案内人
多分BADENDなので注意。
その日祐希は、買ってもらったばっかりの真新しい靴を履こうと悪戦苦闘していた。
まだこれを履いて外に出たことも無かったから、踵の先も靴底も、白地の靴はピカピカだ。
でも買ったばかりだから靴紐も付けられていなくて、かれこれ30分も玄関の前を陣取っていた。
「ゆう~? 祐希~? …あら、どこにいるかと思ったら。まだここにいたの? 難しいなら、お母さんがやってあげようか?」
後ろから祐希の母が顔を出して、手元の靴を指さした。
「だいじょーぶだよ。おかあさんはさわっちゃダメ」
こうなったら意地だ。絶対自分の力で履いてみせる。
また次の日に履けばいいじゃない、と母は言うが、今日でないと駄目、と祐希は心の中でいじけた。
今日の為に買ってくれたのだから、今日履かないと意味が無い。
「おーい、デジカメの予備バッテリーどこやった?」
祐希が頬を膨らませていると、父の声が居間の方から聞こえた。
「あら、テレビの横に置いてあったと思うんだけど」
おかしいわねと言って、母は居間へ行ってしまった。
祐希は眉間にシワを作りながら、靴に紐を通す作業に戻った。
新品の靴は生地がまだ硬く、穴一つ通すのにも一苦労だ。それにやっと通しても、入れる方向や向きが逆になってしまったりしていて、その度に祐希はむきになっていく。
「ゆ~う。お父さんとお母さんは準備出来たわよ~」
しばらくしてまた母がやって来た。今度は腰に大きなポシェットを付けて、首にはデジカメがぶら下がっている。
「ゆっくりでいいから、自分で出来る事は自分でしような」
頑張れ。
父は祐希の頭を優しく撫でた。
どうしても、今日この靴を履きたかった。先週、母がこの日の為に買ってくれたから。だからどうしても履きたかった。
ただ、それだけだった。
祐希が家に帰ってきたのは、辺りが暗くなる前の夕方頃だった。
「ただいま帰りました」
玄関を開けて靴を脱いでいる時も、誰も「おかえり」と言ってはくれない。
代わりにクーラーで冷えた空気が祐希を出迎えた。外は湿度が高く蒸し暑かったが、この家の中はその逆で恐ろしく寒い。
汗は一瞬で消え、湿気た制服が肌に張り付いた。
二階にある自分の部屋に行く為階段を上がっている時、居間の方で、義理母と義理弟の声が聞こえた。
「あっくんお腹すいたねぇ、今日は何が食べたい?」
子供向けのテレビを流しているのだろう。義理弟の手を叩く音と、嬉しそうに笑っている声がする。
義理弟は今年で2歳になった。言葉を覚え始める時期で、義理母は去年よりも弟にべったりとくっついて甘やかしている。賢くてよく笑う、と義理父との会話が漏れ聞こえてくるが、産まれて数回しか顔を合わせていないので、祐希は義理弟の事をよく知らない。
弟、と言っても、実感が湧かない。戸籍上の兄弟だけで、そんな感覚は持ち合わせていないからだ。
義理母も祐希を戸籍上の子供と思っているから尚更。
自然に息を殺す様に部屋に入ると、机に鞄を置くだけで制服も脱がず、そのままさっき上ってきた階段を下りて玄関に向かう。
「今日はハンバーグにしよっか? あっくんお母さんのハンバーグ好きだもんね~」
祐希がこの家にやって来た時は、事務的にだが食事を作ってくれていた義理母。だけど弟が出来てからそれも無くなった。
毎日朝と夕方、靴箱の上には無造作に千円が置いてある。それで何か買って食べなさいと言う、義理母の無言の通告。
今日も変わらず、靴箱の上には千円札が剥き出しの状態で置いてあった。
それを制服のポケットに入れながら、脱いだ靴をまた履き、ドアを開けると熱気がまた祐希を包んだ。そして返事が無いのも分かっていたが「行ってきます」と言って、家を後にした。
近くのファミレスで晩御飯を食べた後、祐希は家から少し離れた公園にふらりと立ち寄った。
ブランコに腰掛けながら、何もせず、ただ景色を眺めた。
辺りはすでに暗くなっており、遊んでいる子供はほとんどいない。
いつも砂場で遊んでいた子供も、水飲み場ではしゃいでいた子供も、日が沈む前には親に連れられて帰っていくからだ。
なんとはなしに公園の遊具を眺めながら、祐希は足下の砂を履き潰した靴でえぐり出す。
街路灯には明りが付き始めている。
カァ、と近くの電柱に止まっているカラスが一鳴きして飛び去っていった。
カァ、カァ。
「…かーえろかえろ、からすがなくからかーえろ」
ゆう、今日は早く帰って、お母さんと一緒にご飯作ろっか?
