっと首を横に振る。

「んーん、僕を待ってる家族がいるから。それに」

タマの方に視線を向ける。

「大事な家族の帰るところをとっちゃう訳にはいかないからね」

目を丸くしたタマだったが、すぐにその表情はほころぶ。

「お見事!!!さぁ行け少年!!君の歩む道が月の光で照らされんことを!」

ジュンは周りを渦巻く風に身を任せ、岩場の上へ飛び上がる。

真ん丸の月が丁度真上へ到達した。月からゆっくりとキラキラ輝く光が降りてくる。その光を辿るようにジュンは空へ舞い上がる。

ジュンは最後にタマを見て、大声で呼び掛ける。

「タマーーっ!!!大好きだよーー!!!」

「ジュンーー!!オイラもジュンが大好きニャーー!!」

息ピッタリに笑い合う。お互い相手に見えるように、大きく手を振り合う。

ジュンの姿はみるみる内に小さくなり、月の向こうへ消えていった。



エピローグ


「くぁ~」

よく寝た~とばかりに手足に目一杯力を入れて丸まっている背骨を伸ばす。脱力。ゆるゆると瞼を開けると朝の心地いい光が窓から差し込んでいる。

もう一眠りしたいところだが、今朝の潤にとってはそれどころではなかった。

急いで部屋中を探し周り、やっと布団の中で丸まっているもふもふに気付く。

「タマ…!タマ」

タマはふわぁと大きなあくびをしニャーンと鳴く。

「タマーーっ!!」

タマをぎゅーっと抱き締める潤。

なんだかハッキリ覚えてはいないが、夢にタマが出てきたような気がする。

「あったかい」

そう、こんな風に、温かくて幸せな夢。

「タマ、大好きだよ」

「ニャーン」



Fin.

いかがでしたか?

おっと、もう起きる時間の様ですね。

それでは皆様、お元気で。また次回作にてお会い致しましょう。

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