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僕たちは星空の夢をみる  作者: 美汐
プロローグ
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予知夢

挿絵(By みてみん)




 水のせせらぎが聞こえる。


 森を進み、せせらぎの聞こえる方向へと近づいていく。太陽が、木立の隙間から見え隠れしていた。前には誰だかわからないけれど、よく知っている人の姿があった。

 前がひらけると、現れた光の反射に目がくらんだ。さらさらというせせらぎが大きくなり、心地よく耳を刺激する。沢の水は美しく透き通り、太陽を反射してきらきらと輝いていた。


 上流へ向かって、沢沿いの遊歩道を小走りで駆け抜けていく。前にいた誰かはもうすでに先へと行ってしまっていた。

 澄んだ風が体を撫でる。空は高く、太陽は輝きに満ちていた。とても心地の良い日だった。


 しかし体感する心地よさとは裏腹に、そのときのわたしの心は不安に満ちていた。前にいた誰かを追う足取りは、焦燥のためにもつれて、ちっとも思うように動かなかった。


 ――待って。置いていかないで。


 ピーとどこかで鳥が鳴いた。

 美しい沢の水を見つめる。その水の流れは、こちらに来るなと言わんばかりに、向かう方向とは逆に流れていく。そんな流れを見つめていると、ふいにその水面が濁った。それはみるみるうちに水面を汚し、透明だった水を異様な色に染めていく。


 沢を流れる赤。

 のどかな光景を一瞬にして崩すその色。

 止まらない流れは、沢にその赤い濁りを拡散させ続けていた。




 嘘だ。


 これはなにかの間違いだ。


 あってはならないことが起きている。




 わたしは上流に目を向け、叫び声をあげた。


   



 *





 眩しさに目がくらんだ。目覚まし時計のアラームが鳴っている。カーテンの隙間から明るい光が部屋に差し込んでいた。

 わたしは布団の中で、しばらく固まったように動けずにいた。額にはじっとりと汗が浮かんでいる。ゆっくりと呼吸をし、うるさいくらいに鳴り続けていたアラームをようやく止めた。


 ――嫌な夢。


 先程見た不可解な夢の内容を思い出すと、わたしは背筋が寒くなった。胸には、夢の中で感じていた不安感や緊張が今も残っている。気がつけば、体中が汗で濡れていた。

 沢を流れる赤い色。その光景を思い出すと、言いようのない恐ろしさが全身を襲った。


「嫌だな……」


 布団から抜け出し、重い足取りで寝床にしている和室を出た。ふすまを開けると、隣の居間として使っているほうの和室に繋がっている。そこを通り抜け、そのままキッチンのほうへ行くと、お母さんが鼻歌を歌って流しの前に立っていた。洗い物をしているようだ。


「あら。沙耶(さや)ちゃんおはよう。今日はなかなか目覚まし止まらなかったわね」


「……うん。なんかちょっと目覚めが悪くて」


 わたしがそう言うと、お母さんは一瞬呼吸を止めた。


「……そうなの? 学校、行ける?」


「うん。休むほどじゃないから大丈夫」


 わたしは慌ててそう言った。そうだ。お母さんに心配をかけるほどのことじゃない。


「そう。ならよかった。今日は早く起きたから沙耶ちゃんのお弁当も作っておいたわよ」


「あ、本当? ありがとう。助かる」


 流しの横のスペースに自分の弁当箱が置かれてあるのを目にし、わたしは微かに笑ってみせた。お母さんは心配そうな目をしながらも、なにも聞かずに笑い返してくれた。


「ついでにトーストも焼いておくわね」


「ん、お願い」


 わたしはお母さんの横で、食器棚から愛用しているピンク色のマグカップを取り出すと、インスタントのコーヒーを煎れて、居間に置かれてあるちゃぶ台の上へと運んだ。ちゃぶ台にはすでに、ハムエッグとレタスのサラダが並べられていた。


 二人分の朝食。お父さんとお母さんは五年前に離婚し、今は母娘二人で暮らしている。築二十年、六畳の和室がふた間とキッチン、トイレ、風呂つきのアパート。古いが、住み心地は結構悪くない。