「かーえろかえろ、かえるがなくからかーえろ…」
だんだん暗がりが濃くなっていく中、祐希の乗っているブランコの軋む音だけが響いた。
いつの間にか、公園には祐希以外誰も居なくなっていた。
時間を潰して家に帰ってきたのは、夜の9時。
その時間になると、弟を寝かしつける為、家は嘘のように静まり返っている。
明かりも全て消されていて、目の前に何があるかも分からない。
祐希は暗がりが嫌いだ。何も見えないのがとにかく不安だからだ。
義理父も義理弟が可愛いのだろう、今では義理母と義理弟と一緒の部屋で寝ているようだ。
早く部屋に戻って明かりを付けたいが、下手に大きな音を立てると義理弟が起きかねない。前に誤って物を壊してしまった時、理不尽に怒られ、殴られもした。「あいつらはどんな教育をしてたんだ!」とも言われ。
慎重に階段を上がり部屋に入りドアを閉めて、ようやく自分のテリトリーに戻ってこれた。
安堵からか気疲れからか分からないため息をドアに向かってこぼしつつ、部屋の電気を付ける為後ろを振り返った。
「…え?」
そしてそのまま固まってしまった。
祐希の部屋は畳5畳分程の広さで、奥にベッド、壁伝いに机と、小さな本棚が置かれている。
そのベッドの丁度前、普段は暗がりでも窓の外が見えるはずのそこに、奇妙な暗闇があった。
それは動かず、何かも分からない。幅は祐希の倍程あり、高さは天井すれすれ。
小山の様なシルエットだけが暗がりに浮かんで見えた。
部屋も十分暗かったが、そこは『暗い』、と言うよりも吸い込まれるような『漆黒』だった。
「な…!」
反射的に逃げようと踵を返しドアノブを掴もうとした。
だがその時、自分の体の異常に気づいた。
「…ぁっ?」
体が動かない。
まるで感触のない無数の糸が祐希の体を縛り上げているようで、指一つ満足に動かせない。
「ぅっぅ…っ」
誰か!!
