4 見張り番
僕たちは美周と合流するために、沢のほうへと向かった。向かう間中、僕の胸はざわついていた。沙耶ちゃんのあの心配そうな表情が、なぜか頭に張り付いて離れなかった。
沢の近くまでおりていくと、水の音が耳に打ちつけてきた。水の甘い匂いがふわりと鼻孔をくすぐる。水辺近くに来て、先程より涼しさが増したように感じた。沢の流れは以前見たときと変わらず、清らかで美しかった。
辺りに美周の姿は見あたらなかった。
「たぶんあっちの岩場のほうだな」
上流へと続く遊歩道の階段をのぼっていく。沢は僕たちに戻れと言わんばかりに、進行方向とは逆の流れを見せつけていた。
階段をのぼりきったところに、美周はいた。岩に腰かけ、じっと水面に目を向けている。
「美周くん!」
一番先に声を発したのは、沙耶ちゃんだった。僕たちが近づいていくと、美周はゆっくりとこちらに顔を向けた。
「やあ、どうしたんだ。みんなして」
「大丈夫か?」
相田の問いかけにいまいち飲み込めない様子の美周に、僕が説明した。
「幸彦が交代のこと忘れて昼寝してたみたいで、慌てて様子を見にきたんだよ」
「ああ、そうだったのか」
何時間ここで座っていたのか。美周はなんでもないような顔で笑ったが、少し顔色が悪いようにも見えた。
「本当は何時に交代するはずだったんだ? そういえば昼も来てなかったよな。朝からずっとだったら、かれこれ七時間以上は経っているけど」
「ああ、もうそんなに経っていたんだな。まあ、本当は昼過ぎに一度交代に来るように言っていたが、別に構わない。幸彦に期待するほうが間違っている。これくらいは想定の範囲内だ」
幸彦のほうを見ると、少し離れたところでふて腐れたように横を向いていた。
「それより、あの例の剣道部の先輩のほうは見ていなくてよかったのか? わざわざ僕の様子を見に来るために、みなでおしかけることもなかったのに」
そういえばあの二人のことを見張るのを忘れていた。部活動のときは、いつもと変わりはないようだったが。
「まあ、ちょうどいいところだ。少し交代してもらうとしよう」
美周が立ちあがるのと同時に、沙耶ちゃんが近づいていった。
「ねえ、美周くん。もういいよ。こんなこと。もう、やめようよ」
沙耶ちゃんのその言葉に、美周は驚いたように目を見開いた。沙耶ちゃんと美周は見つめ合うように、お互いの顔から目を逸らさなかった。
「こんなことしてても、なんの意味もないかもしれないんだよ。わたしのためにそこまでしなくてもいいよ。それに美周くんにとっては全然関係ないことだし……」
沙耶ちゃんがそこまで言うと、美周は視線を沙耶ちゃんからはずし、僕のほうを見た。僕がその視線の意味を酌んで頷くと、美周も得心がいったのか頷き返してきた。美周は水面に視線を移すと、つぶやくように言った。
「……関係ないなんて言わないでくれ。これは僕が好きでやっていることなんだ。やりたいからやっているだけなんだ」
「嘘。こんなこと誰もやりたいわけないよ。どうしてそんなにまでするの? こんなことまでしなくたっていいんだよ」
沙耶ちゃん。駄目だ。それ以上言わないでくれ。やらなくていいなんて言わないでくれ。でないと。
「わたしの夢のせいで、誰かがつらい思いをするのは嫌なの。美周くんが大変な思いをしてまですることじゃないんだよ」
沙耶ちゃんは半分泣きそうな声をしていた。見ていた僕は、喉の奥が詰まったみたいに苦しくなった。
「沙耶くん。聞いてくれ」
美周は再度、沙耶ちゃんのほうへと視線を戻して言った。
「黙ってこんなことをしていたことは、謝る。言わなかったのは、沙耶くんのことだ。そうやって止めようとするのが予測できたからだ。だけど、もはやここに来て止めるのは無駄だ。僕はもうすでにこれを始めてしまった。いくら沙耶くんの頼みといえど、それを途中でやめるわけにはいかない。これは僕の意地の問題でもあるんだ。だからわかって欲しい」
美周はひと呼吸置いてから言った。
「このまま、続けさせて欲しい。これは、沙耶くんのためだけじゃない。僕自身のためでもあるんだ」
美周の言葉には、有無を言わせない迫力があった。沙耶ちゃんも、もう言い返すことができないとわかったのか、視線を下に落としていた。
「まあまあ、美周がここまでやりたいって言ってるんだから、沙耶も任せておきなよ。こいつはこいつの考えがあってやってるわけなんだからさ」
相田が場の緊張を解くようにそう言って、沙耶ちゃんの肩を叩いた。それに対して沙耶ちゃんは、あきらめたように頷いていた。それを見て、僕はほっと息をついた。とにかく、どうにか沙耶ちゃんによる計画中止だけは、まぬがれることができたようだ。
「とりあえず、美周も交代してひと休みするって言うんだから、沙耶もそんな心配することないって。それより感謝のひと言でもかけてやったらいいんだよ」
そう相田に促された沙耶ちゃんは、ようやく笑顔になって言った。
「……あの、ごめんね。ありがとう。美周くん」
ナイスフォロー。この場は相田の存在にひたすら感謝だ。
「さ、そろそろ夕飯になる頃だし、戻ろうか」
相田はそう言うと、沙耶の背を押しながら、その場を離れていった。
「さて、じゃあ、幸彦。僕もこのあと食事などしてひと息ついてくることにする。日暮れまではもう少し見張っていたほうがいいだろうからな。交代までしっかり頼むぞ。まあ、お前ほど遅くはならないつもりだから安心しろ」
幸彦は黙って頷いていた。やけにおとなしいのは、さすがに少し悪いと感じたからだろうか。
美周はぐっと伸びをしながらその場を離れていった。その後ろ姿は、長時間見張りを続けた場所からようやく解放されたことで、緊張から解き放たれたようにも見えた。僕も幸彦に別れを告げ、そこを離れた。




