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空も跳べるはず

作者: 吉良弾正



 私は自転車を駐輪場に置いて走り出す。

 病院の受付を通り過ぎて向かうのは…… 何階だったっけ?

 エレベーターのボタンを押して、降りてくるのを待つ。

 その間に携帯を開いて、つい一時間ほど前に届いたメールを見る。送信者の名前はみどり。私の妹の藤原翠からのメールだ。

『おねえちゃん助けて欲しいの。総合病院の326号室まで急いで来て!』

 このような文面のメールを送られて、私は文字通り家を飛び出した。

 火の元、戸締りの確認はしたけど、飛び出したっていう表現はたぶん間違っていないと思う。

 エレベーターに乗り込み3の数字を押して閉のボタンを連打する。

 急いでいる時の機械的な速度には若干イライラする。

 たいしたことでもないのに、自分が急いでいる時にはそれがひどく鬱陶しく感じるものは意外と多い気がする。

 幸い、エレベーターは二階で停まったりせずに三階でその扉を開いた。

 さすがに病院内で走るのはマズいので歩いて、しかしなるべく早足で326の数字を探す。

 324、325、326!

 見つけた瞬間そのドアを横に思い切り引いていた。

「翠!!」

 妹の名を叫びながらその部屋に飛び込む。

「「…………」」

 その部屋の六つのベッドとその周りにいる人たちから冷たい視線が私に突き刺さる。

「お姉ちゃん、静かにしたほうがいいよ?」

 語尾が少し上がって疑問系のようになっている独特の喋り方で私に注意をしたのが妹の翠だ。

 ドアを挟んで左右に三つずつベッドの置いてある病室。その左側の窓側のベッドの脇から少し心配そうな妹の姿が見える。

 他のベッドの方に頭を下げつつ妹のいるベッドの方に向かう。

 どうやら妹が怪我や病気になったのではないようだと少し安心する。

 しかし、妹の関係する人物がそうなっていると考えて不謹慎だったかもしれないと反省する。ふと見ると、妹の隣には背の高い人物がいる。

 妹の身長はたしか150に届くか届かないかというところで、その人物は180以上はありそうだ。

 服装は私の通っている高校の男子制服。

 顔は私と同じクラスの松下くん……あれ?

「松下くん?」

 目が合って互いに顔を確認すると思わず声にだしていた。

「藤原さん? なんで?」

 松下くんも私と妹の方を交互に見ながら聞いてきた。

「ちょっと待って、一応翠と話させて」

 しかし私と妹、松下くんとベッドに横になっている人。

 この四人の中で一番状況がわかっていないのは私だと思うので、とりあえず妹に呼び出された理由を聞きたかった。

「お、おう」

 松下くんはそれに応じるとベッドの人と話しだした。

 私は妹に向き直る。

 松下くんの声が私の耳に届く。

 どうやらベッドの人は今井くんというらしい。

「それで、どういうことなの?」

 何もわからないので翠に説明を要求する。

「えっとね、えーと……」

 モジモジしている姿がかわいらしくて守ってやりたくなってしまうが、話が進まないので先をうながす。

「えーっと、そこの怪我してる子と何かあったの?」

 今井くん、そう松下くんが呼んでいた子は足を折っているようだ。

 妹が直接折ったとは考えられないが、間接的に関係があるのだろう。

「あのね、今日学校から帰る時に交通事故に遭いそうになって、そこを助けてもらったの」

 なるほど、それで代わりに事故に遭ってしまったというわけか。

「それで助けてもらったあと勢い余って転んで足、足の折っちゃって……」

 少しおかしい言葉が聞こえたかな?

「いやー、危ないと思って助けたのはいいんですけど、僕も勢いつきすぎちゃって」

 話が聞こえていたのか、ベッドの上から声が届いた。

「それで自分で折れたのがわかったので、その場にいた彼女に付き添いお願いしちゃって」

 その声を聞いて翠がコクコクと首を縦に振っている。

 とまあ、そんな理由で今井くんが骨折してしまった。

 間接的とはいえ原因になってしまった翠は途中で帰るとかできないタイプだ。

 それで、と私は松下くんに向いて話しかける。

「今の説明だと私が呼ばれた理由がわからないんだけど、そこは貴方が説明してくれるのかな? 松下くん」

 私は翠より10センチほど身長は高いがそれでも松下くんよりだいぶ低い。

 見上げるような形になってしまう。

「いや、俺はわからないんだけど……」

 人差し指でこめかみのあたりを掻きながら目を逸らす。

「お姉ちゃん」

 後ろから翠に声をかけられる。

「あのね、今井さんはそこの松下さんと同じ部活なんだって」

 たしか松下くんはハンドボール部だったはずだ。以前大会までもうすぐだと話していたのを聞いた記憶がある。

 ん、大会?

