3 合宿初日
剣道部の合宿初日は、まず合宿所周辺をランニングすることから始まった。森林に囲まれたコースは、いくら走ってもつらさを感じないくらいに気持ちのいいものだった。緑の濃い空気が体内をめぐっていくと、さわさわと揺れる木々と、走っている自分とが一体となったような感覚になった。耳を澄ませば、森の中のいろんな音が聞こえてくる。鳥のさえずり。木々のざわめき。風の通り抜ける音。心地よい音楽を聴いているかのように、走り続けるほどに心が洗われていった。
ランニングを終えると、合宿所の隣に建てられている道場で、みっちり稽古が行われた。合宿所には道場の他にも体育館があり、そちらはバスケ部やバレー部などが使うらしい。
間に一時間昼の休憩を挟み、午後からも厳しいメニューをこなしていく。さすが運動部の合宿だ。甘くはない。
いつもよりもハードな稽古が終わり、この日の部活動は終わった。夕食まではまだ少し時間があるので、その間は自由時間になっていた。部屋で着替えとシャワーを済ませたあと、僕は沙耶ちゃんと道場前で待ち合わせた。しばらく待っていると、すぐに体操着姿の沙耶ちゃんが現れた。沙耶ちゃんが体操着姿なのは、合宿中は全生徒体操着か制服で過ごさなければならないと決められているためだ。部活動で使う道着やユニフォームの類は問題ないが、私服は認められていない。合宿とはいえ、これも一応学校活動の一環だ。当然といえば当然のことだろう。もちろん僕も、今は体操着姿だ。
沙耶ちゃんに声をかけようと立ちあがると、沙耶ちゃんのすぐあとから相田と幸彦も姿を見せた。
「小太郎ちゃん。おまたせ。部活結構疲れたねー」
「うん。沙耶ちゃんもお疲れ様。小林はやっぱりバレー部のほうで忙しいみたいだな。さっき部屋に様子見に行ってきたけど、まだ帰ってないみたいだった」
「そっか。でもきっと小林くんも疲れてるだろうし、あんまり面倒かけたくないな。予知夢のことも突然聞かされてびっくりしてるだろうし。だから小太郎ちゃんも、できるだけそっとしておいてあげて」
僕はそれに、こくりと頷いた。
「それよか篠宮。部活姿見てたよ。ばっちり写真も隠し撮りしといたから」
相田が首から提げたカメラを掲げてそう言った。
「ってなに隠し撮りしてんだよ」
「いいのかなー。そんなこと言って。たぶんあんたも見たいと思うよ」と相田は僕の耳元に口を近づけて言った。
「たとえばあんな沙耶の写真とか、他にもこーんな沙耶の写真とか」
「な、なに?」
それは是非見たい。
「まあ、ただでは見せられないけどな」
相田はしたり顔でにやりと笑った。
くそ。やり方がうまいな相田め。まあ、その話はあとでゆっくり聞くことにしよう。
「なになに? ゆかりちゃんなんの写真撮ったの?」
「ふっふっふ。それは秘密」
本人への承諾はやはりないらしい。なんという恐ろしい奴。しかしある意味尊敬に値する。
「はぁーあ。いいよなお前ら。楽しそうで。俺なんかもー退屈で退屈で。こんな山ん中じゃ昼寝するくらいしかやることないしよ」
幸彦はそう言ってあくびをした。
「というか、見張りはどうしたんだよ。お前交代しに行かないといけないんじゃないのか?」
「あ、そういえばそうだった! やべぇ。すっかり忘れちまってた」
僕は思わず右手で顔を覆った。やはり幸彦に大事なことは頼めない。
「え? 見張りって?」
沙耶ちゃんがそんなふうに訊ねてきた。目はまっすぐにこちらを見ている。その視線に耐えきれなくなった僕は、迷ったあげく、美周が沢の見張りをしていることを説明した。美周には口止めされていたが、仕方がない。下手に言い繕っても、ごまかしきれないような気がしたからだ。美周は沙耶ちゃんや相田がいる前では、できるだけ見張りのことを言わないようにしていた。きっと心配させないようにとの配慮からなのだろうが、話してしまったものは仕方ない。
「嘘。そんなことなにも聞いてないよ。時々見に行くくらいだと思っていたのに、ずっと張り込み続けるなんて……」
沙耶ちゃんの表情がみるみるうちに曇っていった。
「桐生くんが交代に行くまでずっと一人で見張り続けてるとしたら……。こんな悠長にしてる場合じゃない。すぐ美周くんのところに行こう!」
沙耶ちゃんが心配そうな表情を浮かべたまま、そう言った。




