2 止めてしまった時間
父さんが久しぶりに家に帰ってきたのは、お盆を過ぎてからのことだった。仕事を調整して、休みをずらしてもらったらしい。
明日は父さんと一緒に行かなければならないところがあった。部活を休みにしてもらって、行く準備はできていた。
その日の夜は、久しぶりに帰ってきた父さんが手料理を振る舞ってくれた。単身赴任で鍛えられたようで、かなり料理も上達しているようだった。
翌日、僕は制服姿になり、喪服姿の父さんとタクシーに乗って寺へと向かった。寺に到着すると、暑い日差しが刺すように照りつけてきた。
父さんは忙しそうに立ち働いていた。僕もわからないながらも手伝えるところは手伝った。そのうち親戚たちも続々と集まってきた。そして僧侶の登場とともに、母さんの一周忌の法要が始まった。
法要が終わると、親戚たちはそれぞれ帰っていった。僕と父さんはそのあとにまた菩提寺の裏手にある墓所へと戻り、母さんの遺骨が眠る墓石の前に立っていた。
「もう、一年経つんだな」
ぽつりとつぶやくように、父さんが言った。
「うん」
言われてみて、もうそんなに経つのかとあらためて思った。
僕はずっとあの日から、自分の中で時を止めてしまっていた。
あの、一年前の夏の日。僕は剣道個人の部で、全国の切符を手に入れていた。H県で行われる全国中学校剣道大会に、僕は出かけていたのだ。顧問の先生が車を出して、代表で一部の部員とともに朝からでかけていた。その中には和哉の姿もあった。
会場には多くの人たちが来ていた。応援に来ている人たちも大勢いて、賑わしかった。うちは両親とも仕事と用事が重なっていて、来られないらしかった。特に母さんは、見に行けないことをとても残念がっていた。
試合が順番に始まり、僕は並みいる強豪たちを前に緊張していた。初戦はどうにか勝利して、応援に来ていた先生や部員たちも喜んでくれた。しかし、全国大会はそう甘くはなく、二戦目は健闘虚しく敗れ去った。
結果はともかく、中学校三年間の集大成はそうして有終の美を飾ったかに思えた。そのあとに先生の携帯に連絡が入るまでは。
病院に着いたときには、もう父さんが壁際のベンチにうずくまるようにして座っていた。顔はげっそりとやつれて、目には生気がなかった。
――母さんは! 母さんは!
落ち着かせようと僕の肩を抱いていた顧問の先生の腕を振り払い、僕は父さんに掴みかかった。
父さんは僕の目を一瞬見たが、すぐに視線を逸らして力なく首を振った。
母さんが眠っているという場所に案内されると、そこには白い布をかぶせられた母さんの姿があった。
僕は絶望した。どうしてこんなことになってしまったのか、わからなかった。
母さんは、用事を早めに切りあげ、僕の応援に駆けつけようと軽自動車で会場まで急いで向かっていたらしい。その途中で事故に遭ってしまったそうだ。
わからなかった。なにもかもが嘘だと思った。
剣道のせいだ。僕が剣道なんかしていたから、こんなことになってしまったんだ。
単身赴任で東京に住んでいる父さんは、そちらで一緒に暮らそうと言ってくれたが、今さら転校したりなどとてもする気になれなかった。しばらくは親戚のおばさんに家のことなどを頼んで、父さんは葬式などのことが落ち着くと、赴任先の東京へと戻っていった。
夏休み明け学校へ行くと、絶望から立ち直れないままの僕を、和哉が誘った。悪気はなかったんだと思う。僕を哀しみから立ち直らせようと、単純に思ってやっていたのだと思う。しかし、そのときの僕には、それが悪意に満ちたものにしか思えなかった。
体育館で笑顔で竹刀を渡してきた和哉に、憎しみのような感情が沸々と沸き起こってきた。
――全国なんか行かなければよかったよな。
その言葉で、僕の中のなにかがぷつりと切れた。頭の中は真っ白だった。気づいたときには、手にした竹刀で和哉を打ちのめしていた。気づいた先生たちが止めに入らなければ、どうなっていただろう。
幸い和哉はたいした怪我はしていなかった。和哉もただの喧嘩だと先生たちに説明したため、大ごとになることはなかった。しかしそれ以来、和哉と口を聞くことはなくなった。
家に帰り、部屋に置いてあった剣道具を物置にぶち込み、竹刀を庭に叩き付け、足でへし折ってその辺りに捨てた。
なにもかもが嫌だった。どこか遠くへと逃げてしまいたかった。
居間のソファで伏せっていると、懐かしい声が聞こえてきた。
――小太郎。どうしたの?
顔をあげると、いつの間にかそこには母さんが立っていた。いるはずのない人の姿に、僕は驚きで目を瞠っていた。
――ほら、制服脱がないと。皺になっちゃうでしょう。
今まで僕は悪夢を見ていたのだと、そう思った。それが母さんの幽霊だということは、わかっていたはずなのに――。
しかし、いろいろなことに疲れ果ててしまった僕は、その幸せな夢に身を委ねてしまった。家ではいつものように母さんがいる。なにも以前と変わってなんかいない。そう自分自身に言い聞かせることで、精神のバランスを保っていた。
いろいろ手伝いに来てくれていたおばさんのことも、もう来ないで欲しいと追い返した。家に他の人をあげるのは嫌だった。
現実逃避して、普通に母さんが生きているように生活していくことは、忙しくもあったが気持ちはとても楽だった。端から見たら、さぞ滑稽だっただろう。
母さんが作った料理を食べているかのように、自分で作った下手くそな料理をおいしそうに食べた。母さんに頼まれたふりをして、ゴミ出しにも行った。たまには掃除しなさいと怒られて、仕方なく掃除機をかけた。
母さんは確かにそこにいた。けれど、それは実体をともなわない幽霊なのだ。
しかし、それを考えることを、僕の心が拒否していた。それを考えてしまったら、もうどうしていいかわからなかった。
秋庭学園の特待生の話が来たのは、そんなときだった。他にも剣道での推薦の話もあったが、そのときの僕はもう剣道を続ける気はなかった。だから、秋庭学園の話は渡りに船だったのだ。




