2 僕の好きな子
昔、沙耶ちゃんと僕が小学生だったころ、何度か帰り道で一緒になって話すことがあった。あるとき、沙耶ちゃんは自分が見たという夢の話を僕にしてくれた。その夢の中で、僕は捨てられていた子猫を拾い、学校の体育館の裏で隠れて世話をしていたらしい。
その話を聞いたときは、変わった夢を見るんだなというくらいにしか思わなかったのだが、その数日後、本当に僕は捨てられていた子猫を拾ってしまった。家では両親とも猫が苦手で飼えないため、仕方なく、僕は学校の体育館の裏で隠れて子猫を世話していた。昼休みに子猫の様子を見に行くと、そこには沙耶ちゃんがいて、「ほら、やっぱり子猫拾ったね」と言って笑っていた。
そのあとも、何度かそういうことがあった。子供ながらに不思議に思ってはいたが、深く考えることはなかった。ただ、そういうものなのだとそのころは思っていた。
ただ、なんだかとても嬉しかった。僕が霊が見えるのと同じように、沙耶ちゃんは未来が見えるのだ。僕だけじゃなかった。僕よりももっとすごい子がいる。そのことは、僕の中で大きな衝撃をもたらした。と同時に、大きな安心感をもあたえてくれた。僕はひとりぼっちなんかじゃない。仲間ができたんだ。
僕と沙耶ちゃんは、そんなこともあって自然と仲良くなっていった。
沙耶ちゃんを好きだと自覚したのは、いつごろのことだろう。
このときだという、はっきりとしたことは覚えていない。しかし、きっともう出会って間もないころから惹かれていたのだと思う。
沙耶ちゃんが転校してきたとき、可愛い子が入ってきたなと思った。でも、教室では恥ずかしくて声なんかかけられなかった。そのうち、沙耶ちゃんはクラスの男子にからかわれることが増えていった。でも、僕にはその理由がわかっていた。リーダー格の子が沙耶ちゃんを好きだったのだ。体育の授業のとき、彼がずっと目で沙耶ちゃんを追っているのに気がついたとき、そう確信した。気を惹きたいがために、そんなことをしてしまう彼の気持ちが、なんとなくわかってしまった。
ずっと忘れていたが、沙耶ちゃんが話してくれたことで思い出した。いつだったか、道場に向かう途中で、男子連中にからかわれる沙耶ちゃんを見かけた。僕は頭の中がかっとなって、思わず竹刀を振り回していた。男子たちはさっと離れていったが、リーダー格の彼だけは、最後まで遠くから僕を睨みつけていた。
彼の名は、松井和哉といった。和哉は小学三年生になったとき、僕と同じ道場に入ってきた。僕は驚いたが、一緒に稽古を続けていくうちに、同い年ということもあり、仲良くなっていった。和哉は初めのうちはまったく僕に敵わなかったが、道場に通いだして一年を過ぎたころから、めきめきと強くなっていった。僕も和哉に負けまいと稽古に励み、お互いにいい刺激となっていた。
あるとき和哉が、僕に言ってきたことがある。
――俺、葉月沙耶が好きなんだ。
その言葉は、僕の胸にぐさりと突き刺さった。まさかそんなことを聞かされるとは、思ってもみなかった。
――小太郎はどうなんだ。お前もそうなんじゃないのか?
小学生のころのことだ。好きな子がいたとして、どうこうなりたいとか、そういう気持ちはなかった。ただ、いいなと思うだけで、それだけで十分だった。
だから、いざそんなふうに訊かれて焦ってしまった。あのときどんなふうに答えたんだろう。ただ、それによっていやおうなく自分の気持ちに気づかされた。
僕は沙耶ちゃんを好きなんだ。
それはまぎれもない真実として、僕の中に留まっていくことになる。
僕と和哉は、お互い告白するなどということもせず、ただ同じ気持ちを抱く同志として、とてもいい関係を保っていた。
僕たちが五年生になったある日、沙耶ちゃんは突然また転校することになった。あまりにも急で、僕と和哉はただただ呆然とするしかなかった。
クラスの何人かと一緒に見送りにも行ったが、あまりに突然すぎて、沙耶ちゃんがいなくなってしまったという実感が沸かなかった。それを実感するのは、もう少しあとのことだ。学校のどこにも沙耶ちゃんの姿がないことや、登下校で沙耶ちゃんの姿を見ることがなくなったことで、もう会えないんだということをじわじわと思い知らされた。
哀しくて、苦しかった。
そんな思いを断ち切るように、僕はより一層剣道に打ち込んだ。それは、和哉も同じのようだった。竹刀を振るっているときは、余計なことを考えなくていい。剣道をやっていてそんなふうに思ったのは、それが初めてだった。




