10 沙耶の意外なスイッチ
午前中の稽古はそうして終わり、昼の休憩になった。食堂に行くと、すでに相田が今朝と同じ席に座っていた。僕たちを見つけると、大きく手を振ってきた。
「部活どうだったね。なんか今日は怖そうな爺さんが来てたようだけど」
相田にかかると、角谷先生もただの怖そうな爺さんにされてしまう。
「角谷先生っていって、すごい人なんだよ。なんか剣道の達人って感じですごくかっこいいの。その道を極めてきたって雰囲気っていうか、すごい迫力があって。ホント超かっこいいの!」
沙耶ちゃんはそんなふうに力説した。なんだか目がキラキラしている。角谷先生がすごいというのはわかるが、超かっこいいとは……。
「沙耶のそういうスイッチって妙なところで入るよね。なんかすごいツボだったみたいだね」
「うん。もうね。怖いけど、また午後からも指導してくださるかと思うと、なんだかドキドキしちゃって」
「なにそれ。それじゃ恋する乙女の発言だよ」
な。ま、まさか沙耶ちゃん。
「もー。そういうのじゃないけど。尊敬っていうか、あこがれというか。わかるでしょ」
ほっとした。そうだよな。いくらなんでも角谷先生は違うよな。
そのうち幸彦も姿を現した。小林はなかなか姿を見せない。また今日もバレー部のしごきにあっているのだろう。
幸彦が席に着くのを見て、僕は話しかけた。
「美周と交代してきたのか?」
昨日のことがあるため、念押しで訊いてみると、幸彦はふて腐れたように頷いた。
「今日はちゃんとやってるよ。いちいち訊いてくんな」
幸彦は、大量のパスタを盛ってきていた。余程パスタが好きなのだとみえる。
「それにしても、よくお前がこんなこと引き受けたな。美周との間でいったいどういう取引があったんだ?」
この超ものぐさ男である幸彦が、ただでこんなことを引き受けるとは思えない。絶対になにか条件があったはずだ。
「んー。まあ、あれだ。いろいろと大人の事情というやつでだな」
幸彦は落ち着きなく視線を宙に漂わせながらも、パスタを豪快に口に頬張っていた。
「どうせ、夏休みの課題の代行とか、次のテストの山を教えるとか、そんなとこだろう」
僕がそう言うと、幸彦は喉になにか詰まらせたように一瞬呼吸を止め、げほげほと咳き込んだ。食べかすが周りに飛び散る。
「ああーっ。そういえば、そういうのもあったんだ。しまった。条件に上乗せさせときゃよかった!」
「きったねーな。なんだよ。そっち方面の取引じゃないのか。じゃあ、いったいなんなんだよ」
幸彦は少し考えたが、「秘密だ」と言って教えてくれなかった。なんだろうか。そう言われるとますます気になる。