「それで、もうすぐ大会なんだけど、今井さんが私のせいで出られなくなっちゃって……うぅ」

 翠が泣きそうになったので慌ててフォローする。

 翠は結構内気で弱虫な所があるから、物事をネガティブにとらえる傾向がある。

「み、翠。それでどうして私を呼んだの?」

 少しだけ嫌な予感がしたが、続く翠の言葉は私が予想していたものとほとんど同じだった。

「お姉ちゃんが今井さんの代わりに大会にでたらいいと思ったの」

 翠は、いい考えでしょ、と言いたげな笑顔で私たちを見ている。

「できるわけないでしょ! 私は女子で今井くんは男子なんだよ!」

 少しだけ声を荒げて反論する。

 一応病院だということは忘れていない。

「そうですよ! 骨折の原因は自分の責任なんでそんなことは――」

「いや、いい考えだ」

 今井くんが私と一緒に反論し始めたら、松下くんがそれを止めて何か言いだした。

 私の記憶が確かなら、松下くんはハンドボール部の部長のはずだ。

 昨年、入学すると同時にハンドボール部を創った人間が何を言っているのだ。

 ハンドボールのルールは詳しくは知らないが、普通のスポーツは男女別で行われる。

 おそらく高校のハンドボール協会か何かの規定でも男女別だと思う。

「部長? 何言ってるんですか」

 今井くんがおかしなものを見たように目を大きく見開いて松下くんに聞いている。

「言いたいことはわかっている」

 松下くんは今井くんに対してものすごい自信たっぷりな口調でそう言った。

 男子に女子が混ざっても大丈夫なのか、それとも何か解決法があるのか。

「俺は去年と今年、藤原と同じクラスだ。だから覚えている、今は部活に入っていないようだが、藤原の運動能力は男子と比べても遜色はない」

 なんか的外れなことを言い出した。

 ああ翠、そこでほら私の言った通りお姉ちゃんなら大丈夫!って顔でこっち見ないで。

 それ(松下)の言ってることは少しは正しいかもしれないけど、今心配してることとは違うの。

 ストライクゾーンからだいぶ外れたところに球を投げた松下くんに対して心の中でつい、それ呼ばわりしてしまった。

 自分でハンドボール部を創るような人間だし、行動力のある人だとは思ってはいたがこれは少しまずい。

 うちの父親と同じタイプだ。行動力も責任感もあるが少し思い込みが激しい。そしてどこかズレている。

 その結果、現在私たちの両親は海外で仕事をしている。

 それで私たちは日本に残って、私は部活に入らず家事をしているのだ。

 翠はまだ中学生で、通っている中学は生徒全員の部活動が義務付けられている。

 本当は自分より翠の方が家事は得意なのだけど。

「というわけで、藤原。よろしく頼む」

 少し考えが飛躍していた。

 松下くんが頭を下げていた。

「こ、断る」

 とっさに断ってしまった。

「な、なんでだ?」

 断られるとは思っていなかったのか、松下くんが真剣に聞いてくる。

 普通の人間は断ると思うのだが、私が間違っているという気になってくる。

「部長、僕の不注意が原因ですしさすがに女子を男子ハンドの試合に出すのはちょっとまずいですよ」

 おお、今井くん。

 彼は結構話がわかる人間のようだ。

「お姉ちゃん。なんで駄目なの? お姉ちゃん運動好きだし、本当は部活やりたいでしょ?」

 その言葉にはっとする。

 個人的には翠に気づかれていないと思っていたのだが、部活というより運動が好きなので何かしたいとは思っていた。

「そうなのか、だったらぜひ今井の代役として試合に出てほしい」

 翠の言葉を聞いて松下くんが目を輝かせている。

 いやいや、そんな目をされても困る。

「お姉ちゃん、私手芸部だしある程度融通も利くからやってみたら?」

 そう。部活強制とはいえ文科系で大会などもない手芸部の翠。

 一応真面目に出てほしいから今まで余裕があるとはいえ家事は私が先に帰ってやっていたのだ。

 とはいえ、そう簡単な話ではない。

「翠、そうは言ってもね。今問題なのは私が女子で男子の試合に出るのは問題があるってことなのよ」

 むむむ、と小さく唸る翠。

 何がむむむだと小さく苦笑してしまう。

 きっと最近読んでいたマンガに影響されているのだろうけれど、女の子がむむむはちょっと問題ある気がする。

 私も最初に読んだ時はちょっと使ったことあるけど。

「しかし、大会はもうすぐだし今井もすぐ退院できるとは言っても、しばらくは松葉杖だ。できればやって欲しいのだが、このとおり」

 再び頭を下げる松下くん。

「うう…… そこまで頼まれてもね。女子の私が男子の大会に出られるの?」

 規定で決まっていれば出られないはずだ。

「わからないが、おそらく大丈夫だ!」

 わからないのに自信たっぷりで答えないでほしい。

「わからないって……」

「これから帰って調べよう。まあ、いざとなったら男子のふりしてでれば大丈夫だろう」

 松下くんのよくわからない自信はさておき、翠までもお姉ちゃんなら大丈夫だよという顔でこちらを見ている。

「それに私がそれをOKしたとして他の部員が納得するとは思えないんだけど」

 他の部員たちがよく知りもしない女子が突然代わりに出ると言っても納得はしないと思う。

 現に今井くんだって反対しているわけであるし。

「それはちゃんと話せばわかってくれると思うぞ。なあ、今井もそう思うだろ」

 松下くんはさっき今井くんが反対していたのを聞いていたはずなのに。

「いや、まあ僕が原因ですし、藤原さんがいいなら僕は反対はしませんけど……」

 歯切れがわるいセリフだが、できれば反対してほしかった。

「ほら、藤原さん聞いただろ? 他の部員もきっと大丈夫だ」

「部長、僕はあくまで藤原さんがいいならってだけで、それに女子が参加するのはまずいと思うんですけどね……」

 今井くんは私に悪いと思っているのか弁明しているような口調だ。

 松下くんの耳には届いてないようだけれど。

「他の部活の男子とか、部活入ってない人に助っ人を頼むのじゃ駄目なの?」

 私が出るより問題も少ないと思うのだが。

「それは無理だ。今の二、三年生の男子にはハンドボール部を創る時に全員声をかけている。それに運動部は春の大会期間がたいていかぶっている」

 まさか全員に声をかけているとは思わなかった。

 確かにテニス部やバレー部の友人ももうすぐ大会があると言っていた。

 大きな溜め息を一つ吐く。

「わかった。明日までに女子が出ても問題ないか調べてきなさいよ。問題なかったら、とりあえず練習には出てあげる」

「そうか! ん、練習?」

 松下くんはものすごい嬉しそうな笑顔のあと小首をかしげた。

 でかい松下くんじゃなければ可愛い仕草なのだが……

「とりあえずよ、とりあえず。他の部員に事情を説明して全員が了承したら大会にもでる」

 本当は問題にしかならないとは思っているが、松下くんはなんだかもう私を大会にだすつもりになっている。

 翠の考えた案だし、今のまま断ってしまうと翠は落ち込むだろう。

 大会規定とかで駄目なら翠も納得するはずだ、誰に似たのか妙に頑固な所がある子だから。

「すいません、藤原さん」

 今井くんが頭を下げる。

 いやいや、君は妹を助けてくれた恩人なのだから今井くんの為にもここは手伝うのもやぶさかではないだろう、うん。

 運動できるのは楽しみっていうのも少しはあるけど。

「じゃあ、明日ね。ほら、翠そろそろ帰ろう」

 そう言ったあともう一度翠を助けてくれた今井くんにお礼を言って病室から出る。

 最後に明日からよろしく!と大きな松下くんの声が聞こえてきたけどそれは無視する。

 ここは病院だ。

 翠もよろしくおねがいしますとか言わないの。

 まったく、楽しみ二割、面倒なのが八割かな。

 

