5 ライバル
上流に行くに従って、勾配が少しずつ急になっていった。それに伴って、沢の流れも激しさを増している。遊歩道も先程より階段の間隔が狭くなっていた。
「道はここで終わりのようだ」
階段をのぼりきったところで美周が言った。美周の言うように、整備された道はそこまでで終わりのようだった。その先に進むには、山の中の獣道を進んで行くしかないが、余程のことでなければ、誰もそこまではしないだろう。その場所は、それほど広くもなかったが、少人数なら水遊びもできそうだった。清流が小さな滝状になって、上から落ちてきている。なかなかの風情があっていい場所だった。
「マイナスイオン出てるねー」
「本当気持ちいいね」
女子たちは、呑気にそんなことを言っている。
「この辺はだいぶ岩がごつごつとしているな」
美周の言うように、沢には大きな岩がいくつも飛び出していた。
「これ以上先は、遊歩道も整備されていないようだし、もしなにかがあるとしたらこの辺りでということになるな」
「足を滑らせた誰かが、あの岩で頭をぶつけるとか?」
僕はすぐにそう想像した。あの岩はいかにも滑りやすそうだ。
「夏の暑いときだったら、水に入りたくもなるもんね……」
沙耶ちゃんも不安げにそう言う。やはり、沙耶ちゃんの見た赤い色というのは、どうしても血を想像してしまう。ごつごつとした岩場を見て、さらにその印象を強くした。
それは沙耶ちゃんも同じだったようで、彼女はこう言った。
「やっぱりあれは血の色なのかな……」
「夢の中ではどう感じたの? 赤といってもいろいろな赤があるわけだし」
「うん。そのときは……なんかね。不思議と気持ち悪いとか、そういう感じはしなかった。ただ、異様だとは思った」
「……そうなんだ」
異様。血が流れていれば、それはやはり異様だ。ただ、やはりそれだけの印象ではなんとも言えない。もしかしたら、それは血とは限らないのかもしれない。希望的観測で言えば、染料が流されているようなことだって考えられなくはないのだ。
「血か別の色かは、今の時点ではなんとも判断はつかない。ただ、もしもの場合に備えるの
なら、血が流れる可能性を念頭に置いておかなければならないだろう」
美周は冷静だ。やたらと楽観はしない。もしもの不幸を起こさないための行動をする。それは、起こりうる最大の不幸を想定して、対策するということだ。美周の言葉は正しい。
「血が流れるかもしれない……」
沙耶ちゃんはそうつぶやき、水面に視線を落としていた。僕も自然と同じようにする。美しく透き通った水の流れ。心地よく耳を打つ水音。ここでそんな恐ろしいことが起こるとは、考えられなかった。
一旦合宿所の建物のある場所へと戻ることになった。女子二人が並んで歩いていってしまったので、必然的に僕と美周が取り残される形になってしまった。仲良く並んで歩くのも妙な感じなので、僕は気持ち美周より前を歩くことにした。
「おい、ちび助」
会話をする必要性を作らないようにしていたのに、後ろからそう声をかけられ、無視するわけにもいかなくなった。
「だーかーらっ、そのちび助ってのやめろよ」
どうせいつものように、こちらを小馬鹿にした顔をしているのだろうと振り向いた先には、意外にも真剣な眼差しをした美周の姿があった。
「……なんだよ」
真面目な話なのだと察して、僕は美周の隣に移動した。
「お前はどう思った。あそこでなにかあると思うか?」
「正直、想像つかない。あんな綺麗な場所が血で染まるなんてことは。ただ、可能性はあると思う」
「そうだな。僕も同意見だ」
珍しく否定されなかったことが、意外だった。
「僕は夏合宿の間、あそこで見張りをしていようと思う」
美周の言葉に、僕は胸を刺された思いがした。
「見張りって、夏合宿の間中ずっと? 一人でか?」
「いや、さすがに一人では無理がある。誰か交代要員が必要だとは思うが」
「じゃあ、それ僕が」
言いかけた僕に、美周は首を振った。
「駄目だ。第一お前は部活動のほうで、それどころではないだろう」
「いや、でも……」
「いい。それはこっちでなんとかする」それから美周は視線をこちらに向けて、こう言った。「だから、お前は沙耶くんを頼む」
「え……?」
「同じ剣道部員だ。合宿の期間中近くにいられるだろう。だから、沙耶くんにもしものことが起こらないよう、見守っていてほしい」
まさか美周にそんなことを言われようとは、思ってもみなかった。普段だったら沙耶ちゃんとの間に割り込んでくるようなやつなのに、逆に側にいてくれと頼まれようとは。
真意をはかるつもりで、僕はその目を見つめた。しかしやはりその目は真剣だった。
「……わかった」
美周は本気だ。本気で沙耶ちゃんの予知夢に立ち向かおうとしている。そして、沙耶ちゃんを護ろうとしているのだ。
悔しい。胸の奥からそんな感情が沸々と沸き起こってきた。
なぜこんなやつがいるのだろう。
学園に入学した当初からそうだった。なにもわからない僕たちに、いろいろと教えてくれたのは美周だった。おかげでどんなにか助かった。今回にしても、一番頼りになったのは美周だ。下見に行こうと発案したのも美周だった。いつでも先頭に立ち、自ら先に進んでいく。そして物事を冷静に判断する。
そして今、僕にこんな話をするのだ。
好きな人のために、恋敵である僕にその好きな人のことを頼むなんて。そして自分は、気づかれないところで好きな人のために尽くすのだ。
どうしてこんなやつがいるのだろう。
――こんなやつに僕は勝てるのだろうか。
不甲斐ない自分が、とても情けなくて恥ずかしかった。




