飲みすぎ注意
「珍しいね、ロレーナが来るなんて」
「そうですかー? ネロ君がいない間ぁ、よくロドルフォさんのお店でぇ、飲んでたんですよー」
ネロの店、カウンター席に座るとロレーナはカクテルとバーニャ・カウダを注文してからネロとそんな会話をした。ロレーナの隣にはビアンコがいる。ビアンコは何も注文せず、ただ無表情でネロを睨んでいた。ネロにはその理由が痛いほど分かるので、苦い笑みを浮かべる。
「感覚を共有って形に出来たらいいんだけどな。ごめん」
「いいです、謝らなくたって……主がポンコツなのは私がよーく知ってますから」
ビアンコには視覚と聴覚以外の感覚がない。味覚などがないため、ロレーナと共に食事を楽しむ等が出来ないのだ。普通の女の子として暮らしているビアンコにとって、かなり深刻な問題である。
「まあ、感覚がない分私が飲みまくって主を潰すという手もあることですし」
「それだけはやめてくれ」
「そうですよー。二日酔いでぇ、休業になったこともぉ、あるんですからー」
ネロはサッと目をそらした。いつの日だったか、少しだけと言いながらアドルフォに乗せられて飲み過ぎ、酔いつぶれてしまったときのことを思い出す。あんな酷い二日酔いは二度とごめんだった。
「ん、いらっしゃい」
どう話題をそらそうか、なんてネロが考えていると店の扉(修復した)が開かれて一人の人物が入ってきた。頭から爪先まで目に優しいアースカラーな中性的な顔の人物。スメールチだった。
「今日は仕入れの日じゃないと思ったんだけど」
「飲みたくなったから来たんだよ。ウォッカベースで頼むよ?」
ロレーナの隣に座るとスメールチはローブを脱ぎつつ注文をする。それからロレーナの方を向き、「今晩は、ロチェスさん。ちょっと飲むの付き合ってくれないかな?」なんて言うのだった。これが彼なりのアプローチだということをロレーナはまだ気づいていない。
◇
カクテルは大分ハイペースで飲まれていった。
元々アルコールに強いスメールチにロレーナが合わせる形になったため、当然といえば当然なのだが、それでもかなりのハイペースだった。ネロやビアンコが心配し始めた頃には、ロレーナの顔は真っ赤に染まっていた。
そして二人が心配し始めても飲み続けて三杯目。とうとう異変は訪れた。
「……なんかぁ、暑くぅないですかー?」
少し呂律が怪しくなった口調でロレーナは言う。気温が上がったわけでも、人口密度が高くなったわけでもないためビアンコが首をかしげた。
「そうなんですか? 暑くなる要因が見当たりませんが」
感覚がないビアンコはやや自信なさげだ。そこにネロがフォローするように「俺は暑くないけど」と言う。それとは逆に、スメールチは「体を暖めるにはウォッカが一番だよね」なんて言ってヒヒヒと笑っている。しかしスメールチは暖まったようには見えなかった。顔色が全く変化していないのだ。
「ん、んー。十分ー、暑いですよー。汗だくになっちゃいますぅ」
襟を持ってパタパタと仰ぎながら、本当に暑そうにロレーナは言う。その動作は当然服を引っ張って行われるため、胸元が大きく見えてしまうことになる。豊満な谷間が見え隠れし、ネロとスメールチはあわてて視線をそらした。しかしロレーナはそんな二人の反応を全く気にしない。
「ロレーナさん、暑いのは分かりますが、服で仰ぐのはやめてあげてください」
見兼ねたビアンコがそう言って襟を持っていたロレーナの右手をおさえた。するとロレーナは素直に「わかりましたぁ」とビアンコの言葉に応じる。ネロとスメールチはそこでほっと安堵のため息をつき、ビアンコはロレーナの右手から手を離した。
次の瞬間だった。
男二人が安堵したのもつかの間、ロレーナは普段からはおおよそ信じられないような行動に出る。
「ちょっ!? ろ、ロチェスさん!?」
「だってぇ、暑いんですもんー」
「あおいでませんよー」なんて言うロレーナの口調はどこか熱っぽい。大きく露出されたロレーナの肩を見て、スメールチは思わずその続きを想像してしまい、一気に顔を赤く染めた。
屁理屈を言って服を脱ぎ始めるという手段に出たロレーナに慌てたのはスメールチだけではない。ネロとビアンコもそうだ。ビアンコは立ち上がるとロレーナの服をつかみ露出された肩を再び服の中へ戻した。
「冷静になってください、ロレーナさん」
「私はぁ、大丈夫ですよぅ」
「いえ、全然大丈夫じゃ無さそうです」
「暑いならぁ、ビアンコちゃんもぉ、脱いじゃえばいいんですよー」
「私は一度もそんなことは……ッ!?」
酔っ払いの思考は読めない。
ロレーナはビアンコの服に手をかけると、丁寧にボタンを外していく。どこか楽しそうな様子だ。ビアンコが「ちょ、ちょっと!」なんて言って止めようとしても全く聞き入れず、邪魔をしてくるビアンコの手をどかそうとする。
「ふふ……」ふわりとロレーナは笑みを浮かべる。その笑みはどこか不敵なもので、思わず見とれてしまうようなものだった。「可愛いですぅ、ビアンコちゃん……」
ロレーナの顔がビアンコの顔に急接近し、そのまま唇が頬に当たる。感覚がなくとも何をされたのか理解したビアンコは声にならない声をあげて固まる。一方で、その様子を客観的に見つつも、その柔らかい感覚だけ送られてきたネロは頬に手を当てつつ口をパクパクと動かしている。勿論顔は真っ赤で目は見開かれている。
「ロチェスさん、落ち着くんだ。冷静になろう、冷静に……」
スメールチは突然の展開に困惑しつつもロレーナの肩をつかんでその体を半回転させ自分の方へ向かせる。そして落ち着かせるように、言い聞かせるようにゆっくりと、ただしロレーナの目を見ずに言う。
「…………? ああ、」スメールチの行動に、一瞬分からないような顔をしたロレーナだが、すぐになにかを理解する。「焼きもちさんですねー?」
その瞬間、あってるけど違う! というスメールチの心の叫びが聞こえたような気がした。
スメールチの気持ちなどこれっぽっちも知らず、今は回りすらなにも見えていない状況のロレーナの暴走は止まらない。とろんとした瞳でスメールチを見つめつつ、顔を徐々に近付けていく。スメールチの心臓が爆発しそうなほど騒いでいたってお構いなしだ。
「…………あれ?」
あと少しで唇と唇が重なってしまう。そんな距離まで来て、とても中途半端なところで、ロレーナの暴走は唐突に終了した。スメールチが色々と覚悟を決めたと同時にロレーナの顔が突然スメールチの視界から消えた。スメールチの首に腕を回したままの状態で、ロレーナの頭はスメールチの胸にもたれ掛かっている。そう、寝てしまったのだ。
スメールチは嬉しいようなガッカリしたような、悲しいような幸せなような、なんとも言えぬ複雑な表情でネロとビアンコを見る。そのあまりにも憐れなスメールチを二人は直視することができなかった。