 ◆  ◆  ◆


 ハンドボールとは、一チーム七人ずつの二組がボールを相手のゴールに投げ入れて勝負を競うスポーツである。


 そんな書き出しで始まるホームページを見ながら基本的な用語とルールを覚えていく。

 詳しくはわからなくても少しは勉強しておくのも他の部員たちの心象も良くなるだろうし。

 バスケは結構経験があるけど……バスケみたいなドリブルはダブルドリブルになるから、上から叩く感じでしかドリブルできないのか。

 癖で下からボールを掬わないようにしないと。

 ポジションは……あ、今井くんのポジション聞いてない。

 どのポジションやればいいのかな。

「あ、翠。今井くんってどのポジションやってるとか話した?」

 ちょうどお風呂から上がってきた翠に声をかける。

「聞いてないよ? なんだかお姉ちゃんたのしそうだね、良かった」

 そんなに楽しそうにしていたかな、確かに少しわくわくはしているけれど。

「今井さんの代わりって言っても同じポジションやるのかな、一番楽な所やらせてくれるんじゃない?」

 確かに、私は女だしこのホームページの説明を見る限りキーパーやセンター、左右の45度っていうのではないと思う。

「楽な所なんてないと思うけど、無理そうならやらないから大丈夫だよ」

 無理する必要はないし、何よりまだやるとは決まってないのだ。

「そうだね、きっとお姉ちゃんなら大丈夫だよ! 応援に行くからね」

 その大丈夫じゃないんだけどなぁ。

 翠の応援は私が中学の時以来か……

 少しだけ懐かしくもあり、試合にでるのも良いかもしれないと思ってしまった。

 ただ男子じゃなければ今回のような理由であればよろこんで試合にでるのだけど。

 しばらく運動しっかりとしてなかったから準備運動はしっかりしないと。

 ちょっと体動かしておこうかしら。

「お姉ちゃん、お風呂冷めちゃうよ?」

 そう翠に言われて思考を切り替える。

「わかったわ」

 そう言ってパソコンの電源を落とそうとする。

「ちょっと待って、私も調べたいことあるからそのままでお願い」

 珍しいこともある。

 機械音痴とまではいかないが電化製品の扱いが苦手で、それでも洗濯や掃除関係は問題ないがテレビの予約録画などは私に頼む翠が。

 普段はほとんど使わない妹が、パソコンで調べ物とは本当に珍しい。

「あら、そう。じゃ、終わったら電源落としておいてね」

「うん、あんまり長くやると目も疲れるし少しだけだから」

 わかったわ〜、と手を振りながら脱衣所へと向かう。

 とりあえず、やると言ったからには真剣に取り組もう。


 その後もいろいろ考えすぎてちょっと長湯してのぼせてしまった、反省。


 ◆  ◆  ◆


 翌日の放課後、私は運動着に着替えてから松下くんのもとに向かった。

「さて、どうだった?」

 いくつかの意味を含めて聞いてみる。

「うむ」

 松下くんは自信に満ちた表情で(いつも無駄に自信がある気もするけどそこはスルーだ)立ちあがって言った。

「大丈夫だ、女子が出てもたぶん問題はない」

「たぶん?」

 ちゃんと調べなかったのだろうか?

「い、いや、ちゃんと調べたぞ。女子が男子の大会に出場してはいけないという記述はみつからなかったし、性別を偽って出場してもいけないということもなかった」

 意外としっかり調べたのか。

 いや、松下くんのハンドボールへの熱意を考えればそこはしっかりとやるのか。

 普段課題を忘れたりよくしているイメージがあっただけに驚いた。

 つまり松下くん、彼は興味あることや好きなことに対して熱血で行動派だけれど、それに集中しすぎて他を忘れてしまうタイプなわけだ。

「ふーん、思ってたよりしっかり調べたんだ。で、どうする?」

「どうする、とは? 大会に出てくれるのではないのか?」

 あー、松下くんの中ではそれは決定事項なのか。

「一応、女子ですって申請するか男子のふりするかってことと、部員の確認はとったの?」

「男子のふりをするのがいいだろう、幸いうちは創部間もない。おそらくは弱い。運が良くとも二回戦止まりだろうしな、審判もそこまで注意はしないだろう」

 なるほど、そういえば昨年創部、今回が初の公式戦なんだったか。

 さすがに強いということはないだろう。

 県内のハンドボール部のレベルはよく知らないが、どの部活も県内に一つや二つは強豪校くらいあるだろう。

 てっきり勝つことをイメージしていたけどそうじゃないのかもしれない。

「で、部員の了承は?」

「まだだ、今日これから藤原を紹介するときに説明する」

 うーん、なんだか不安だ。

「心配ない」

 こっちの不安をみすかされたかな? 

