静か……じゃない時
目的の場所に着くと、僕は学院の壁に寄りかかって腰を下ろした。
やっぱりここが一番落ち着く……。
この場所は、普段めったに使われることのない器具なんかを置いてある倉庫があるだけで、人はほとんど来ない。
地面には青々とした草が生えており、この静けさに加えて、さらに癒やしの効果を高めてくれているーー気がする。
人との付き合いとうるさいのが苦手な僕にとっては最高の場所だ。
授業の疲れを癒やすために目を閉じようとしたその時、
「おや? ルイス君ではないかね」
どこからか声が聞こえた。
またか……。
この声には聞き覚えがあった。いや、むしろうんざりするほど聞かされている。
案の定、顔をあげて見つけたやかましい声の主は、金色の髪に緑色の目をしたいかにもな感じの男だった。
「いやいや奇遇じゃないか、こんなところで」
男は整った顔を綻ばせながらこちらへ歩いてきた。
「何が奇遇だよ。毎日のように来るくせに……」
「うん? 私がここへ来るのは倉庫にある器具が目的であって、そこに偶然君がいるのだから奇遇と言ってもなんら差し支えないんじゃないかね?」
この男の名前はエレク・コルベール。いわゆる貴族のお坊ちゃんだ。
「そうだね。それが毎日じゃなければだけど」
「まあまあ、そんなことはいいじゃないか。私は君と話すのを楽しみにしているのだから」
彼が僕との会話を楽しみにしているのはおそらく事実だろう。
ただそれは、仲のいい友達と話すのが楽しみというわけでも、僕の話が面白いというわけでもなく、僕をからかうことが楽しみだという意味だろうが。
彼は容姿端麗、成績優秀、周りからは一目おかれている。さすが貴族といったところだが、だからこそ僕のような奴をからかうのだろう。
「ところでルイス君。君は試験の準備はもうしたのかね?」
「……試験?」
ああ。確かにそんなことを先生が言っていたような気もする。
「おや? その様子では準備はおろか、試験の存在自体も忘れているようだね」
彼は卑しい笑みを浮かべながらそう言うと、さらに言葉を続けた。
「落ちこぼれの君が何の準備もなしに試験を乗り切れるのかい? 私は心配だよ」
もちろん、彼が心の底から僕のことを心配しているはずもない。それは彼の顔に書いてある。
そう、僕は落ちこぼれだ。
授業で指名されればやる気なさげに「わかりません」と最早定型文と化した言葉を即座に発し、試験を受ければ毎回のように補習に引っかかる。
この学院は試験の結果によっては次の学年にあがることができない。特に学年末の試験は進級に大きく関わってくる。
逆に言えば、学年末の成績さえ良ければ進級できてしまうのだが……。
ある人が言うには、僕はやればできる子らしい。
事実、一科生の学年末試験は頑張ったーーといっても言うほど頑張ってはいないーー。二科生になっているのがその証明だ。
別に僕は勉強が苦手というわけでも嫌いというわけでもない。
ただ面倒なのだ。
ある時はそれは熱心に勉強したものだが、今では勉強に意味を見いだせないでいる。
いや、勉強だけではない。僕は自分が生きていることにさえ意味を見いだせていない。
なぜ僕は生きているのか?
あの時、いっそ神様なんかが僕を殺してくれれば……。
話がそれてしまった。
「別に君に心配されなくても次の試験は二科生あがって最初の試験だし、結果が悪くても問題ないよ」
僕は彼に思ったことをそのまま言った。
彼はその言葉を聞き、一層気色の悪い笑みを浮かべて僕に追い討ちをかけようとした。
が、それが行動に移されることはなかった。
「ちょっと。何してるの?」
突如かけられた声にエレクは驚いたようだが、すぐに体裁を整えたーーさすが貴族ーー。
「これはこれは、ミス・リリー。このような場所に何の御用ですかな?」
声の主は少女であった。
この少女の『用』に僕は覚えがある。
「あたしはそこにいるルイスを迎えに来ただけよ」
少女は少し伸ばした赤い髪を風になびかせながらこちらを指差しそう答えた。
少女の名前はリリー・コーウェン。
この少女もまた容姿端麗、成績優秀といった周りから一目おかれている存在の一人なのだが、エレクと違ったところといえば、彼女は貴族の出ではなく、いたって普通の宿屋の一人娘であることだろうーーそれに性格も良いーー。
「どうせまたルイスをからかってたんでしょう? いい加減止めたら、それ」
「からかうなんて御冗談を。私はただルイス君を心配していただけですよ」
貴族で受けた教育のおかげだろうか?
エレクは女性に対しては丁寧な立ち振る舞いで対応する。
レディーファーストとかなんとかってヤツだろう。
対してリリーは相手が貴族だろうと何だろうと強く出る。
別にそこまで気が強いというわけでもなく、ただ相手がエレクだからかもしれないが。
「貴族様がこんなところで油を売ってていいの?」
リリーはエレクを黄色い瞳で真っ直ぐ見つめながらそう言った。
一見、相手を気遣っているように見えるが、隠れた本音は「さっさと立ち去れ」だ。
なんかオーラみたいなのが見える気がする……。
正直少し怖い。
エレクもそれを察してか知らずか「それではこの辺で失礼させていただきます」と言い残し、倉庫の方へと向かって行った。