〜Cage〜追憶の日々
(貝になりたい)
(誰にも気付かれることない貝に)
ミカンの荷物は全部ミカンの実家に送った。
ナツの部屋に残ったのは必要最低限の物も無く、ひどく殺風景だった。
(ミカンはもうココには帰らない)
心が折れたナツはバニラのカウンターのスツールに座り、立ち登る紫煙を見つめていた。
あの日から、誰かに
「寂しい瞳をしてる」と言われないようにサングラスを掛けるようになった。
1人でいると四六時中想うのはミカンの事ばかり。
忘れようと決めた瞬間からミカンの事を考えた。
息も出来ないくらい募る愛しさ。
苦しすぎて、その度にバニラに逃げこんだ。
店内のBGMは
「ジレンマ」
ミカンの好きだった曲。
少し鼻にかかった甘ったるい声で口ずさむミカンが一瞬で蘇る。
アイシテル―嘘っぽくて大嫌いな言葉だった。
なのに今なら心から言えると思った。
(あの時この一言が言えたなら。今この横には....)
大事な事は、いつだって手遅れになって気付かされる。
気付いた事を伝えたい人はもう隣にはいない。
「トムさん、この曲止めて下さい」
ナツは店に来て一時間ぶりに口を開いた。
トムは何も言わず、軽快なロックナンバーをセレクトした。
ナツの携帯が鳴る。
(もしかして!?)
淡い期待。
掛かってくるハズもないのに。
未だに番号を変更出来ずにいた。
ディスプレイには[こやじ]
落胆の色を隠せぬまま通話ボタンを押す。
右耳に電話が当たる瞬間
「カチッ」と音がした。
「もしもし。えっ、今バニラ。.....迎えに来い?フザケンなよっ!雨降ってんだろ!.....よくねぇよ、俺は雨が大っ嫌いなんだよっ!来たけりゃタクって来いよっ。じゃあな!!」
(雨は嫌い。あの日も雨だったから)
翌日、TVのキャスターが梅雨入りを宣言した。