助けを呼ぼうにも、のどに言葉が張り付いたように声も意味をなさない単語がか細く出るだけだった。
何。何なんだ、一体。
体験した事の無い出来事に細かく震えていると、漆黒の塊が祐希にゆっくりと近づいてくる。
「…ぁっぇ、ぇ…!」
暗い部屋なため、最初ハッキリと見えなかったが、目が慣れてくると、だんだんその塊が見えてきた。
まず目に飛び込んできたのは、端がぼろぼろになっている布。それを全身にまとっている。上の辺りには黄色く光る何かが二つ。それをこの塊の眼だと分かったのは少し経ってからだった。祐希に近づくにつれ、その黄色のフチは赤く、中は緑なのも分かった。
その二つの目玉はしっかりと、祐希を見ていた。その黄色の眼は近づくにつれて光っていく様に見える。それはまるで獣のようだった。
荒い息遣いは、祐希のものなのか、黒い塊のものなのかも分らない。
それが、ゆっくりこちらに近づいてくる。
何かが吹っ切れた様に、祐希の目から涙が止まらなくなった。
それが恐怖からなのかも判断できない。ただ、涙が止めどなく出てきた。
頬を伝って床に落ちる感覚が、妙にリアルに感じた。
黒い塊の横から、何かが出てきた。
手のようだ。ひょろ長く、酷く痩せた4本指の手が、祐希の方に伸びてくる。
「ひっ…ぃ!」
体を震わせながらとっさに目を瞑った。その時、パチン、という音と同時に、瞼の奥が明るくなった。
部屋の明かりが付いたようだ。
「こぉんな事でぴぃぴぃ泣いてんじゃねぇよ」
頭上から、誰かの声がする。
「んだよ。俺が泣かしてるみてぇじゃん」
あの黒い塊がこの声を出しているのだろうか。
「あー…悪かったって。もう体と声は自由に動かせっから、もぉ泣くなっての」
そして、その声に合わせてカチカチ音がする。
黒い塊が出している音だろうか。
「まぁた始末書書く羽目になんのはごめんだぜ。ったく」
聞こえてくるのは、どう考えても普通の人間の様な、若い男の声が聞こえる。
「ま。取り合えず自己紹介から、な。ほら、目ぇ開けろっての」
恐る恐る、閉じていた瞼を開けた。
「俺は―――」
「…っ」
祐希の目の前に居たのは、金色の目玉だけが入った骸骨だった。
その目玉がギョロリ、と動き、祐希を凝視している。
喋る度に歯と歯がぶつかって、カチカチ音が鳴っていた。
頭の中が真っ白になり、一気に体の血の下がっていくのを初めて実感した。
ゆっくり狭まってくる視界。ゴツリ、と鈍い痛みが頭に走った後、どこからか「おいおい勘弁しろ…」という声を聞いたような気がした。
ゆう、早くおいで。
玄関の前でお母さんが微笑みながら呼んでいる。
おいで。
「まって」
早くしないと、お父さんと先に行ってるわよ。
お母さんの横には、お父さんが居た。お父さんも祐希に向かっておいでおいでしている。
「おとうさん、まって」
駄目だ。そこに居たら駄目だ。
楽しみだね、イルカさん。ゆう初めて見るものね。
お母さんがお父さんと並んで祐希が来るのを待っている。
久しぶりに三人でお出かけ出来て、楽しみね、ゆう。
2人とも微笑んで祐希を待っている。
ゆう。
祐希。
「だめ!」
次の瞬間、2人が居る所に車が猛スピードで突っ込んで来た。
ぐしゃ、とも、ドガッ、とも聞こえる様な、でも聞いたことないような音が耳に飛び込んでくる。
2人が居たはずの場所には、大きなワンボックスカーが煙を上げながら停止していた。
「おかあさん!おとうさん!」
叫んで2人の所へ行こうとして立ち上がったが、次の瞬間急に周りが暗くなり、水の流れる微かな音だけがどこからか聞こえてきた。
ゆう…
ひたり、と何故か後ろの方から足音が聞こえた。
駄目だ。振り返っちゃ駄目だ。
逃げろ、と頭が信号を出しているが、足は全く動かない。地面に縫いつけられたみたいに、微動だにしなかった。
ゆう…
ずるる、ずるる、と何かを引きずる音が、足音と共に近づいてくる。
ゆう…
嗄れた声が、どんどん大きくなっていく。
赤く染まった手が、祐希の首をつかんだ。
その手の何本かはあらぬ方向を向いていて、白い骨も飛び出して見えた。
やめて
ゆう、あなたのせいよ
声は右から、今度は左から。行ったり来たりを繰り返して、まるで祐希の周りを誰かが回っているような感覚を覚えた。
やめて
ゆうが早く来ないから、お父さんとお母さん、車に潰されちゃったのよ
ビチャリ、と大きな音と一緒に、誰かの手が祐希の足首を掴んでいた。その大きく見覚えのある手は、ついさっき優しく頭を撫でてくれていた。
やめて
履いていた白い靴は赤からどす黒く染まり、次第に周りの色と同化していく。
ほら、早く。早くゆうもお父さんとお母さんの所に来て
やめてやめて
ほら、早く
ゲラゲラゲラ!
