5 変えられるかもしれない未来とそれに向き合う覚悟
食堂に着くと、昨日と同じ席に沙耶ちゃんが先に来ているのが見えた。そしてしばらくして、その隣に誰かが近づいていくのが目に映った。
美周だ。
「あいつ、また……」
先程助けてもらったとはいえ、こればかりは譲れなかった。食事の注文を終え、トレイを持って沙耶ちゃんのいる席へと急いだ。本日のメニューはカレーライスだ。
「おまたせ」
僕がそう言うと、美周となにやら談笑していた沙耶ちゃんが、僕のほうに顔を向けた。
「あ、小太郎ちゃん。遅かったね」
見れば、沙耶ちゃんはまだ弁当には手をつけていなかった。僕が来るのを待ってくれていたようだ。
「ごめん。先に食べててくれてよかったのに」
「ううん。だってせっかくだから、一緒に食べたいと思って」
そう言いながら、沙耶ちゃんは弁当を広げ始めた。
「じゃ、みんなで一緒にいただきますしようか」
沙耶ちゃんは、僕と美周にも手を合わせることをうながしてから、弁当を食べ始めた。僕は沙耶ちゃんのそんな様子を見て、しみじみと思った。
なんていい子なんだろうか。
「それで沙耶くん。先程の話だが」
美周は優雅に食事をしながら、再び沙耶ちゃんと話し始めた。沙耶ちゃんもそれに対して楽しそうに受け答えしている。その内容に聞き耳を立てていると、どうやら今朝美周が持ってきていた亀のことから、動物についての話題で盛りあがっているらしい。僕は楽しげに話をしている二人の様子を見て、少なからず嫉妬の炎を燃やした。それを紛らわせる意味でも、僕はかき込むようにカレーを頬張っていた。
――つーか、なんで亀なんだよ。
食事も片付け終わると、賑わっていた食堂もいつの間にか人の数が少なくなっていた。再び席に戻り、僕は例の話をしようと、そのことをあらためて頭の中で整理していた。
「昨日沙耶ちゃんが話してくれた夢のことなんだけど」
周りに人が少なくなってきた頃合いを見計らって、僕はそう切り出した。すると、沙耶ちゃんの表情がみるみる曇っていった。そんな表情を見て、少し言葉にためらう。しかし、これは話さなくてはならないことだった。昨日からずっと考えていたことを、少しずつ言葉に変えていかなければならないのだ。
「なにかそれを止める方法ってないのかな?」
僕の言葉に、沙耶ちゃんはきょとんと目を丸くした。
「止める方法?」
「うん。だってあらかじめ起こることがわかっているんだったら、それを止めることもでき
るんじゃないかな?」
矛盾したことを言っている。それはわかっていたが、もうあとには引けなかった。
「なにか悪いことが起きる。だったらそれを止めなくちゃ。そう思わない?」
「だから、昨日そこに行かなければいいって……」
「それじゃ駄目なんだ。たぶんその方法では解決しない。いや、わからないんだけど」
言いたいことはわかっている。けれど、それをどう説明すべきか。
「つまり、お前の言いたいのはこういうことなんだろう。きちんとそれに向き合うべきだ。そして、そこでそのなにかが起こる原因を調べ、それを止めるべきだ」
美周が僕が言おうとしていたことを、そのまま代弁した。美周の鋭い目は、僕の考えなどすべてお見通しとでも言っているかのようだった。
「そうだよ。その通り」
悔しかったが、認めざるを得なかった。
「逃げちゃ駄目だってこと……?」
沙耶ちゃんは不安そうに僕を見つめた。それを見て、僕はずきりと胸が痛んだ。やはり自分は間違っているのだろうか。沙耶ちゃんにつらい思いをさせてまで、そんなことをしなくてはならないのだろうか。
しかし、脳裏に蘇ってきたのは、あの事故にあった男の目だった。不幸な事故。それによって奪われた命。その人生。
もしその不幸を止めることができたのなら。その方法がわかっていたのなら。
だから言うのだ。あらかじめわかっているのなら、その不幸を止めることができるかもしれない。それは百パーセントではない。不可能なのかもしれない。それでも、なにかできることはあるのかもしれない。だから――。