 居間の和室には、テレビが置かれてある。うちは食事中もテレビを観てもよい家庭なので、今もテレビがつけっぱなしだ。お母さんは朝起きると、すぐにテレビをつける。もうそれは身に染みついた習慣であるらしく、観ていなくても、いつもテレビはつけたままにしているのだ。そのテレビに目を向けると、ニュースがやっていた。殺人事件のニュースで、女性の遺体が山奥から発見されたという。


 ずきりと頭の奥が痛んだ。

 昔からそうだった。どうしてだか見てしまう。いやおうなく映像が流れ込んでくるのだ。


 やっぱりそうだ。

 あれは正夢。きっとこれから起きるであろう出来事。


 朝陽は柔らかな光で部屋を包んでいた。インスタントコーヒーの香りと、トーストの焼きあがるチンという音。いつもと変わりない平和な朝。

 それなのに、わたしの心は落ち着かなかった。


 何事もなければいい。ただの思い過ごしであればいい。

 ざわめく心を落ち着かせるように、わたしはマグカップを両手で包み込んだ。






 わたしの通う高校は、名門の私立校である。この学校に通うことができるのは、まったくの運によるものだ。普通なら、わたしの家の家計事情からいって、到底通うことなど不可能。

 しかし、学校関係者だというある人物の推薦で、この学校へ四月から通えることになったのだった。


 そして、さらに驚くことが待っていた。わたしの通うことになるクラスに、懐かしい顔があったからだ。

 わたしはすぐに、学校へ通うことが楽しみになった。

 しかし、この日は朝方に見た夢のせいで、気分が優れなかった。家を出るときまで、学校を休もうかどうか悩んでいたくらいだ。けれど、病気でもないのに休むわけにもいかない。お母さんに無用な心配をかけるだけだ。


 駅から電車に乗って、学校のある最寄り駅へと向かう。通勤時間とはいえ、わたしの乗る電車はそれほど混んではいない。下りの電車なので、それもそのはずなのだろう。通勤ラッシュに巻き込まれなくて済むのは助かる。

 窓の外に目をやると、線路沿いに川が流れているのが見えた。その川を見て、また今朝の夢のことを思い出した。


 透き通って流れる清流。そこに混ざっていく赤い色。

 関係ないはずのニュースまでもが、関係しているような気さえしてくる。夢が不吉なもののように思えて仕方がない。


 忘れよう。夢なんか見なかったと思えばいい。

 昔からそうしてきたじゃないか。


 わたしは自分に言い聞かせるように、そう心に念じて目を閉じた。けれど目を閉じた途端、鼻の奥がつんとした。


 ああ。どうしてこんな力があるのだろう。

 こんな力さえなければ。

 こんな、不安しか生み出さない、哀しい力などなければよかった。


 目を開けると、窓の外の景色がぼやけて見えた。ぼやけた世界は後ろに流れて消えていく。

 視界がはっきりしてくると、朝陽に照らされた街が近づいてくるのが見えた。なんだかその光景がとても眩しくて、目があまり開けられなかった。

 電車を降りて、学校から出されているスクールバス乗り場へと急いだ。スクールバスはこの駅で乗り降りする学園の生徒のために、学校と駅を往復してくれている。こういう待遇に預かれるのも、あの学園に入れさせてもらえたからだ。

 バスに乗り込むと、車内はすでに学園の生徒でいっぱいだった。

 空いている席に座ると、バスはまもなく動き出した。


 ――誰かに話してみようか。


 ふと、そんな考えが浮かんできた。

 きっと、あのクラスのみんななら、聞いてくれるんじゃないか。

 馬鹿にせず、真剣に聞いてくれるんじゃないか。

 そんなふうに思ったのは、単なる思いつきなんかじゃない。それは、きっと同じ思いをどこかで持っているのじゃないかと、そう思うから。


 同じ悩みをわかってくれる人たちなんじゃないかと、そう思ったから――。


※イラストの無断転載はご遠慮ください。

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