11 夕陽に伸びる影
午後からの部活も、角谷先生の指導で充実した稽古ができた。部活の間は特別に変わったこともなく、佐々木先輩や神谷先輩の様子もいつもと変わらなかった。
部活が終わると、部員たちは早々に道場から出て行った。これからバーベキューの準備をしなければならないのだ。僕も大慌てで支度を済ませて、バーベキュー場へと急いだ。
バーベキュー場に行くと、そこには新田先生や角谷先生、相田や幸彦がすでに来ていた。向こうの島のバレー部の軍団の中には、小林の姿もあった。しばらくして沙耶ちゃんもそこに加わった。
先生や先輩たちを中心に、バーベキューの支度が着々と進んでいた。部活の疲れと空腹もあって、特に男子連中のバーベキューへの情熱には、早く食事にありつきたいという執念のようなものが感じられた。僕も先輩たちの指示に従って、炭をおこしたり網の用意をしたりしていた。
「桐生くん。美周くんはまだ見張りしてるの?」
「ああ。まだ明るいうちはあそこにいるみたいだぜ。まあ、暗くなってきたらやってくるんじゃねえの」
沙耶ちゃんと幸彦が、近くでそんなことを話していた。沙耶ちゃんは、どうしても美周のことが心配らしい。
「あんまり遅いようなら、あとでちょっと見に行ってみるよ」
僕がそう声をかけると、沙耶ちゃんは少し安心したように頷いた。
バーベキューの支度が整い、肉や野菜などが網に並べられると、新田先生が「今日はみなお疲れ様でした。たくさん食べてまた明日からの英気を養いましょう」と言って乾杯の音頭を取った。もちろんみんな、コップの中身はジュースかお茶だ。
「わー。なにこのお肉。超おいしい!」
「黒毛和牛だって。しかもA5ランクの。贅沢だよね」
さすがこんなところでも秋庭学園の財力を感じてしまう。黒毛和牛を始め、豚肉やソーセージ、他にも新鮮な野菜や魚介類などが揃い、贅沢すぎるバーベキューに舌鼓を打った。
「いいねー。自然の中でみんなでバーベキューすんの。あたし合宿来てよかったよ」
相田はそう言いながら、網の上の肉を摘んだ。幸彦も、嬉々として肉を自分の皿に入れまくっていた。小林もバレー部の仲間とひととおり会話をしたあと、こちらにも混ざってきて一緒に肉を食べ始めた。
そうしているうちに、辺りはいつの間にか夕闇に染まり出していた。西の空が美しいグラデーションを描き出し、涼しい風が夜の気配を運んできていた。
そろそろ美周も引きあげて来るころだろうか。今日も一日何事もなく済んだのだろうか。
ふと沙耶ちゃんを見ると、少し遠くの森のほうを静かに見つめていた。やはり、美周のことが気になりだしたのだろう。
「沙耶ちゃん。ちょっと僕が美周の様子見に行ってくるよ」
「あ、じゃあわたしも……」
「沙耶ちゃんはいいよ。ゆっくりしてて」
そう言って、僕はバーベキュー場から小走りで離れた。気配で沙耶ちゃんが、なおもついてこようとしていたのがわかったが、すぐにあきらめたようだった。さすがに今日の稽古は結構疲れた。沙耶ちゃんはもっとだろう。あまり歩かせるのも女の子には酷だと思う。
夕焼けに照らされた山あいの道を進んでいく。先程の騒がしさから少し離れただけなのに、別世界に来たようだった。虫の声はうるさいくらいに聞こえていたが、人の喧噪とは違って、森の空気と調和していた。虫の声以外にも、風で葉が擦れ合う音やなにかのざわめきなど、様々な音が周囲に満ちていた。それは、森に生きる生命の息遣いのようでもあった。
そんな道を進んで行くと、向こうに人影が見えてきた。夕陽で長く伸びた影は、ゆっくりとこちらに近づいてきていた。
「篠宮。こんなところでなにをしている」
美周は立ち止まると、僕の顔を伏し目がちに見つめながら言った。
「お前の様子を見に来たんだよ。沙耶ちゃんが心配するからさ」
「そうか」
ちょうど引きあげてきたところだったようだ。さすがに暗くなってきて、美周も戻る判断をつけてきたのだろう。
「それで、どうだったんだ。今日も変わったことはなにもなかったのか」
「ああ。こうなると、もう明日が問題だ。このままなにもないまま過ぎるかどうか、明日になってみないとわからないな」
美周はそう言うと、再び歩き出した。僕もそれに続くように、来た道を戻っていく。長い影が二つ、道に並んだ。しばらく二人とも黙ったまま歩き続けていたが、なんとなく沈黙が耐えられなくなって、僕はこんなことを美周に質問してみた。
「美周はどう思う? 予知夢がはずれることのが、沙耶ちゃんにとってはいいことなんだろうか。それとも……」
「それは……どちらとも言えないんじゃないだろうか。今回のような場合ははずれてくれたほうがいいとは思うが、逆に当たってほしい場合もときにはあるだろう。ただ、今回の夢がはずれた場合、またその夢の内容がいつか起こるのではないかという不安だけは残ってしまう。結局当たってもはずれても、沙耶くんにとってはあまりいいことではない」
美周の答えはまったく正論で、付け入る隙はなかった。その答えに僕は頷く。
「予知夢なんて、そもそも見られないほうが幸せなんだろうな」
東の空が次第に藍色を帯びてきていた。僕と美周の間に再び沈黙が落ちる。なぜ美周にこんな話をしてしまったのだろう。結局答えなんか出るわけがない。ただ、美周ならわかってくれるような気がした。沙耶ちゃんの幸せを、ともに考えてくれるような気がしたのだ。
「……お前はすごいな」
つぶやくような声で、美周がふいにそんなことを言った。
「え?」
「そんなふうに、相手のことを思い遣れる奴なんてそうはいない」
美周の横顔を見あげたが、影になって表情が見えなかった。それは違う。それを言うなら、お前だってそうじゃないか。そう言おうとしたが、なぜか声が出なかった。
みな、様々な思いを抱えている。僕や沙耶ちゃんだけではない。美周だって、どんな思いを抱いてこれまで生きてきたか知れない。
前に視線を戻し、しばらく歩いていると、ふいに前に伸びていた影のひとつが、ぐらりと大きく揺れた。はっとして横を見ると、美周がその場にしゃがみこんでいた。
「えっ。おい! どうしたんだ?」
顔をのぞき込むと、美周は苦しげに眉間に皺を寄せていた。額にはじんわりと汗まで滲んでいる。
「大丈夫だ。構わず行ってくれ」
「馬鹿。ほうって行けるかよ」
手を貸そうと美周の腕を掴むと、その熱さに驚いた。
「お前、熱あるんじゃないのか?」
見れば呼吸も少し熱を帯びている。美周の額に手を当てると、かなり熱が高かった。体も小刻みに震えている。悪寒がきているのだ。
「大丈夫だ。たいしたことじゃない……」
美周はそう強がるが、そんな病人の戯言に耳は貸せなかった。
「なに言ってるんだよ。ほら、肩貸すから。とにかく部屋まで連れていく」
美周はなおも拒んでいたが、僕は強引に美周の腕を自分の肩に回させた。立ちあがり、美周の体を支えるようにして歩き出す。身長差で少々アンバランスだが、仕方がない。僕はそのまま美周を連れて、合宿所へと向かうことにした。




