4 信じられない光景
目を開けると、目の前に信じられない光景が展開されていた。
なにが起こっているのだろう。僕は一瞬時が止まってしまったのかと思った。しかし、それは違っていた。水は途絶えることなく流れ続けている。
沢の水の色は、先程と変わらず濁りのない透明さを保っていた。
「な、なん――っ?」
佐々木先輩は言葉を途中で失っていた。呆然と目の前の光景に目を奪われている。
ああ、そうか。
これは――。
そのとき、僕の後方から駆けあがってくる足音が聞こえてきた。
「幸彦ーッッ! 手伝えっ。早く!」
美周の叫び声とともに、幸彦がさっと僕の前を横切り、目の前の状況を素早く判断した。そして、川にいる大野先輩に向かって広げた両手を差し向けた。
大野先輩は頭が岩にぶつかる寸前で、宙に浮いて止まっていた。美周と幸彦が、必死の形相で大野先輩に広げた両手を向けている。
――念力。念動力。英語ではテレキネシスと呼ばれる。
自分の念を送り込むことによって、物体を動かしたり持ちあげたりできる力。
美周と幸彦は、その力の能力者なのだ。
僕が慌てて沢に入り、大野先輩の元に駆け寄ると、佐々木先輩もはっとして、すぐに殴ってしまった相手の体を支えた。僕と佐々木先輩で、大野先輩を支えて沢からあがると、ようやく大きく息がつけた。美周と幸彦も『力』を使ったためか、かなり疲弊した様子だった。
沙耶ちゃんと相田も駆けつけ、この騒ぎに呆然としていた。
「どうにか、最悪の事態は食い止められたようだな……」
美周が荒い息をつきながらそう言った。
「ああ。お前がいてくれてよかった。もう間に合わないんじゃないかと思ったよ」
本当に、この場に美周がいなかったらと思うとぞっとした。美周の力がなかったら、大野先輩は助からなかったかもしれないのだ。もしかすると、こういう事態に備えて、美周はずっと見張り役を買って出ていたのかもしれない。
それにしても、なぜこんな事態になっていたのだろう。大野先輩は殴られたときに気を失ってしまったようで、今は静かに眠っている。問題は佐々木先輩だった。佐々木先輩は夢でも見ているかのように視線を宙に漂わせ、呆然と座り込んだまま動かなかった。
「佐々木先輩……」
僕が声をかけると、佐々木先輩はびくりと肩を震わせた。そして、きょろきょろと周りを見回した。
「な、なんだったんだ。さっきのは。お前ら、なにかしたのか?」
事態を把握できていない佐々木先輩は、挙動不審を通り越し、目に見えて怯えていた。
「先輩。どうされたんですか。なにかおかしいことでもありましたか? 夢でも見てたんじゃないですか」
そんなことでごまかしきれるはずもないのに、美周は涼しい顔でそんなことを言った。
しかし、やはり佐々木先輩の不審な表情は変わらなかった。しばらく佐々木先輩は僕たち面々をきょろきょろと眺めていたかと思うと、はっとなにかを思いついたような顔をした。
「そうか。お前らG組の奴らか。やはり噂は本当だったんだな」
佐々木先輩はそう言ったかと思うと、途端に僕たちに侮蔑を込めた視線を投げつけてきた。
「気味が悪い。化け物じみた連中だって誰かが言ってた。妙な力を持ってるって……」
鋭利な刃物のように、その言葉は僕の胸をえぐった。絶対に、沙耶ちゃんたちには聞かせたくなかった言葉だ。しかし、それはもう遅い。
「あんた、状況わかって言ってる? その力のおかげで最悪の状況をまぬがれたんでしょ! まずは謝罪か感謝の言葉が先じゃないの?」
相田が厳しい顔で怒った。当然だろう。いくら佐々木先輩が混乱しているからといって、ここは相田の言うとおり、違う言葉が出てしかるべき場面だ。
しかし、佐々木先輩は俯いたまま、なにも言わなかった。
哀しかった。佐々木先輩は、本来こんな人ではないはずだ。剣道部の主将として、上に立つにふさわしく、時に厳しく、優しい人だったはずだ。正しいことは認め、間違いは毅然と正す。尊敬すべき先輩だったはずだ。
それなのに、なぜ。いろいろな頭で整理できないことが重なってしまったとはいえ、こんなふうに僕たちを拒絶するような態度を、あの佐々木先輩がとっていることが、とても哀しくて悔しかった。