甲高い声が暗闇に響いた。
闇を振り払おうと腕をあげた時、掌に温かく、柔らかい感触があった。
両手を見ると真っ赤で温かな血がべっとりと、そして眼球が4つ、掌に乗っていた。祐希の手はぶるぶる震え、一際大きな悲鳴を上げた。
「やめて!!」
祐希はベッドを跳ね起きると、荒い呼吸を吐きながら辺りを見回した。
急に飛び起きたから辺りの世界が一瞬ゆらぎ今の状況が分からなくて混乱したが、ここが自分の部屋だと分かると、ふぅ、と肩の力を抜いた。
背中に汗が流れている感覚があるのは、暑いからだろうか。
いや、きっとそうだ。
寒い位の冷気は祐希の部屋まではやってこない。祐希の部屋にはクーラーは設置されていない。
生暖かい夜気が祐希を撫でる。目を伏せて、早鐘を打つ心臓の音を聞く。しばらく見なかった夢を、久々に見てしまった。どんなに月日が経とうと、祐希にまとわり付く亡霊は一向に消えてくれない。
額に張り付いている髪をどけながら、あれは夢だ、と自分自身に言い聞かせた。
落ち着いてくると、今度は自分の格好に疑問を感じた。
一体、いつの間にベッドで眠っていたのだろう。
それに、ちゃんと寝巻き代わりのシャツとパンツも着ている。
季節の変わり目で、少し体調を崩していたから、記憶が飛んでいるのかもしれない。
そしてもう一つ気付いた。
部屋の電気が付けっ放しだ。
このままだと義理母に何と言われるか分からない。いや、あの人なら何も言わず、ただ無言の圧力をかけてくるだろう。
体が妙にだるかったが、ベッドを抜け出し、部屋の電気のスイッチを切ろうと手をかけた。
あの夢以外に違う夢を見たのは初めてだ。
しかも、今回は骸骨が出てくるなんて。
ひょっとして、今度こそ祐希を迎えに来たのかもしれない。
両親を殺した自分は、絶対地獄行きだ。
そんな考えに自嘲しながら、部屋の電気を消した。
「よぉく寝てたな。爆睡してたろ」
驚いて振り向くと、さっきまで部屋に居なかったはずなのに。なんと祐希か見ていた夢の中の骸骨が、ベッドに腰を下ろして祐希を見ていた。
「ひっ」
逃げようにも足がもつれて、壁にもたれる様に張り付くと、そのままずるずると床にしゃがみ込んでしまった。
「おはよぉさん、ゆぅ~き」
「だ、だれ…」
蚊の鳴くような声だったが、相手は聞き取れたらしい。
「あ? 俺? そぉ言えばまだ言って無かったか?」
ベッドから立ち上がり、骸骨は片手を胸に当てた。
「俺はお前の道先案内人のウェイト。さっきは、まぁ、なんだ…事故っつ~事で。よろしく」
「………ぁ」
「祐希には、まぁ最後に一応良い思いをしてやろっつぅ事で、この俺が来たわけよ」
言っている内容がよく理解出来ない。
祐希の頭はまだ整頓が出来ていない。
「……」
言いたい事や聞きたい事がたくさんあり、そもそもまだこの正体不明の骸骨が何なのかも分からない。
「ま、祐希が寝ててかなり時間喰っちまったけど、も少しは自由に出来るし。何でも言っちゃって~。なぁんでも叶えてやっから」
「……」
「ほいほい。ちゃっちゃと言う」
「……あ、の」
「あ?」
「あの…、あなたは」
「ウェイト」
「う、ウェイト、さん?」
「あ? だから何?」
「これは…あな、ウェイトさんは、失礼ですが…ウェイトさんは、人間ではないんでしょうか?」
何を言ったら良いのか、何を聞いたら良いのか分からなかった。
頭の整理がつかないまま、祐希は見れば分かる様な質問を骸骨、ウェイトに質問していた。
「そだな~。お前んトコの世界だと、俺の事を【死神】ってぇ言われてんな。だからま、人間じゃないわな。うん」
「そうですか。…じゃぁ」