 なかなか洞察眼が――

「少し女子っぽく見えても男子と言い張れば無理にみんな調べたりもすまい、なにより二年は俺以外には二人だ」

 鋭くなかった。

「ちょっと! 私が男子のふりするのって大会当日だけじゃないの?」

「しかし、男子の助っ人だと言えばみんな納得しやすくなると思うぞ」

「う、それは……そうだけど」

 珍しく正論が飛んできた。

 確かに最初から男子って設定にしておけばいざという時役にたつかもしれない。

 その分リスクも上がってる気もするけど。

 女子ってばれたら最初にばらして説得するよりは確実に面倒な事態になる。

 どっちにしても一長一短か……

「よし! どっちにしても今は行かないとね! 女は度胸!」

 グ、と両の拳を握りしめ気合を入れる。

「そうだ、その意気だ! 何かあってもとりあえず当たって砕けろだ」

「いや、砕けたくはないわよ。当たってもあまり痛くない程度でぶつかるつもり」

「なぜだ!? そんな気持ちじゃ立派なハンドボール選手になれんぞ!」

 私がいつハンドボール選手を目指した。

 そもそも翠のお礼とはいえ助っ人としもイレギュラーなはず。

 予防線をはっておくに越したことはない。

「ならないから。他の部員が一人でも反対したらやらないからね」

 元のチームメイトの関係を壊してまで入るつもりもない。

「藤原は心配しすぎだ。あ、おーい、高木」

 松下くんは前方にいた生徒に声をかける。

 どうやらハンドボール部員らしい。

 高木という名に反して小柄なその生徒は二年生のようだ。

 高木くんは私に気が付くと少し驚いた顔をして言った。

「あれ、藤原さん? ユキと一緒にどこに行くの?」

 さっそくバレた。

 と言うかさすがに同じクラスじゃなくても学年一緒ならそりゃあ気づく可能性もありますよ。

 しかも高木くんは名前も知ってたし、こういう時は下手にごまかさず真実を伝えて仲間にするのが一番。

 または無理やり共犯者にしたてあげる、とも言う。

「た、高木。こ、これはだな……」 

 自分で高木くんに話しかけていきなり設定と違う対応されてしどろもどろな松下くん。

 まあ、とっさの機転とかきかないタイプだもの、仕方ない。

「あの、高木くん? でよかったかしら」

 ちょっとだけ初対面の人用の仮面をつける。

 普段より若干言葉遣いと立ち居振る舞いを丁寧に。

「うん。藤原さんはユキ、ああ松下のことだけど一緒にどうしたの? いつも放課後は早く帰るって聞いたよ」

 高木くんはなぜ私のそんなことを知っているのかな、たぶん初対面だと思ったのだけど。

 松下くんの呼び方が「ユキ」なのはきっと友希ともきの読みがゆきだからだろう、たまにクラスの男子がその呼び方してからかってることがあったし。

 クラスでからかわれている時には嫌そうにしていたけど、同じ部活の高木くんが呼ぶのは気にしていないように見える。

 いや、今はそれより高木くんに事情をはなしてしまわないと。

「ちょっとハンドボール部に入部するからね」

「なるほどね、コーちゃんが骨折したからその代役ってわけか。うん、ユキもなかなか大胆だね、女の子を男子の試合に出すつもりだなんて」

 高木くんは誰かと違って本当に洞察力とか観察眼が優れているみたいだ。

 頭の回転も速そうだし。

「そういうこと、今井くんに妹が助けられたからね。恩返しってわけ」

 さあ、どう出るかな

「いいと思うよ。女子だって申請して出るの?それとも男子のふりし「ふ、藤原は男だ!」」

 高木くんの言葉に割って入ったのは松下くんだ。

 さっきから打開策を考えていたのかもしれないが、この状況でそれはどうなのよ。

「ぷっ、くくっ。 さすがユキ、おもしろすぎる。くくくくく」

 あ、高木くん笑いだした。

 今の松下くんの言葉には呆れるかウケるかだとは思う、ちなみに私は呆れた。

「高木、聞いてくれ。実は藤原さんは女子じゃなくて男子でな、それがわかったのでハンド部に入れようとだな」

 おお、超展開。

「ストップ! そこまでだよユキ。藤原さんが呆れてる」

 なにっ、とこちらを向く松下くんと目があった。

 その目は呆れているのか? と語っていたので私も視線で返答した、ゆっくりと明後日の方をみることで。

「ユキ、僕は藤原さんが女子だって知っているし、今の状況も理解できた。この案にも賛成だから変に取り繕わない方がいいよ」

 そう高木くんが言うと松下くんは肩を落とした。

「じゃ、改めて。僕は高木流星。ハンドボール部員、二年生。藤原空さん、君の噂はいろいろと聞いてるよ」

 噂!? 何か噂されるようなことをしたことはないんだけど。

「くく、そんなに訝しがらないで。去年クラスの運動部の女子があれだけ運動できるのに部活に入らないのがもったいないってよく言ってたんだよ」

 なるほど、一年の時には結構部活に誘われたりもした。全部家事を理由に断ったがそんな話をされているとは思っていなかった。

「僕は藤原さんなら男子に混ざってもやれると思うし今井の代わりもできるんじゃないかと考えるよ」

 一応味方と考えていいのかもしれない。

 学校の部活で味方も敵もない気はするけども、それでも協力的なのはありがたい。

 若干面白半分で言っているように聞こえたとしても。

「というわけよ、高木くんは私たちに協力してくれるそうよ、いい加減戻ってきなさい」

 バシン!と肩を落としたまま猫背になっている松下くんを叩く。

「いっっつ」

 跳ねるように背筋が伸びた。

「じゃあなんて呼ぼうかな。空だからくう……よし、クーちゃんって呼ぶよ、よろしく」

 横で高木くんが私をクーちゃんと呼ぶと言ってきた。

 どうやら人を変なあだ名で呼ぶのが彼の趣味らしい。高木くん、変わった人!

 そう心の中で思っておく。

「よく変人って言われるよ」

 心が読まれた!

 そしてその邪気しか感じられない無邪気な笑顔が怖い!

「ちなみにうちの部で一番強いのが高木だ、主に精神的な意味で」

 松下くんが解説をしてきた。確かにそう言われても納得する。

 「人を女みたいな名前で呼ぶなといくら言っても聞かん。」

  あ、やっぱり最初は嫌だったんだ。

「と、とりあえずよろしく」

 そう言いながら手を出し握手する。

 大きい……!

 握手してわかったが、高木くんの手は身長に反してとても大きかった。

 ハンドボールはボールを片手でつかむことが必要なスポーツだ。

 女子としては大きめの手だと思うけど今はちょっと頼りなく感じる。

 大丈夫、きっと大丈夫。

 これからやってくる初めてのハンドボールの練習に少しだけ不安になった。


 数分後、私の前には高木くんをはじめとしてハンドボール部員五人がずらりと並んでいた。

 ちなみに松下くんは今私の隣にいて、今井くんは今日は休みだからこれでハンドボール部の部員全員と顔を合わせたことになる。

「というわけで“彼”藤原空くんが今井の代わりに大会に出てくれることになった」

 そう言って私を見る。

「よろしくおねがいします。ハンドボールは初心者で、大会までの約束ですが足を引っ張らないようにがんばります」

 そう言って頭を下げる。

「部長!」

 はい! と元気よく手を上げた小柄な部員は一年生か。

「どうしたハチ」

 確か名前は八条くん。

 さっき一通り自己紹介をしてくれたのはたすかった。

「美人さんですけど本当に男子ッスか?」

 う、いきなりか。

 美人とか言われて悪い気はしないけど、ここは。

「一応男子だよ、美人って言うのは少し反応に困るね、やめてくれるとたすかる」

 自然に出せて無理にならない程度で低めの声を出して答えた。

「す、すいません、先輩!」

 おお、先輩って言われたよ。

 ちょっと感動したけど、冷静に冷静に。

 一応うまくごまかせたかな。

「いや、学年は上でもハンドボールは君の方が先輩だからね、そんなに固くなられると話しにくいから普通でいいよ」

 うーん、男子って言っても何か間違っている気がする。

 でもこんなキャラで演技始めちゃったからしかたない。

 あ、ちなみに現在私は髪の毛を後ろでまとめて一つにしている。

 ポニーテールって言っていいのかな、結構厳しいけど男子に見えなくもない、たぶん。

 小学校の頃こうしてたら男子に引っ張られたりしたので普段は髪を束ねたりしないけど、今は都合がいい。

 髪型だけでも印象はだいぶ変わる。だからきっとばれないよ、とは高木くんの言。

「それで松下、その藤原にはどこをやらせるつもりなんだ」

 次いで話を切り出したのは副部長の斉藤くんだ。

 目付きが結構鋭い。

「ああ、今井の代わりだし左45か、体格的にはサイドもありかと思うが」

 決めてなかったのか、と少し呆れて松下くんを見る。

 うん、気付かない。

 そういう人の感情には鈍感そうだしなー。

 好意にも悪意にも鈍感なのは良いことやら悪いことやら。

 そして私はあいにくと鈍感ではなかった。

 まあ、斉藤くんが思い切り私を睨んでるから気づくなって言うのが無理だけど。

「何か?」

 悪意を感じた所為でそっけなくなってしまった。

 ここはもう少し下手に行くべきだった。

「藤原、お前はどこやりたい」

 おそらく、この斉藤くんは私に良い感情は持ってない。

 その理由が何なのかはわからないけど、それでも臨時部員としては認めてくれたのかな?

