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私が嫌いな彼のところ

作者: 池田コント

 良介は聞き間違いだと思って問い直したが、答えは同じ「ノー」であった。

「私は君が大嫌いです」

 恋人の早百合に断言されて、良介は唖然とするばかりで言葉を発することもままならない。

「……どうして?」

 ようやくそれだけ声を出すことのできた良介に対して、早百合は容赦なく、

「聞きたい?」

 十の指をピンと伸ばした両手を良介に突きつけた。

 

 事の発端は些細なことだった。

 早百合がお昼の入浴中に鍋焼きうどんを食べていたら、不注意に器をひっくり返してしまって最悪だったとか、そういう内容であったと良介は記憶している。

 対して良介は「お風呂でご飯なんて食べるからだよ」と軽く早百合をたしなめた。

 それが早百合の機嫌を損ねた。

 早百合は「君の言うことはとてもつまらない」といちゃもんをつけ、良介は「つまらないとかそういう問題じゃないだろう」と言い、早百合はさらにへそを曲げ……あれよあれよという間に二人の仲は険悪になり、口喧嘩はこじれて冒頭の早百合の恋人非難に繋がったのだった。

「それは、なんのポーズ?」

 良介は、早百合が良介に向けて両手を突き出しているのを指して言う。

「察しが悪いね、いちいち説明されなきゃわからない?」

「わからないから、言っているんだよ」

「この指一本が君に対する不満一つを表しています」

「……多いね」

「多いよ」

「……わかったよ、聞くよ。本当に悪いところなら、反省したいし」

 早百合は「よろしい」とうなずき、今度は両手を自分の目の前に持っていって、指を一本ずつ折るのを確認するように見つめた。

「まず、面白みがないこと」

「ちょっと待って。それは指摘されることじゃないだろう」

 口を挟んできた良介に対して、早百合はちらりと一瞥し、

「人の話を途中で邪魔すること」

 と言うものだから、良介は苦虫をかみ潰した表情で沈黙する他なかった。早百合は次々と指を折っていく。

 正直すぎるところ。

 融通がきかないところ。

 意外性がないところ。

 ささいなことですぐへこむこと。

 右手を全部折ったところで、早百合は良介の顔色を確認し、左手に移る。

 悩みすぎるところ。

 自分が当たり前だと思っていることは相手に確認しないところ。

 白か黒かでしか判断しないところ。

 性善説を信じているところ。

 正しい策が最善の策だと思っているところ。

「……それだけ言えて満足?」

 むっとした表情の良介。

 早百合はそんな良介を確認し、

「正論しか言わないところ」

「おりかえし?」

 左手の指を開き直して、良介の反応にちょっと笑った。

 正論しか言わないこと。

 相手が常に自分を理解していると思い込んでいること。

 良い友達を持っているところ。

 などなど。

 最後の方は、自分でも皮肉や当たり散らしでしかないなと理解しつつも、早百合は不満を挙げ続けた。

 思いつく限り言って、ほっと一息ついた頃、良介が手を上げたので、早百合は発言を許した。

「質問をどうぞ」

「あの、僕達、恋人同士ですよね」

「そうですね」

「付き合い始めたのはいつだったかな」

「昨年の五月からだから、もう一年と三ヶ月になりますね」

 淡々と答える早百合をじっと見る良介。

 早百合は無表情を装って、出方をうかがっているのだ。

 良介は、しかし、策などなく、正直な気持ちをぶつけるだけだった。

 それしか知らない人間である。誰に指摘されようと、どれだけ悩まされようと、結局同じところに落ち着くのである。

 だから、良介は、語気荒くこう言った。

「だったら、なんでそんなに悪く言えるんだ。普通は、恋人のことはそんなに悪く言わないものだろう?」

 そうだろうか、と早百合は思った。

 早百合はメディアからしか『普通の恋人』を知らないので、確証できるデータがなかった。

 そして、案外、早百合の読んできた少女漫画というメディアには恋人同士が喧嘩しているシーンは多かった。

 早百合はメディアに振り回されるつもりは毛頭ない。

 他人が勝手に空想している『普通』に惑わされるつもりもなかった。

 だから、正直に思ったことを口にした。

「好きだから」

 良介は耳を疑った。

「君のことが好きだから、私は君を非難する」

 良介は自分の顔が見る見る赤くなるのがわかった。

「そ、そんなごまかしは通用しないよ。だいたい、矛盾するじゃないか」

「そうかな」

 と、もう一回、早百合は考え、口を開こうとしていた良介に口を閉じているようジェスチャーを送り、

「私は大嫌いな不満点がいっぱいあって、でも君の事は好きで」

「もっと前に、大嫌いだって言ったよ」

「ああ、そうか、なるほど」

 それは矛盾しているね、と早百合は笑った。

 でも、それほど間違っているようにも思えなかった。どうでもいい連中とは違う、ということで。

 良介はことあるごとに早百合はすごいと思う。

 彼女によってもたらされた大きな怒りは、彼女によって一瞬でどこかに流されてしまうから。

 マジシャンのような、トラブルメイカーだ。

「そういえば、まだあった。君の嫌いなところ」

 早百合は寄りかかる場所を変えていた。

「なんだい」

 良介は寄りかかられるに任せていた。

「毎日のように、この部屋を訪れるところ」

「じゃあ、やめた方がいい?」

「別に。好きにするといい」

 早百合はそう答え、思った。

 そうだ。

 君の一番嫌いなところ。

 私の影響なんて、まるでもろともせずに自分の道を進んでいくところ。

 君は私のことなんか構いもせずに、正しい道を行く。

 私が拒絶した世界の向こうで平然と生きる。

 それは私にとって、とても気が楽でいられることである。

「じゃあ、好きにするよ」

 良介がそう言っても早百合は黙ったままだった。

 ただ、着慣れたワイシャツのすそをひっぱられるのを感じて、良介は今日はこのまま眠っていこうと思った。

 二人の既に分かたれた道が唯一交わるこの部屋で。

 厚いカーテンの向こうから、降り注ぐ雨音が聞こえる。

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― 新着の感想 ―
[一言] 青春ですね……こういう女性はいいと思いますし、もちろん良介の方もいい人ですね。うらやましいです。
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