「何?」
「じゃぁ…その死神のウェイトさんが、僕に何の御用でしょうか…」
頭の中で、さっきの夢が隅に映った。
何だか、予感がする。
「だ~か~ら、さっき言ったじゃんかよ。俺は、祐希の魂を、道案内しに、来たんだっての」
魂。
魂を道案内する者。
「言っている、意味が…」
また背中に汗が滲み出した。
「それもそだな」とウェイトはふいに手を空中でくるくる回した。
すると、いつの間にか、その手には紙切れが数枚、握られていた。
「あー…と。ま、普通そう思うわな。んじゃ、はしょって説明すっけど」
紙切れを見ながら、「時間。い~ぃ?」と祐希に聞いた。
小さく頷くと、ウェイトは「そんじゃ」と紙切れに目を落としつつ淡々と言った。
「…あ~。祐希にはめちゃくちゃ言いにきぃけどさ。後~、今何時だ…。…そだな、だいだいだけど、後7分弱で、お前死んじゃうわ」
「…え?」
「待て待て。後、6分58、57、56秒後に、心臓発作で魂とその入れもんとが分離する」
「は…」
「あ~、つまり、こっちの世界で言うと【死ぬ】っつぅこったな」
はいそうですか、分かりましたと言える様な余裕は無かった。
頭の中は真っ白で、目の前は暗かった。
「でもよ、べっつにイッタイのも一瞬だし、祐希の魂は俺が責任を持って運んでやるから。安心しろ。な?」
「…どこへ」
「あ?」
「どこへ、運ぶって言うんですか…やっぱり、地獄に、ですか」
かなりヤケクソ気味に言った言葉だ。が、ウェイトはそれを否定した。
「いんや。お前は地獄には行かねぇ」
「地獄へ、行かない?」
「あぁ」
「…はっ」
ははっ、と乾いた笑いが出てくる。
「祐希?」
「『地獄には行かない』?…義理母さんですか?…そんなに僕が鬱陶しいなら、こんな事しなくても直接言いにくればいいのに…!」
「なんだよ。どした?」
「義理父さんもですか。…聞いているんでしょう? そんなに僕にここを出て行って欲しいなら、今すぐ出て行きますよ!」
どうしてもっと早く気付かなかったのだろう。こんな非現実的な事。きっと二人がこの骸骨の衣装を着た人を雇って、こんな馬鹿げた事をしているのだろう。
「あなたも、もういいですよ。早く出て行ってください」
「おぃおぃ。祐~希」
「僕の名前を馴れ馴れしく呼ばないでください」
祐希は部屋の明かりを付け直すと、クローゼットから一番多きなボストンバックを出し、衣類や貴重品等を詰め始めた。
「出て行って欲しいんでしょう!? 今すぐにでも出て行きますよ! 良かったですね、大きなお荷物が減って。さぞ満足でしょうね!」
「祐希」
「馴れ馴れしく呼ばないでと言ったはずです」
「聞けって。俺は、祐希の義理親から依頼されたモンでも、偽者の【死神】でもねぇって」
その言葉に、祐希の手は止まった。
今見てみると、骸骨に黒いマントなんて、ありきたり過ぎて、なぜこんな張りぼてに恐怖していたのか、さっきまでの自分を鼻で笑いたい。
どうせ突然姿を現したのも、手から紙が出てくるのも、何かの手品に違いない。
「へぇ、そうですか。なら、あなたが本物と言う証拠を見せてください」
「証拠? しょ~こ、ね~…」
ウェイトは少し考えるような素振りを見せると、「オーライ」とまた紙切れに目を移した。
「そんじゃ、祐希しか知んねぇような事言うからな。手ぇ止めて、耳かっぽじって聞けよ」