「ちょっと詳しくは知らないですけど、たしか左45ってエースのポジションって聞いたような気がするんですけど」

 確かそんなことが昨夜見たホームページに書いてあった気がする。

「お前っ、その程度も知らないのかよ」

 うっ、斉藤くんの言うことも尤もです。

 初心者でスイマセン、でも斉藤くんは目付きが鋭い所為かすごまれるとちょっと怖い。

「まあまあ、藤原……は初心者だから仕方ないだろ、運動神経良いのは保障するし動き覚えれば戦力にもなれると思うぞ」

 松下くんからのフォローが入った。

 さすが部長、こういう所はしっかりしているのか。

「まあ一応エースのポジションだな、プロとか全国トップとかならだけどな」

 斉藤くんは松下くんに注意されながらも教えてくれた。

「ということは今井くんがエースじゃないの?」

 さすがに今井くんも一年だし、見た感じ部員たちの身長はあまり高くない。

 松下くんは高い。今井君も高かったから左45とやらなのだろう。

「いや、今井がエースだよ」

 あれ?

「今井は唯一中学でのハンドボール経験者だしな」

 ……あ、あれ?

「だからだよ、その今井の代わりをアンタができるのかよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」 

 話を整理しよう、うん。

 今私はポジションを聞かれている。

 その一、左45。

 今井くんのポジション、エースがやることが多い。

 今井くんは実は唯一の経験者だった。

 私はその穴を埋めることができるか、否。

 その二、サイド。

 バックプレーヤーのサポート、またはサイドシューター。

 ここならまだプレッシャーは少ない。

 でもここを選ぶとおそらく一年の誰かが移動することになる。

 きっと一年の子も試合に出るためにこのポジションの練習をやってきているはずだ。

 それを奪えるのか、否。

 その三……選択肢、なし。

「答えは出たか」

 うう、部長……

「左45とやらの動きを教えてください」

「よし、よく言った!」

 松下くんの目がキラキラしている。

 ここにすがるのはとても、とても不安だが背に腹は変えられない。

「おいおい、マジかよ……」

 斉藤くん、申し訳ないが左45とやらをやらせてもらうよ。

 あ、そうだこれだけ確認しとかなきゃ。

「斉藤くん、君は僕がハンド部の助っ人になることに反対なのか?」

 これ大事。

 反対だったらやらないって約束だったし。

「い、いや、助っ人には感謝している。俺も今井の話を聞いて友人に当たったが駄目だったからな。ただ、お前の練習で全体練習や松下の練習時間が削られるのが不安なだけだ」

 なるほど、彼は彼なりに部活のことを思っているわけか。

 だから不安だけど、私に助っ人を頼むしか方法がないと。

 納得はいかないけど、理解はできる。

 状況からその怒りや不満も私にぶつけたいけどぶつけきれないってところかな。

 頭に若干血が上っているのか顔も赤い、やっぱりちょっと怖い。

 よし、時間もあんまりないし練習は松下くんの話をよく聞いてやろう。

「納得できたか、それじゃあみんなはいつもどおり練習始めてくれ。俺は藤原に基本から教えるから」

 こうして、私の短くて長いハンドボール部生活がはじまったのでした。


 ◆  ◆  ◆


「……ということさ、わかったかい?」

 今は放課後、昨日ハンドボール部の助っ人として紹介された私は松下くんに基本を教わることになりました。

 結論、全然ダメ。

「はい、ルールは問題ないと思います、先生」

 今は空き教室を使って高木くんに基本を教えてもらっていた。

 この後は動きの基本を教えてもらう予定だ。

「よろしい。いやー、それにしても昨日は笑ったね、くくく」

「思い出さないでよ、松下くんの熱血言語は解読しにくくて」

 そうなのだ、松下くんの指導はやたらと擬音が多い。

 さらに、気合とか根性といった言葉が頻繁に出てくる。

 ルールとか基本の動きについて教わっているはずなのだが途中でこれは大会に間に合わないと判断して、申し訳ないが生徒から先生の変更をお願いしたというわけだ。

「それがユキの良いところなんだけどね」

 それは私にもわかる。

 熱血で純粋、物語の主人公タイプだ。

 ちょっと古いかもしれないけど。

 でも、先生とか監督、教官タイプじゃなかった。

「でも高木くんにしてもらって良かったよ、これで動いて練習ができる」

「どういたしまして、今日明日くらいは一人でやって明後日からみんなと同じ練習に入れるかな」

 大会までの日程を考えてもそれがギリギリのラインだ。

「まかせて、こう見えても球技は結構得意だからなんとか形にはしてみせるわ」

 そう言いながら教室を出て部室へと向かう。

「期待しているよ、それよりクーちゃん言葉遣いはいいの?」

 高木くんに指摘されて気が付く。

「おっと、外では気をつけないと。よく考えたら友人には口止めしたけど、僕のことを知ってる人が見たらすぐばれるんだよな」

 努めて男子っぽく話しておかないと、穴だらけだけれどばれる可能性を少しでも低くするためになんでもやるさ。

 ちなみに男子ハンド部に協力することで私が男子のふりをしなければならないことを話したら友人たちは快く承諾してくれた。

 男子演技をさせられたけど。

 宝塚とか男装の麗人とか男装執事とか言われました。

 やっぱり何かいろいろ間違ってた。

 正直自分でもなんでそんな演技になっていたのかわからないけれど、ハンド部員の前でもやっちゃってるから今更変えられないという事実。

「自分でやっといてなんだけど、僕はすっごい後悔しているよこのキャラ」

 思わず額を手で覆う。

「いやいやなかなか似合ったキャラだよ、ククク。正直僕としてはクーちゃんがどこでそんなイメージを持ったのか非常に興味があるんだけどね」

 実は少し心当たりがあるけれど、それは絶対に秘密だ。

 