「それを止められる可能性があるのならば、やるべきだ」
僕は強い決意を込めて、そう言い切った。見つめる先の沙耶ちゃんの表情は、困惑していた。
「どういうことかわかって言っているのか? それは沙耶くんを危険に晒すことにもなりかねないのだぞ」
美周がそう口を挟んだ。
「なにか悪いことが起きるのを止めるということは、それが起こっている現場に居合わせるということだ。それは傍観者だけで済んだはずの事柄が、その当事者になりかわるということでもある。それがどれだけ危険を孕んでいるのか、わかっているのか?」
詰問する美周の口調は厳しいものだった。そのことはわかっていた。下手に関わると、遭わずに済んだはずの危険が沙耶ちゃんに降りかかってくるかもしれない。沙耶ちゃんにつらい思いをさせるかもしれない。
けれど、すべてそれは憶測でしかない。すべては仮定の話なのだ。
「未来なんて結局は不確かなものでしかない。起こるかもしれない。起こらないかもしれない。そのときになってみないと、わからないんだ。それは確定ではない」
僕はすうっと息を吸いあげる。
「だけど、じゃあ予知能力って結局なんなんだろう。起こりうる未来を知り、ただ怯えて暮らすしかないのか? わかっているのに、ただ指をくわえて待つしかないのか? そんなのおかしいと思わないか? 意味はないのかもしれない。未来は所詮変えられないのかもしれない。でも、そんなの哀しいじゃないか」
沙耶ちゃんの瞳が揺れている。戸惑いが、顔に表れている。それでも、これだけは言わなきゃいけない。伝えなければいけない。
「僕は思うんだ。沙耶ちゃんの力が、ただそんな哀しいだけの力であって欲しくないって。なんの役にも立たない力だなんて、思って欲しくないって」
そう。僕のように。言いながら自分に言い聞かせているようだった。なんの役にも立たない、哀しいだけの力。死者を救うこともできない。ただ残酷なだけの力。
沙耶ちゃんには、そんなふうに自分の力のことを思って欲しくなかった。だからこそ言うのだ。予知能力を持っていてよかったと、そう思って欲しい。誰かの役に立つ力でよかったと心から思えたなら、きっと救われる。僕のように、自分の力のために嘆き苦しんで欲しくなかった。だからこそ。
「もしもあのときああしていたらとか、後悔だけはして欲しくないんだ。きっとわかっていてそう思うのと、知らずにそう思うのとでは、大きく違う。きっとこのままなにもせずに予知したことが起こり、それが哀しむような不幸な出来事だったとしたら、きっと酷く後悔する。だから……」
沙耶ちゃんは両手を組み、じっと机の真ん中に視線を落としていた。しばらく沈黙が続いた。僕は沙耶ちゃんのその様子を見、静かに待つことにした。美周も沙耶ちゃんが言葉を発するのを、黙って待っていた。
長い沈黙だった。きっと沙耶ちゃんは自分自身の心と戦っている。恐怖と戦っている。考えることは必要だ。悩み抜いて出した答えなら、そのときは沙耶ちゃんの意見に従おう。
沙耶ちゃんは両目を閉じ、しばらくしてからゆっくりとその目蓋を開いた。
「……もう少しだけ、考えさせて」
沙耶ちゃんは静かにそう言って、微笑んだ。その笑顔はとても哀しげで、儚かった。
沙耶ちゃんはそれからしばらく、予知夢のことに関して口をつぐんだままだった。入ると言っていた剣道部へも、いまだ行く様子はない。僕が思っていた以上に、沙耶ちゃんの自らの力に対する悩みは深いものなのかもしれなかった。
けれど、あのとき話したことは、僕の思う真実だった。沙耶ちゃんにはどうか、自らの力に向き合い、良い方向へと向かえるようになって欲しい。あとから後悔に苛まれるような、哀しい思い出を作って欲しくない。
自分に手伝えることがあるのなら、なんだってする。言い出したものの責任として、僕はそう決意していた。
そうして、話をしてから三日が過ぎたある日。
「覚悟が決まったよ」
沙耶ちゃんはなにかが吹っ切れたような笑顔で、そう言った。




