1 体験入部
剣道部の体験入部初日。僕と沙耶ちゃんは貸してもらった胴着を着て、先輩に更衣室や掃除道具の場所などの説明を受けていた。美周はいろいろと忙しいのか、特定の部活には入らないと決めているようで、結局来たのは最初の見学のときだけだった。
学園には、総合格技場という建物があり、その中には剣道部専用の剣道場がある。道場内も十分な広さがあり、のびのびと活動できる。そのため、他の部に邪魔されることなく、いつでも練習することができるのだ。中学の頃は体育館を反面他の部が使っていたり、日替わりで使うということが多かったので、道場の存在はかなりありがたかった。それに、なんといってもすごいのが、冷暖房が完備されていることである。
剣道といえば、胴着、袴、それに加えて防具をつけるため、夏は蒸れて暑く、冬は素足の寒稽古でつらいイメージだ。実際、僕も小学校、中学校の頃は、夏場冬場に剣道をすることのつらさを嫌というほど味わっている。夏場の胴着の臭さは、自分のものでさえ卒倒しそうになったものだ。しかし、それもこの冷暖房さえ完備されていれば、なんの問題もない。小中の頃、どんなに夢見たことか。冷暖房さえあれば、冷暖房さえあれば、と。その夢が、ここでは現実のものとなっているのだ。秋庭学園恐るべし。
さらにシャワー室まである。かいた汗をその場で流していけるのは、ありがたい。
部活動は、毎日夕方行われる。朝は遠方の家の部員のことを考慮して、全体としてはやっていないが、個人的に稽古をするのは自由ということだった。必要な防具や胴着も貸してもらえ、正式に入部することが決まれば、なんと新しいものを学園が支給してくれるそうだ。一式揃えようと思うと結構な額のはずだが、学園はすべての部活動を支援する方針らしく、部活動の費用は個人の負担というものが一切かからないらしい。とはいっても、それは結局のところ、高額な授業料に含まれているということになるのだろう。しかし特待生である生徒にとっては、無料でそういった活動に参加できるというのは、ただただありがたいばかりの制度だった。
部員の人数は七人。男子が五名、女子二名。部員が少ないため、男子部と女子部合同で活動しているらしい。部員数は少ないものの、なかなか部活動自体の雰囲気はよさそうだった。今はまだ来ていないが、顧問はインターハイ出場経験もある熟練の先生らしい。設備もあり、指導者もいる。活動の場としては十分過ぎるほどだ。
今年の一年生で体験入部に来たのも僕たちが初めてのようで、大歓迎で迎えられた。沙耶ちゃんは特に貴重な女子でもあるので、先輩部員たちは目を期待で輝かせていた。
入部をするのに、まったくなんの問題もなかった。
――ただひとつのことを除いて。
「きみ、経験者なんだよね」
ひととおり説明を終えると、案内してくれた佐々木という先輩がそう訊ねてきた。男子で三人いる二年生のうちの一人だ。沙耶ちゃんは途中で女子の先輩とバトンタッチする形で、僕たちから離れていっていた。
「あ、はい。一応」
「きみ名前なんて言ったっけ?」
「篠宮小太郎です」
「篠宮、篠宮。なんか聞いたことあるような気がするんだよな。中学はどこだった?」
「美山中学校です」
「美山? あの美山か! 確か一昨年、県で準優勝したんじゃなかったか? 去年も結構いいとこまで行ってたみたいなことを耳にしたけど。ああ、それで聞いたことあったのかもしれないな。篠宮、個人でも結構いいとこまで行ってたんじゃないのか?」
どきりとした。自分の中学時代のことを知っている人間がいることに、少し戸惑いを覚えた。
「はあ。一応全国大会までは……。ベスト16にも入れてないですけど」
「全国? マジか! すげえな」
そんな話し声を聞いた他の先輩部員たちが、僕の周りに集まってきた。
「おい。全国大会行ったなんてすごいじゃないか」
「マジ即戦力だな」
すでに僕は先輩たちの間では、入部決定のような扱いである。包囲網が固められ、逃げ道がなくなりつつあった。
ふと、大野と書かれた垂れを着けた先輩が思い出したように言った。この人も佐々木先輩と同じく二年生らしい。
「美山か。そういえば、確かなんか去年問題になってなかったか? 弟の友達で美山中のやつがいるんだけど、なんか言ってたな。剣道部でなんか騒ぎがあったとかなんとか」
いきなり冷たい手で心臓を鷲掴みにされたみたいだった。あの苦い経験が脳裏に蘇る。冷たい汗がぶわりと額から噴き出した。
「部内でなにかあったのか?」
恐れていた質問。しかし正直に話す必要もないことだった。
「いや、たいしたことじゃないですよ。ちょっとした喧嘩騒ぎがあったってだけで……。それもほんとにささいなことで、話をするほどのことなんかじゃないんですよ」
僕がそう言うと、大野先輩は少しがっかりしたようだった。
「なんだ。あいつ、おおげさに話してただけか。騒ぎなんて言うからえらいことが起きたのかと思ってたんだが」
もっとおもしろいことが聞けるのを期待していたのだろう。しかし、一応は納得してくれたようで助かった。これ以上変に勘ぐられるのはごめんだ。
そのとき、入り口の戸が開いた。一礼して入ってきたのは、細身の男だった。この人が顧問の先生らしい。先生が上座に着き、「集合!」と声をかけた。するとその前に部員たちが集まってきて、横一列に座って並んでいった。僕も先輩たちに倣い、一番左端に並んだ。