 そんなことを言いながらもその日は実際にボールでシュートやパスの練習をすることができた。

 ちなみに一番の衝撃だったのは松やにだ。

 ハンドボールは片手でボールを持つことが多く、指にボールを握りやすくするため粘着剤をつけるらしい。

 大会とか体育館だと両面テープを使うらしいが、屋外だと松やにを使うそうだ。

 他のものを良く知らないけれどハンドボール用の松やになのだとか。

 最初はちょっとベトベトしていて気持ち悪かったけどすぐに気にならなくなった。

 これがなかったら私は男子用のボールを片手で持つのは無理だっただろう。

 松やにクリーナーを使って落としたけれど、しばらく手がべたつく感覚が消えなかった。

 大会では両面テープを使うらしいしそれも楽しみだ。

 普段は松やにで大会だけ両面テープとか感覚が狂いそうだけど大丈夫なのかと聞いてみた。

 創部一年、体育館はいつもどこかの部活が遣っている、試合経験もなし。

 何のことはない。

 誰も知らなかった。

 

 それから数日は練習に参加して、他の部員とも少しずつだけど話せるようになってきた。

 私は結構ジャンプ力があるようで、ディフェンスの上からシュートを撃つことができた。松下くん以外の部員の背がそこまで高くないということもあるんだろう。

 それでも、思い切り跳んで、キーパーの前でバウンドするように叩きつけるシュートは真っ直ぐ投げるよりテクニカルだけど、決まると爽快だった。

 そんな中で相変わらず斉藤くんだけは私に対して、敵意と不信の入り混じった目を向けてきていた。

 会話もほとんどしない。目付きがちょっと怖いし、敵意を感じるから私からは話しかけにくい。斉藤くんからはハンドボールの助言というか叱責というか……怒っているのか呆れているのかよくわからないお言葉を何度かいただいた。

斉藤くんも私が真面目に部活をしていれば文句はないらしいが、助言ならもっとわかりやすくして欲しいものだ。

「おつかれさまでーす!」

 明るく元気に大きな声で! と小学校のころ先生に言われたのを今も実践してます、とばかりに大きな声が響いた。

 おや、今井くんだ。

 松葉杖をついてはいるが元気そうだ、病室であった時も足の骨折意外は問題ないと言ってたけど。

「おお、今井か。大丈夫か」

 松下くんが気づいて近寄る。

 他の部員たちもそれに続く。

「大丈夫ッスよ。それより練習続けててください、俺は俺にできることやるんで」

「しかしだな……」

 松下くんたちのやり取りを見ていて本当に大切な仲間なんだなと思う。

「まあ結局のところ骨折したのは自分の不注意ですからね、迷惑かけてすいません」

「でも女の子を助けてって聞いたぜ、フラグ立ったりしたか」

「かわいかったか?」

「立たない立たない、退院したら会う機会もないし、お礼もお詫びもされたから」

「連絡先とか知らないか?」

 そんなやりとりは健全な? 男子高校生らしいのか。

 でも八条くん…… うちの翠に手をだそうとしたら潰すよ……?

「うお、どうした藤原。なんだか邪悪な気配がでてるが」

「は! いやぁ、すまない。ちょっと翠が心配になってね」

 松下くんに声を掛けられて素に戻る。

 素じゃなかった、男子の演技に戻る。

「ああ、妹さんか。そうだな、普段は早く帰っているんだったな。すまない、試合前で練習時間もなるべく長くとりたいからな」

「大丈夫。わた、いや僕が心配症というか、ちょっと過保護なだけで翠はしっかりしているから」

 そんな話をしていると今井くんがこちらにやってきた。

 雑談はひと段落したらしい。

「おつかれさまです。部長、藤原さん」

 松葉杖をついているから軽くではあるが私に頭を下げる今井くん。

「おつかれさま」

 そう言って私も練習に戻ろうとすると呼びとめられた。

「あ、藤原さん。そう言えば男子のふりでいくことにしたと聞いたんですけど。えーと、がんばってください」

 なんだか悪いことをお願いしているような、気まずそうな顔で応援してくれる今井くん。

 気持ちはわからないでもない。

 感性とか言動を見ていると一番常識人のようなきがする。

 そして一番苦労人のにおいがする。

「ありがと。今回は私がでるけどまだ夏もあるんでしょ! 無理しないで早く怪我治しなよ」

 そう言って他の部員の方へと向かう。

「そう言うことだ。今井は早く怪我を治すことだけを考えろ、うちのエースだしな」

「でも……何か手伝うこととか」

「うちはまだできたばかりで人数も少ない、大会に関してやれることも限られている。その中で何かみつけてやるなら構わない、怪我が悪化するようなことでなければな」

「はい、わかってます! 無理はしないんで」

 そんな会話が後ろから聞こえてきた。

 少し笑みがこぼれた。

「何がおかしい」

 斉藤くんから棘のある言葉が飛んできた。

「何がって、何もおかしいことがあったから笑ったわけじゃない」

「違うな、お前は怪我をして試合にでられない今井のことを笑っていたんだろう、屑め」

 何とも私の弁解、というか訂正の言葉を無視して決めつけられた。

 斉藤くんからは敵意のようなものは向けられているが最初のように直接ぶつかってきたのは久々だった。ここ数日は敵意はあっても部活の仲間として見始めていてくれたのかと思っていた。

 どこかでちゃんと話しあった方がいいのかな。今のままではチームとしても迷惑になるかとも思う。

 話は聞いてもらえなそうだけど。

 ちょっとこれは相談しないといけないかも。

 今更抜けても他の部員に迷惑がかかるし、何より斉藤くんもやめろとは言わない。

 私のことがよほど嫌いなのだろうが、それでも大会の為に仕方なく一緒にプレーしているという感じだ。

 

 それはそれとして練習だ。

 一応、今井くんの代わりとして試合では左45のポジションで出るらしい。

 そのことを翠に言ったら、やったねお姉ちゃん! エースじゃない! と言っていた。

 どこでそれを知ったのかな?

