3 言い争い
目が覚めたとき、辺りは真っ暗で、一瞬どこにいるのか忘れていた。いつの間にやら僕は眠ってしまっていたらしい。随分と古い夢を見ていたような気がする。
そういえばまだ合宿中だったことを思い出し、僕は辺りを見回した。槇村先輩は、隣のベッドでごうごうといびきをかきながら寝ている。時計を見ると、深夜の十一時半をまわったところだった。
カーテンを開け、窓を開けてみる。辺りは真っ暗でとても静かだ。
うっかり寝てしまったが、沙耶ちゃんはどうしているのだろう。本当に今夜、沙耶ちゃんの見たという夢の場面が、現実として現れるのだろうか。
外に耳を澄ます。人の声らしきものは、今のところ聞こえてこない。そういえば、佐々木先輩は今ごろまだ部屋にいるのだろうか。気になって、少し廊下に出てみた。辺りはしんと静まりかえっている。みな、自分の部屋でそれぞれ休んでいるのだろう。
廊下の隅で、再び佐々木先輩が出てくるのを待つ。これは賭けのようなものだ。僕は沙耶ちゃんの夢を信じている。なぜだか信じたかった。それが、当たらないほうがいいような内容だとしても。
しばらくして、どこかの扉が開く音がした。そっとのぞくと、佐々木先輩が部屋から出てくるところだった。
僕の心臓は跳ねあがった。やはりという気持ちと、まさかという気持ちが、同時に胸に渦巻いた。とにかくついていくしかない。
佐々木先輩は、階段をおり、誰もいなくなったロビーを抜けて、非常口から外へと出て行った。通常の玄関のほうは、戸締まりされていて、自動ドアも動かないようだ。僕も佐々木先輩のあとを追い、非常口から外に出た。
外は暗かった。外灯がところどころあるだけで、その向こうの森は、まったくの闇でしかなかった。佐々木先輩は、中庭のあるほうへと向かっていた。沙耶ちゃんの夢のとおりなら、そこで神谷先輩と出会うはずだ。僕は佐々木先輩に気づかれないように注意を払いながら、あとを追い続けた。
中庭にたどり着くと、外灯の下のベンチで誰かが座っているのが見えた。神谷先輩だ。
なんということだろう。沙耶ちゃんの夢は本当だった。しかし、だとすると、このあと先輩たちは大喧嘩をすることになる。このまま見ていてもいいのだろうか。
先輩たちから少し離れた木の陰で、僕は様子をうかがうことにした。
「おまたせ。ごめん。呼び出したの俺のほうなのに」
「ううん。わたしもついさっき来たところだから」
先輩たちの様子は遠目だがなごやかに見える。特に剣呑としているようにも思えない。
「それで、話ってなに?」
「ああ。そのことなんだけど……」
佐々木先輩は急に口ごもった。なにか言いにくいことなのだろうか。
「大野から聞いたんだけど、この前、街中で見かけたらしいんだ。律穂のこと。それで、そのとき知らない男と一緒だったって……」
その台詞のあと、しばらく長い沈黙があった。なにやら恐ろしくて、僕は木の陰でうずくまったまま、動けずにいた。
「……それで、わたしのこと疑ってるんだ」
神谷先輩の言葉は静かだった。どういう感情でいるのか、わからなかった。
「疑っているわけじゃないけど、はっきりしたい。そいつは誰なんだ。どうして一緒にいたんだ?」
佐々木先輩の声は切実だった。間違いだと言ってほしい。ただの勘違いだと。そんなふうに心の声が聞こえてくるような気がした。
「大野くんの言ってたことは本当よ」
神谷先輩の答えは残酷だった。佐々木先輩のうろたえている様子がわかる。
「だけど、それはただの友達。全然佐々木くんの思ってるようなことはなにもないから」
「……なんだよそれ。ただの友達となんで二人きりで会ってるんだよ。なんかやましいことがあるからなんじゃないのかよ!」
佐々木先輩が声を荒げた。いつもの部活で見るような落ち着きは、今の彼にはかけらも見えなかった。
「わたしのことが信じられないんだ。わたしがやましいことしてるって、そう思ってるのね」
「だって、どうしてそんなふうに他の男と平気で会ったりできるんだ。そんなのおかしいと思わないか?」
「だから、その人は本当にただの友達なの。友達と会っただけで、どうしてそんなふうに言われなきゃならないの?」
「女同士ならなにも言わないよ。わかるだろ。きみがそいつのことを友達だと思っていても、そいつのほうはどう思っているかわからない」
「やめてよ! 本当にそんなんじゃないから。そんなことくらいでごちゃごちゃ言わないでよ!」
神谷先輩はとうとうその場を立ちあがった。
「もういいよ! いつもそう。わたしはあなたの所有物じゃない! わかってくれないなら、もうわたしたち終わりだよ!」
神谷先輩はそう言い放つと、その場を走り去った。佐々木先輩は呆然としてその場で立ち尽くしている。
僕はいてもたってもいられなくなって、思わずその前に飛び出した。
「うわ! な、なんだ。篠宮。なんでここに……」
佐々木先輩はものすごく驚いていたが、僕は構わずに言った。
「先輩! 早く追いかけないと! 今行かなきゃ、絶対後悔します!」
「え、でも……」
「でもじゃありません! 早く行ってください!」
僕は強引に佐々木先輩の背中を押した。どうか間に合ってくれ。神谷先輩の心が遠くに行ってしまう前に。
佐々木先輩が神谷先輩を追いかけて走り去るのを見届けると、ほっと息をついた。このままあの二人が別れてしまうのは、嫌だった。昨日ロビーで見た二人は、とても幸せそうに見えた。だから、こんな些細なことで別れてしまうのは、もったいない。うまく仲直りができればいいと思う。
空を見あげると、満天の星空だった。これで、沙耶ちゃんの予知夢は当たった。わかっていたことだが、本当にそれが目の前で起こるのを見て、少し恐ろしいような感覚になった。トリックでもなんでもなく、ただ、本当に夢で見たことが現実として再現される。すごい。確かにそれはすごい力だ。けれど……。
沙耶ちゃんはどうしているだろう。窓から先程の光景を見ていたなら、まだそこにいるのかもしれない。




