12 苦い味
合宿所にたどり着き、美周を部屋のベッドで寝かせると、その辺にあったタオルを水で絞って美周の額に乗せた。眼鏡ははずして枕元の棚の上に置いてある。
美周の部屋は、幸彦との相部屋だ。隣のベッドには脱ぎっぱなしの靴下や、雑誌や歯ブラシといったものが散乱している。整然としていた美周のベッドとは対照的だった。
「フロントのおばちゃんに氷枕みたいなのないか、あとで訊いてくる。あと薬と体温計も」
「悪いな……」
布団を首までかぶり、顔だけをのぞかせた美周が、珍しくもそんなことを言った。
「お前、無理して見張り続けてたんだろ。調子悪かったらちゃんと言わないと駄目だぞ」
美周はそれには答えず、細く開けた目で天井を見つめていた。
「それと、明日は一日ここで休んでろ。沢の見張りは僕たちが交代でなんとかやるから」
僕がそう言うと、美周は視線をこちらに向けてこう言った。
「それは飲めない。明日も見張りは僕がする」
一瞬言葉を失った。なにを言っているんだ。
「馬鹿かお前! こんな熱があるのに行けるわけないだろ! いいからおとなしく休んでろよ」
「いいや。駄目だ。これだけは譲れない」
わけわからねえ。譲れないってなんだよ。
「こんな熱で行ったって、どうしようもないだろ。事故を未然に防ぐどころか、自分の身が危うくなるだけだ。絶対にやめろ」
「熱は今晩で治す。だから大丈夫だ」
なにを根拠にそんなことを。こんなわがままな美周は見たことがない。まるで駄々をこねる小学生だ。僕はあきれて彼の顔を見つめた。
「美周。そりゃあ気になるのはわかるけど、ここは僕たちに任せろよ。これ以上沙耶ちゃんを心配させてどうするんだ」
美周はしばらく押し黙ったあと、静かな声で言った。
「頼む。沙耶くんたちにはこのことは黙っておいて欲しい。もちろん先生や他の生徒にも。本当に無理だと思ったら、お前の言うとおり、おとなしくしておく。だから明日のことは、まだ僕に任せておいてくれないか」
静かな、しかし強い意志を感じさせる口調。ここまで自分がやることにこだわるのは、なぜなのだろうか。沙耶ちゃんと口論になったときにも言っていた。これは自分のためでもあると。やり遂げることに、なにか意味があるとでもいうように。
「……わかったよ。だけど、明日熱がさがっていないようなら、強制的にベッドに縛り付けてやるからな」
僕がそう言うと、美周はようやく安心したのか、そのまま目蓋を閉じた。
部屋を出て、フロントで薬や氷枕などを借りて再び戻ると、美周は静かに寝息をたてていた。頭に氷枕をあてがい、薬と体温計、それに自販機で買ったスポーツドリンクを枕元の棚の上に置いて、部屋をあとにした。そろそろバーベキュー場に戻らなければ。沙耶ちゃんたちが心配しているかもしれない。
外に出ると、すっかり辺りは暗くなっていた。頭上にはもう星が瞬いている。バーベキュー場に戻ると、まだ随分賑わっていた。当初より人数も増えている。
僕が姿を現すと、すぐに沙耶ちゃんが駆け寄ってきた。
「遅かったね小太郎ちゃん。美周くんは?」
「ああ。ちょっと疲れたから部屋で休むって」
僕は笑顔でそう言った。沙耶ちゃんに本当のことを伝えたら、明日も見張りを続けるつもりの美周の計画は、絶対に阻止される。今のところは、美周の意志を尊重して隠しておくことにした。
「そうなんだ。せっかくなのに残念だな」
沙耶ちゃんは残念そうな顔をしたが、僕の言葉を疑ってはいないようだった。
「なんかまだまだ賑わってるね。なにこれ。パエリアとかいうやつ?」
沙耶ちゃんが手にしていた皿の中には、サフランライスと魚介が入っていた。
「そうそう。ここのシェフがさっき持ってきてくれたの。小太郎ちゃんのぶんも、もらってきてあげる」
そう言って、沙耶ちゃんはまた人だかりの中に入っていった。辺りは賑やかな笑い声やしゃべり声で満ちていた。真っ暗な森に囲まれながら、ここだけが明るく楽しげだ。
振り返って合宿所に灯る明かりを眺める。ぽつりぽつりと部屋に電気が灯っていたが、まだ暗い部屋のが多いくらいだった。
「小太郎ちゃん、おまたせ」
沙耶ちゃんが僕のぶんのパエリアと、割り箸も持ってきてくれていた。
「ありがとう沙耶ちゃん。じゃあ、いただきます」
黄色いお米を口に運ぶと、香ばしくてとてもおいしかった。しかし、なんとなくそれ以上箸が進まない。
「あれ? おいしくなかった?」
「いや、そんなことないよ」小首を傾げる沙耶ちゃんに、笑ってそう言った。
今ごろ一人で熱に浮かされながら寝ている美周のことを思うと、なんだかひどく落ち着かなかった。こんなふうに僕だけがここにいることが心苦しかった。
もう一度パエリアを口に運ぶ。口に含んだそれは、なんだか苦い味がした。