「あ~、祐希が昔住んでた家の庭に桜の木が植えてあったろ。春に満開になると祐希とお前の親の3人で花見をしてるな。いいなぁ、桜植えてある家なんかそうそうねぇぞ。んで、夏は暑くなると、決まって近くの川へ行って釣りをしてたな。あぁ? お前、4歳ん時川に落ちて溺れかけたのかよ。そん後母ちゃんが助けようと飛び込んで、父ちゃんが2人を助けた、と。つか4歳の子供を水場に連れてくなよな、危ねぇし。祐希の腕んトコに落ちた時の傷、まだ残ってんだろ。ここらへん。…そんで秋は、母ちゃんと一緒に庭の落ち葉広いして、集めた葉っぱにダイブして怒られて。冬の時期になると父ちゃんと一緒にちっちぇかまくら作って、そん中にこれまたちっちぇウサギの雪だるまを入れて遊んでたろ」
祐希は目を見開いた。
「ど…」
どうして
ゆう
祐希
今でも思い出せる、あの2人の仕草、表情、優しさ、思い出。
「…あ~、そんで、祐希が8歳の春に。桜がもうじき咲く位に、父ちゃんと母ちゃんは揃って死んでるな」
ビクリ、と体が竦んだ。
「や…」
「水族館に行こうとしてたのか。親2人が家の玄関前に居た時、飲酒運転の車に撥ねられて、ほぼ即死状態」
もういい
ドクリ、と心臓が大きく跳ね上がり、顔に血が上ってくるのが分かる。
「祐希はその一部始終を見ていた。祐希は玄関に居た。靴を履こうとしてたんだな。さらぴんの靴で、ど~してもその日に履いて行きたかった。2人は祐希が来るのを待って、そこに、玄関前に居た。だから―――」
もうやめて
「お前は自分のせいで2人は死んだと思ってる。だろ?」
「…もういい…」
「その後、お前の引き取り先は居ない事も無かったけど、親戚をたらい回しにされて、今に至る、と。祐希、今でも事故ん時の夢を見て―――」
「もういい!」
祐希はこれ以上聞こえないよう、両手で耳を塞いだ。
「もういい! もうたくさんだ!」
つぅ、と一筋の涙が流れた。
「あんたには分からないだろう! あんなに優しかったお母さんが、夢の中じゃ笑いながら血まみれで僕の首を絞めてくるんだ! お父さんは、お父さんには足が無くてっ、僕の足を掴んで離さない! あの時! あの時僕が早く支度が出来ていたら、あ、あんな事にはならなかったのに!!」
どうしてあの時、いつも履いている靴にしなかったんだろう。そうすれば、2人は事故に巻き込まれなかったのに。
親族からは穀潰しだと邪険に扱われ、夢の中では両親が祐希を苛む。
「あんたが本物の死神なら、早く僕を殺して地獄に連れて行けばいい!」
目の前に居る子供は頼りなく、今にも消えてしまいそうだった。
ウェストは金色の目で、今回、魂をあの世へ連れていく予定の子供を見下ろした。
両親が死んでから、ろくな大人に会ってなかったんだろう。人間不信になったのも仕方がない。
最初に祐希を引き取ったのは母方の叔母、と手にある書類に書いてあった。始めは優しくされていたらしいが、両親の保険金が手に入るとお払い箱にされた。その後一旦施設に入って、次に父方の両親、つまり祐希の祖父祖母の所へ行っている。しかし最初の叔母の件で祐希は他の者を信じられなくなっていた。年の関係もあるが、可愛げの無い祐希を持て余した2人は、毎月養育費を払う条件で遠い親戚、今の夫婦へ押しつけるようにして祐希を預けた。
今まで何百年と仕事を続けていたが、こんな出来てない大人達に人生を台無しにされた子供は久しぶりだ。
それに、今回は少し異例だ。
8年前のあの事故は、本来、祐希も巻き添えになるはずだった。
その日、親子は全員死ぬはずだったのだ。しかし、祐希はどうしてか生きている。
一日に死ぬ人間は決まっていて、それが覆るのはまずあり得なかった。
お偉い方が大勢集まり、議論がなされ、出た答えは、祐希を『観察』する事。
もしかしたら、この子供はこの世界に必要な人間かもしれない。だから傷一つ無く事故から免れた。