 この前の夜パソコン使ってた時かな。

 

 その日の練習が終わった後、松下くんに声をかける。

「松下くん、ちょっといいかな」

 部室からでてきたのは松下くんと高木くん。

「どうしたんだ、藤原」

 部室の鍵を閉めたことを確認してこちらに向き直る松下くん。

「ちょっとね、相談したいことがあってね」

 それで先に帰ったふりをして事情をしらない他の部員が帰るまで待っていたのだ。

「それで今まで待っていたのか」

 部活終わりからまだ三十分程度だ、それほど待ってない。

「サイちゃん、斉藤くんのこと?」

 さすがに高木くんは聡い。

 でも斉藤くんはサイちゃんなんだ……

 わかりやすいけどあだ名で呼ぶことにこだわってる気がするけど……と、今はそれじゃなくて。

「そう、さすがにわかるよね」

 たいていの人なら感づくだろうけれど。

「なぜ斉藤が? 何か問題があったか?」

 やっぱり……

 わかっていた、わかっていたはずだ、空。

 ハンドボール部の部長はこういう男だとここ数日で十分理解したじゃないか。

「斉藤くんがね、私に敵意を持っているからね。ちょっと今日は一年生が委縮しちゃってた」

「そう、なぜかはわからないけどサイちゃんはクーちゃんを敵視してるね」

 そうか、高木くんでも理由がわからなかったか。

「ふむ、俺は気付かなかったが、二人がそう感じるのならそれはどうにかしよう」

「ストップ」

 私は嫌な予感がしてそれを止める。

「何がだ?」

「松下くん、斉藤くんに直接聞くつもりでしょ。やめて」

 さすがにその行動は読める。

「ではどうすればいい? 聞く以外に何か方法があるのか」

 いや、時間もないし聞くのが一番手っ取り早いことは確かなんだけど。

「聞くのが一番だよ、ただしユキじゃなくてクーちゃんがね」

 そういうことだ。

 ただし、初対面から敵意しかむけられていない斉藤くんはちょっと苦手なのだ。

 なにより今のままではこちらの話を聞いてもらえない。

 そこで松下くんに斉藤くんと話す機会を作ってもらおうと頼もうとしたのだ。

 人選ミスだったけど、高木くんがいるならなんとかなるだろう。

 こちらの意図も理解してくれているようだし。

「そういうわけだからもう遅いし帰った方がいいよ」

 ありがたい。

 正直、今日は部活後に残ってしまったために結構遅くなっている。

 翠は大丈夫だとは思うがやはり心配ではある。

「そう、まあお願いしたいことはわかってもらえたみたいだからよろしくするわ、それじゃまた明日」

 そう言って帰宅を急ぐ。

 二人は帰る方向が一緒だと言っていたから、道すがら高木くんが説明しているだろう。

 斉藤くんを動かすにはきっと松下くんに協力したもらう必要がある。

 大丈夫だとは思う、二人を信用しよう。

 私は私でどうしたら斉藤くんからの敵意をなくすことができるか考えないと。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 仕事が早いことに、翌日の部活中に部室で話す機会が設けられた。

 狭い部室には奥に斉藤くん、時計周りに松下くん、私、高木くんがいる。

 ドアは私の背面だ。

「なんなんだ、これ。尋問かなんかか?」

 仏頂面をした斉藤くんが口を開いた。

「そういうわけではない」

 松下くんが答える。

 それでも斉藤くんは私以外の二人にも今は猜疑的な視線を向けている。

 私としては二人で話せる場が欲しかっただけなんだけど……

 確かに部屋の奥に斉藤くんを押しこめた上で囲んで、出口塞いでたら尋問だと思う。

 もしくは追い詰められた犯人と追い詰めた刑事。

「なんなんだよ」

 そう言って私を睨む。

「昨日、藤原から聞いた話だとお前は藤原を敵視しているらしいな、なぜだ」

 あ、やりやがった。

 松下くんよ……違うだろ、私が直接なんで敵視されてるのか聞くってさっきも打ち合わせしたじゃないかー。

 どうしてこうなった。

「ああ、関係ないだろ!」

「いや、ある。短い期間とはいえ同じ部活の仲間だ、それに怪我した今井の代わりを頼んだのは俺だ。他に当てもなかったし無理を言っているんだ」

 しまった〜〜〜、と頭を抱えたい衝動を抑えているうちに話は進んでいく。

 高木くんは溜め息ひとつで椅子に腰かけてしまった。

 あくまで傍観者に徹するらしい。

 というよりは、最初は協力するつもりだったけど松下くんの暴走で面白くなったから見守ってあげるよって顔している。

 本当にいい性格をしている。

「俺はっ……」

 一方、斉藤くんは反論しようとしてやめてしまった。

「僕も気になってたんだ、できれば教えてほしい」

 しっかり斉藤くんの目を見据えて――って目も合わせてくれない。

「僕は初心者だし、今井くんの代わりと言ってもルールや動きを覚えるので精一杯だ。それでも、ハンドボールが楽しくなってきたし、この部活のみんなを仲間だと思っている。君が僕の何が不満なのか、それが知りたいんだ。試合までだとしても、この部活の空気を悪くしたくはないからね」

 ふう。結構言いたいことを思い切り言ったかな。

 男子のふりしてるから不自然な言い回しだったけど。

「くっ、言う必要はない!!」

 目を合わせないだけじゃなく完全にそっぽを向かれた。

 そうか、そんなに私が嫌いか。

 いいだろう、結構頭にきちゃったよ、私。

 一歩、二歩と間合いを詰めて両手で斉藤くんの顔を挟みグルッっと回して私の方を向かせる。

「んなっ、て「黙れ」」

 文句を言おうとした斉藤くんに威圧を掛ける。

 私は怒ると結構怖いらしい。

 友人の話だと、有無を言わせぬ迫力があるとか。

 うれしくはないけど。

「あんたの感情はこの際どうでもいいや、今大事なのは外面だけでもあんたが私となかよくできるかどうかってことなの!」

 身長は斉藤くんの方が少し高い。

 若干睨むようになりつつも怒りをぶつける。

 別に斉藤くんが私を嫌いでも構わない、その態度が外に出なければ周りが気にすることはなくなるはずなのだから。

「か、顔、近いっ!」

 若干悲鳴のような声を出しながら逃げようとする斉藤くん。

 逃がすわけにはいかないので力を入れて無理やり私の眼前に斉藤くんの顔を持ってくる。

「それはどうでもいいから、私と仲良くできるかできないのかって聞いてるの! 返事!!」

 なんだか翠とか手のかかる友人に怒る時みたいになってしまった。

「わ、わかった! 仲良くする、だから離して!!」

 真っ赤になりながら声を上げる斉藤くんの返事を聞いて解放する。

「すげえ」

「くくく、あーっはっはっはっは!!」

 少し呆然とした松下くんの声と大笑いする高木くん。

 そうか、君たちはそういう反応をするんだね……

「はぁはぁ、ちょっと睨まないでよクーちゃん。今のは面白いクーちゃんとサイちゃんが悪いんだよ」

 はあ? どうして私が悪くなるんだ。

「助けてくれてもいいじゃないか、リュー」

 斉藤くんが高木くんに文句を言っている。

 結構親しいのか裏切り者がー、とか言っている。

「まあまあ、二人とも落ち着いてね。気付いてないから言っとくけど僕はサイちゃんからも相談を受けていたんだよ」

 なん……だと……。

 いや、まああり得ないことじゃないか。

 同じ部員だし、親しそうだし。

「あ、バカやめろ!」

 斉藤くんがその口をふさごうと手を伸ばすがそれをかわして、その口から爆弾を説き放った。

「クーちゃんがかわいくて、見るとドキドキするからまともにしゃべれない。もしかしたら自分は同性愛者なのかもしれないって」

 …………なんですと?

