表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電灯  作者: 三日月 夕
1/7

1/5

 雲ひとつない夜だった。

 星の瞬きなんて、最後に見たのはいつだっただろう。肉眼で見えるのは、数えられるほどの僅かな星々。ただ、都会ではこれでも見えているほうなんだろうな、と結衣は思う。

 すれ違う人もいなければ、通り過ぎる車の数も少ない。

 風呂から上がり、寝間着に着替えた後、急いで家を飛び出してきた。寝間着で外を歩くなんて、女子大生の結衣には屈辱的だった。ジェラートピケでもなければ、ピーチジョンでもない、くたびれたTシャツとステテコだ。

 出来れば、このまま誰ともすれ違いませんように。

 結衣の足取りは速くなった。

「いらっしゃいませ」

 コンビニの放つ光が、結衣の寝間着を闇から引きづり出した。

「あのー、すみません」

「はい」

 眼鏡を掛けた婦人は、よく接客してくれる店員だった。

 お母さんと同じくらいの年齢で、愛想もよく、朝に買い物をすると必ず「行ってらっしゃい」と笑顔で送り出してくれる。

 駅前のコンビニより、駅に行く途中にあるこのコンビニに寄ることが多かった。

「殺虫剤……なんてないですよね?」

「殺虫剤ですか?うーん、そうねぇ、うちはないけど」婦人の困った顔は初めて見た。

「そうですよねぇ」

「ウエルシアさんは?あそこなら絶対あると思うけど」

「それがもう閉店時間を過ぎてしまいまして」

「あちゃー、そうよね。もう十一時過ぎてるもんね」

「はぁ……」

 携帯電話も持たず、鍵も掛けずに家を出てきてしまった。このままあの家に帰ることは出来ない。

「ゴキブリでも出たの?」

 婦人の優しい笑顔に、結衣は突然、泣きそうになった。

「そうなんです。私、一人暮らしで……」

 十八で実家を離れ、一人暮らしを始めて今日という日まで、一人暮らしが不安だとか心細い、なんて一度も思ったことがなかった。

 一人暮らしは、夜中にアイスを買いにコンビニに行くのも自由だし、朝帰りしても誰にも怒られることはない。部屋が多少散らかっていても構わないし、休みの日には誰にも起こされずにずっと寝ていられる。

 何の問題もなかった。夏の夜に虫さえ出なければ。

「若いお嬢さんの一人暮らしは大変よね」宥めるように言うと、婦人は結衣の背後に視線をやる。「どうぞ」

 背後に人が並んでいたのに気付かなかった。

「す、すみません」

 一歩横にずれた。このままここにいてもどうしようもないのだけれど。

 若い男は、婦人に紙を渡した。婦人は慣れた手付きで、バーコードを使って読み取った。

「確認よろしければ画面タッチお願いします」

 男の指先が画面を押した。

 手はその人を現す、とある者は言う。またある者は、背中はその人を現すと言う。

 結衣は、男の指先から手を、手から背中を見る。

 細く長い指、大きな手、少し猫背の背中。その全てから、彼が男であると感じさせた。

「341円のお返しです」

 男は、お釣りをそのままズボンのポケットに入れた。

「ねぇ、そうだ。お兄さん、この子の家に行って虫退治してあげてくれない?」

「え?」顔を上げると、振り返った男と目が合った。

「家にね、虫が出ちゃったんですって。でもほら、うち殺虫剤置いてなくって」

「いや、でも悪いですし……」

「もうウエルシアさんも閉まっちゃった時間でしょう。可哀想に、一人暮らしなんですって」

 ご婦人、それ以上は言ってくれるな、と心の中で叫んだ。もちろん婦人には届きはしない。

 見ず知らずの男を家に招くなんて、婦人は同じ女として意味が分かっていないのだろうか。まして、夜は刻々と更けている。

「大丈夫です、なんとかします。ご迷惑をおかけ出来ませんから」

 幸いなことに、男は迷惑そうな顔をしていた。

「僕でよければ、退治しますよ」

 鼓動が一瞬止まったかと思った。

「いや、でも……」

「あらー、よかったよかった。このお兄さんなら大丈夫。安心して平気だからね」

 婦人の声が1オクターブ高くなった。すっかり喜んだ婦人は、一仕事やり終えた顔をしていた。

「では、行きましょう」

「え、え、」

「ありがとうございましたー」

 男が足早に出口に向かったので、結衣もつられて店を後にした。

 目に残った婦人は、今まで見たことないくらい素敵な笑顔で手を振っていた。

 店から出ると、夜の静けさがそこにはあった。バチバチと音がするので、見上げるとコンビニの入り口の上にブルーの蛍光灯が数本あり、虫がぶつかっては音を立てて床に散っていた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