4 視線
「わたしはどうしてだかわからないけど、この道を駆け足で走っていたの。今日みたいに天気がよくて、水面がきらきら光っていた」
沙耶ちゃんは夢で見たことの詳細な様子を、歩きながら語っていった。上流へと、ゆっくりとした足取りで進んでいく。沢の水は清らかに澄み渡っていた。
「そうしてしばらく進んでいくと、ちょうど……たぶんこの辺りで沢の様子が変わったの」
沙耶ちゃんは足を止め、水面をじっと見つめた。僕も沙耶ちゃんの視線の先に目をやる。しかし今は特になんの変化もない。透き通った流れが目の前を通り過ぎていくばかりだ。
沙耶ちゃんの目には、見えているのだろうか。夢で見たという、赤い色が。
「そしてその流れの元を見ようと、上流を振り向いたところで夢は終わったの」
沙耶ちゃんは沢の上流に視線をやる。それに沿うように、階段状の遊歩道が続いている。
「ということは、ここから先の上流に赤い濁りを作る原因、きっかけとなる場所があるということになるな」
沙耶ちゃんの斜め前を歩いていた美周は、沢の上流を見つめながらそう言った。沙耶ちゃんの見た夢はここで終わっている。その先はまだなにもわからない。
「行ってみよう」
そう言って、美周が歩みを進めた。
あとを追おうと僕が足を踏み出すと、ふいにどこかから視線を感じた。それは、遊歩道もなにも整備されていない、沢の向こう岸の山の斜面からのものだった。人がいるはずのない場所に、その女は立っていた。紺色の縞模様の着物を着て、髪は日本髪に結われている。今の時代にはあまりにも違和感があり、あきらかに不自然だった。
すぐに僕は、それが生身の人間ではないことを察した。いつの時代の霊なのか。くわしいことはわからないが、長い時間を経てきた霊であることは、その姿を見れば推察できた。なぜそこにいるのか。そんなことはわかるはずもない。それに、知る必要もないことだ。
僕はその霊が、特に害のあるものだとは思わなかった。その表情に、特別な感情を見いだせなかったからだ。害のないものなら気にすることはない。こういった霊は、特別に珍しいものでもない。日本中のどこにでもいるものなのだ。
「小太郎ちゃん。どうしたの?」
立ち止まった僕に、沙耶ちゃんが不思議そうに声をかけてきた。沙耶ちゃんたちに、あの女の姿は見えていないのだろう。当然のことだが、なんとなく胸が塞がる思いがした。
「いや、なんでもないよ。行こう」
今はそれよりも、沙耶ちゃんの夢のことだ。僕は先を行く美周のあとを追った。




