4 理由なき悪意
昼休みになり、食堂へと移動中のことだった。僕は昨日思いついた自分の考えを、沙耶ちゃんにどう話そうかと思いをめぐらせながら廊下を歩いていた。そのため、つい周囲への注意を怠ってしまった。目の前に立っていた人物に気づかず、正面から思い切りぶつかってしまったのだ。
「わっと。ああ、ごめんなさい」
頭がくらくらしながらも、僕はそう言った。誰にぶつかってしまったのか確かめようと、顔をあげると、不機嫌に顔を歪めた男子生徒が立っていた。
「ああ、ごめんなさい、じゃねえよ。いてえんだよ!」
一年の生徒のようだが、見覚えはなかった。短めの髪の毛を、ワックスでツンツン立たせている。なにかスポーツをしているのか、体つきも逞しく強そうだった。しかし、この学園の生徒とは思えないほど柄が悪い。
しかし僕は怯まなかった。相手の好戦的な態度に、胸を張って立ち向かった。
「だから謝っただろう。これ以上なにか必要か?」
そんな言葉が返ってくるとは思わなかったのだろう。ツンツン頭の男子生徒は意外そうに目を見開いた。
「なんだお前。俺に喧嘩売ってんのか? いい度胸してるじゃねえか」
「喧嘩なんか売ってないだろう。ぶつかったことは謝ったんだ。それでおしまいでいいだろう。違うのか?」
ただならぬ雰囲気に、周囲がざわつき始めた。ツンツン頭の男子生徒は、僕の態度が変わらないことに苛立っているようだった。僕のことを睨みつけるように見ていたかと思うと、なにかに気がついたように、眉をあげた。
「お前、そういえば知ってるぞ。この春からG組に入ってきたやつだろう」
「そうだけど、それが?」
すると、ツンツン頭の男子生徒は小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「お前ら特別扱いされてるようだけど、G組なんて、結局変なやつらの集まりなんだろ。いいよな。ちょっと変わった力があるからって、簡単に入学させてもらえるんだもんな。いいご身分だよな」
悪意のある言い方だった。完全に馬鹿にしている。僕は怒りの感情が胸に沸き起こってくるのを感じていた。
確かにG組は優遇されている。他の生徒たちにとっては、あまりおもしろく映らないのかもしれなかった。しかし、こんなふうに悪意をぶつけられるいわれはない。
「それで、お前はどんな理由で入学させてもらったわけ?」
「お前に答える必要はない」
「へえ。答えられないような理由なのか。そんなやつがよくも堂々と学園にいられるな。努力もしないで入ってきたくせに」
僕はきつく唇を噛み、握った拳を震わせていた。悔しくて悔しくて、今にも爆発してしまいそうだった。
「目障りなんだよ」
その言葉で、頭が真っ白になった。頭の奥のほうで、なにかがぷちんと弾けた。僕は堪えていた怒りを、もう押さえきることができなかった。
「てっめぇっ」
掴みかかろうと拳をあげたそのときだった。後ろから腕を引かれた。目の前に長身の人影が素早く横切り、僕とツンツン頭の男子生徒の間に割り込んでいた。
「もうそのくらいにしておけ」
その生徒は背中に僕を護るようにしながら、ツンツン頭の男子生徒の前に立ちはだかった。
「美周……」
僕は美周の予想外の登場に、面食らったまま動けずにいた。
「きみは確か、一年C組の渡辺だったか。高等部に入っても相変わらずのようだな」
渡辺と呼ばれた男子生徒は、美周の登場になぜか怯んでいるように見えた。
「中等部の頃もいろいろと問題行動を起こしていたようだが、親のおかげでなんとか大ごとにならずに済んだようだな。だが、それも次になにか問題が起こったときはどうなるかわからない。そう言われなかったか? せっかく高等部に進むことができたんだ。こんなところで下手な行動を起こしたら、去るのは自分だということを、わかっていないわけではないのだろう?」
美周はそう言って、眼鏡をあげる仕草をした。美周の話を聞いた渡辺という男子生徒は、渋い表情を浮かべると、「ちっ」と舌打ちをしてその場を去っていった。
因縁をつけられた相手が去ったことで、僕は安堵のため息をついた。そして、助けてくれた美周に視線をやった。美周はどこか泰然自若といった風情で窓の外を見つめていた。
意外な人物に助けられ、言う言葉を探しあぐねていると、先に美周のほうがこちらを振り向いて話しかけてきた。
「ああいう輩はどこにでもいる。あまり相手にしないことだ」
悟ったような言い方だった。
「……美周。お前もあんなふうに言われたことがあるのか?」
美周は中等部からこの学園に通っているのだ。似たようなことは以前にもあったのかもしれない。
「ああ。だが、そんなことを言うやつは大抵小物だ。他人を卑下することでしか、自分をアピールできないんだ。気にすることはない」
美周なりに、僕を気遣っているのかもしれない。いつも張り合っていて、口喧嘩ばかりしている相手にそんなふうに言われて、なんだか妙な感じだった。
「あの、ええと、その……」
僕は言わなければならない言葉を言おうとしたが、なかなか声を発することができず、もがもがと口をぱくぱくさせていた。その様子がおかしかったのか、美周はくすりと笑った。
「おい。顎でもはずれたのか?」
「ち、違う!」
「それじゃ、僕はもう行くからな」
美周はそう言うと、僕に背を向けてさっさと行ってしまった。僕は慌てて、その背中につぶやくように声をかけた。
「ありがとな」
ようやくそれだけを言うので精一杯だった。聞こえたのかどうかわからないが、美周は振り返ることなく廊下の先へと歩いて行ってしまった。僕は照れくさくなり、その場に少しの間立ちつくしていた。