直ちに見張りが付き、『観察』は始まった。が。
何年経っても普通に人間と変わらず、必要どころか他からは疫病神扱い。期限まで待って、何も変化が無ければ殺してしまえ、と上層部からの伝令が来たのは1年前。
そして今、案内人としてウェストがここに居る。
自分勝手な上司に嫌気がさすが、それ以上にこの子供が不憫でならなかった。
あの時、親と一緒に死んでいれば、こんな生き地獄と言う苦しみを味わわずに済んだものを、勝手に生かされた挙げ句、こちらの都合で祐希の命を奪う。
理不尽すぎる仕事だ。どの仕事先の人間は口々に「死にたくない」「まだ生きていたい」と涙を流すが、目の前に居る子供は「早く殺してくれ」と言い泣いている。
魂を連れていっても、地獄に行くか極楽に行くかは分からない。上司の事だから、魂の存在自体を消してしまうかもしれない。
やりきれないが、これがウェストの仕事だ。この仕事が、彼の存在する意味なのだから。
「死んだら…」
祐希は泣きながら、誰にでもなく呟いていた。
「お母さん達に会えるかな…?」
もし、あの世で再会出来たとしても、罵られるかもしれない。「もっと生きたかったのに!」と詰られるかもしれない。
でも今、無性に二人に会いたかった。会って、二人に抱きしめて欲しいと強く思った。
「…」
死神はその問には何も言わず、「祐希」とだけ言った。
「そろそろ、時間だ」
そう言えば、骸骨はさっき、7分後と言っていた。後どれ位で7分後なんだろう。
「ゆぅき。何か、願いはねぇのか」
『願い事』
「お父さんと」
祐希
「お母さんに」
ゆう
「会いたい…」
「…了~解」
辺りはあの悪夢のような真っ黒ではく、薄い桃色だった。
ゆう
近くで、誰かが祐希を呼んでいる。
ぼやけた視界がはっきりしてくると、そこは昔住んでいた庭先だった。
ゆう、ほら見て。
呼ばれた方を見ると、そこにはお母さん居た。
庭に出て、笑ってる。
満開よ。綺麗ね。
お母さんの隣には、大きな桜の木が枝いっぱいに花を咲かせている。
祐希が今座っている場所は、この桜がよく見える所で、花見の時期になると3人で並んで眺めていた。
風が吹くたび、ひらひらと花弁が散り、庭の地面を桜色に染めていた。
だから薄い桃色だったのか、とぼんやりと思っている時。
おいおい母さん、台所のガスが付けっぱなしだったぞ
後ろからお父さんがやって来て、お母さんにそう言った。お母さんは。
忘れてたわ、大変
と言いながら少し慌てた様子で家の中へ入っていった。
祐希
お父さんは祐希の隣に座りながら、ふいに頭を撫でた。
よく、頑張ったな
お父さんの手はいつも大きくて、硬くごつごつしていてたが、とても安心できる手だった。
ゆう、お父さん
お母さんが手作りのみたらし団子と湯気の立つお茶をお盆に載せてきた。
お母さんは料理上手で、作る物はみんな美味しかった。
ほら、ゆう
お母さんも祐希の隣に座り、3人で桜を見ながら団子を食べた。
美味しい?
うん、と頷いた。
そう、良かった
お母さんが笑って、それに釣られて、祐希も笑った。
そう言えば、こうやって笑うのも久しぶりだった。
今は、とても安心する。ずっとこうしていたい、と思った時。
「あ」
桜の陰に、誰かが立っているのに気付いた。
祐希?
ゆう、どうしたの?
両親が心配そうに聞いてくるので、なんでもないよ、と笑った。
お父さん、お母さん。大好き
風が一際大きく吹き
花は散った。
かなり前、違うサイトにて投稿した話です。読み返したら誤字脱字がたくさんあってびっくりしました。
色々伏線がありますが、一応これで完結です。