 ちょっと待って欲しい。それであんな態度? 

「一緒に練習するのに支障がでるけど、部活のことを考えたら追い出すわけにもいかないし、どうすればいい! って泣きついてきてねー」

 とてもいい笑顔で語る高木くん。なんというか、斉藤くんが少し不憫になった。恋愛相談かどうかはわからないけど、私はその相談を高木くんにするのは間違ってると思うよ。

「そうか、斉藤。俺は同性愛に偏見などは持っていないし誰かにいうつもりもない、心配するな。役に立つかはわからんがいつでも相談に乗るぞ」

 無駄な自信と空気の読めないことに定評のある松下くんはさすがだ。

 あの爆弾発言に平然としているばかりかそんな反応だなんて。

「い、いや、藤原! 違うんだ、俺はお前が好きとかそんなんじゃなくてだな。えーっと、いやだからその……」

 うん、しどろもどろの斉藤くんを見ていたらだいぶ落ち着いてきた。

 松下くんはスルーとして、高木くんを見ると黒い笑顔が浮かんでいる。

 確かに、このまま少し斉藤くんをからかうのも面白いかもしれないね。

 でも、思ってた風に嫌われてなくてほっとしているし、意外と純情な斉藤くんにも悪いからからかうのはやめよう。

「斉藤くん、ごめんなさい」

 でもやっぱり少しだけからかおう。

「違う! そんな目で見るな! 俺はノーマルだああああ!!」

 叫んで頭を抱えてしまった。

「ごめんごめん、そういうつもりじゃないんだ。斉藤くん、ちゃんと話を聞いてほしい」


 そのあと斉藤くんを落ちつけてから、私が女だということと今回のハンド部の助っ人になった経緯などを説明した。 

 私が実は女だと伝えたときの斉藤くんの安堵の仕方と言ったら、私は人生で初めて安心して腰を抜かす人を見た。

 一応、大会までは部活の仲間として接してもらうように約束した。

 ここ数日の不安とストレスが解消されたのはいいことだ。

 大会まであと数日だけど、じっくりと練習できそうな気がする。

 説明の間中高木くんは笑っていた。

 帰り際に、いいもの見せてもらったから今度お礼をするよとか言われた。

 斉藤くんの反応はいろいろおもしろかったけど、私も一緒にいろいろ失態を晒した気がする。

 斉藤くんに詰め寄ってた時とか男子の演技忘れてたし。

 たぶんそれが面白かったんだろうな、あの時高木くんはかなり笑いをこらえてたみたいだったし。

 

 ◆  ◆  ◆


 それからは早かった。

 連携の練習をしたり、女子だけどみんなより高く飛んでシュートをうつことができたり。

 家に帰る途中に同じく部活終わりの翠と合流して、一緒にスーパーに寄って食材を買って帰ったり。

 今井くんはマネージャーのまねごとをしていたり。

 大会当日はなぜか翠が今井くんのフォローをしていた。

 わかるけど、何か釈然としないものがあったことは翠にも内緒だ。

 ハンドボール春の県大会、高校選手権大会は夏でその予選とは違うらしい。

 いくら勝っても関東大会までしかないそうだ。

 私たちのハンドボール部はもちろん一回戦で負けました。

 スコアは21対3という惨敗。

 後半から二軍メンバーにフル交代されてこのスコア。

 後で聞いた話だと、対戦相手の高校は準決勝で負けたらしい。

 やっぱり俺達はまだまだ弱いな、次は勝つぞとみんなで健闘を讃えあった。

 わかっていても、負けるのはやっぱり悔しい。

 それでも翠が今井君に助けられてから二週間弱。

 ハンドボールを真剣にやってきたと思う。

 なにより3点のうち1点は私が決めたのだ。

 前半終了間際、全力で飛んだのが良かったのかもしれない。

 相手ディフェンスの上からシュートを決めるのがすごく気持ちよかった。

 そう言ったらそれぞれいろいろな反応をしてくれた。

「うむ、すでにハンドボールの魅力に染まったようだな。本当に部員になるか?」

「確かに藤原さんはすごいな、あんなに高く飛べるなんて。あのシュートかっこよかったぜ」

「手の届かない高さから、相手を見下し嘲笑いながらシュートを決める。なかなかSっ気がつよいねクーちゃんも」

「やっぱりそう思いますよね! バックから思い切りシュート決めるとめちゃくちゃ気持ちいいですよね!」

 松下くんは本当に私を男子部員にする気だったらしい。丁重にお断りしたけれど、確かにハンドの魅力はわかってきちゃったかもしれない。

 斉藤くんは、なぜかさんづけで呼ぶようになって男子友達と接してるみたいになった。男子だと勘違いしてた時の方が照れてた気がする。怖いからこれ以上は考えないようにしている。

 高木くんと一緒にしないでほしい。もってなんだ、もって言うのは。私にそんな趣味はない!

 今井くんは私が同じポジションで1点とったのがよほどうれしかったのか一緒に見ていた翠と手を握りあって喜んでいた。とっさにボールを投げつけそうになってしまった。手元になかったから投げられなかったけど。今井くんは良い子だけど、翠にまだ男女交際は早いわ! お姉ちゃん許しません!! 

 と、脱線脱線。怪我が治ったら教えましょうか? とも言われたのでよろしくお願いしておいた。同じポジションの人が先生なら上達もきっと早いはずだ。

 

 

 今、私は普段の女子の制服のままハンドボール部の部室へ向かっていた。

 ガラガラとドアを開けて、中に二年生三人組がいることを確認すると用意していたセリフを言い放つ。

「男子ハンド部の諸君! 女子ハンドボール部つくったわ! 許可も貰ったし部員も集めたから今日からコート半分使わせてもらうからね!」



                 了


今見ると非常に恥ずかしいけど公開です。

本当は試合とかもっとしっかり書きたかったけれど時間と力不足により断念した記憶があります。

書きなおしなんて…むーりぃー…

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