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たいじや  作者: 葉月
4/24

天青の夢 三

 少女がひとり丘に立っている。

 目を伏せて、相手が来るのをじっと待っている。

 ふと、何かに気づいた少女がぱっと顔を上げた。少し悲しげな表情は、見る間に笑みに変わる。

 同じ頃、丘の近くを通りがかった馬車が速度を緩めて止まった。中には、白髪まじりの髪を丁寧に後ろへ流した初老の男が座っている。

 従者の問いかけには答えず、じっと丘の上を見る。大きな指輪をはめた指で、眼鏡の蔓を軽く持ち上げた。

 見た事のある娘だ。

 ――この間、商いに行った貴族の使用人だったか。

 普段は誰が何をしていようと気にならないが、この時ばかりは違った。

 一緒にいる少年にも見覚えがあった。

 貴族の三男とその使用人の娘。珍しい組み合わせに、豪商の男はしばらく様子を伺っていた。

 年端もいかない少年が懐からネックレスを取り出す。金具を外すと、娘の背後に回り彼女の首にかけた。

 踊り子のようにくるりと娘が一回転すると、茶色い髪と青の石がふわりと揺れる。

 反射した光に一瞬目が眩み、男はしばし魅入った。

 ――あの娘になど相応しくはない。

 金でも積めば喜んで手放すだろう。なんせ、娘の家は貧乏なのだから。

 男は顎に手を寄せ笑みを浮かべる。

 やがて何事もなかったかのように自身の屋敷へと馬車を走らせた。



 それは人を狂わす魔力を秘めていた。

 欲に溺れる人間は、決して逃れる事ができない。

 その魔性に翻弄されれば、残るものは、なにもない。


   ◇ ◇ ◇


 月詠神社の保管庫に凛とした声が響く。

吐普加身依身多女とふかみえみため 寒言神尊利根陀見かんごんしんそんりこんたけん 波羅伊玉意喜餘目出玉はらいたまひきよめいたまう

 ねっとりと肌に纏わりつく妖気を気にもせず、彩華は祝詞をあげている。

『――×××××××』

 彼女の頭に直接聞こえてきたのは呪詞じゅしだ。自分を排除せんとする外法師に攻撃を仕掛けている。

 彩華の右手の甲が裂けた。うっすらと血がにじみ出る。一度だけ鬱陶しそうに古ぼけた壷を睨めつけた。

 初めは小刻みに震えていた壷が、次第に揺れを大きくし始めた。くら全体の空気が共鳴してざわつく。

 傷がまた一つ増えた。

 痛みに眉をひそめるが、構わず続ける。

 ――術の掛け合いは、壷が割れた事で決着がついた。二つに割れ、四つに割れ……元の形など分からないほど粉々になる。最後の足掻きなのか、砂となったそれが音を立てて棚からこぼれた。

 まるで断末魔だ。

 先程の喧騒など嘘のように静かになってゆく。

 砂をかき集めて座布団ほどの大きさの和紙に載せた。和紙には墨で浄化の祝詞が書かれている。指についた砂も全て払い、彩華は庫を出た。

 しっかり鍵を閉めると本殿の裏へと回る。

 置いてあったスコップで少し穴を掘り、先程の砂を流し込むと、元のように地面をならした。

 あとはこの地に広がる神気が邪気を浄化し、付喪神の残滓である砂は長い年月を経て土に還る。

 一息ついた途端に吐き気をもよおして彩華は口元を押さえた。

「気持ち悪……」

 邪気にあたった。

 本殿の壁に手をつき袴が汚れるのも構わずゆっくりとその場に座り込む。二、三回深呼吸すると少しずつ眩暈が治まってきた。

 もう大丈夫だろうと立ち上がりかけるが、壁に寄りかかり目を閉じる。

「要修行、か」

 詠は彼女の状態に気付いているだろうに、外せない用事があるのか、近づいてくる気配はない。

「ばかばか。伴侶が苦しんでるんだからすぐに飛んで来なさいよ」

 荒い息と共に悪態をついたが、すぐに唇を噛みしめた。

 理不尽な事を言っても仕方ない。一人前でない自分が悪いのだから。

 こうして彩華の具合が悪くなるのは、今回が初めてではない。

 月詠神社には悪しきモノが侵入しないように結界が張ってある。そして敷地内には神気が満ちている。万が一、妖の侵入があったとしても、邪気が削がれ浄化してしまう。

 訳あって持ち込まれた物は祝詞後に庫で保管する。ここには邪気が外へ漏れないよう幾重にも結界を張ってある。しかし、陰の気は時折、容易く抜け出てくる。 

 一般人の彩華の母や、神社の参拝客は問題なし。父と兄は呪術者として一級だから、こちらも問題なし。

 問題なのは、中途半端な能力を持つ者。

 鍛錬すれば無意識に退ける事が出来るようになるけれど、わたしはまだまだだなぁ……と、自嘲気味に呟いた。

 のろのろと立ち上がった彩華は、壁伝いに移動すると本殿へと入った。

 薄暗いその中を、明かり取りから差し込む光を頼りに歩く。

 中央付近で立ち止まると、彩華は正座した。彼女の目の前に御内殿があり、中には形ばかりの御神体が納められている。

 本来納められるべき依り代は別にある。

 彩華は襟元から首飾りを取り出し、赤い勾玉に触れた。桜舞うあの夜に受け継いだ、選ばれし巫女の証。

 手の平で勾玉を握りこむと、無機質なそれが熱を帯びた気がした。

 この場にいない彼の代わりに胸に抱きしめる。

「ばか……」

 心に浮かぶ思いが消えるまで、彩華はただそうしていた。

 そうして――どのくらいの時間が過ぎたのか。

 彩華は何事もなかったかのように本殿を出ると、早歩きで境内を進んだ。

 本殿と拝殿の境には柵が設けられていて、高村家の人間以外は立ち入り禁止になっている。外へ出るには一旦、自宅側へ回らねばならない。

 仕方ないけど少し面倒だ、と思う。

 建物の前で止まると、彩華は足の運びとは裏腹に、ゆっくり丁寧に引き戸を開けた。

「ごめんね。遅くなって」

「彩ちゃんお帰りー。今日忙しくないからだいじょーぶだよー」

 授与所にいたアルバイトの巫女が振り返り、のんびりと答えた。

 巫女の眉間に皺がよる。

「……少し顔色悪くない?」

「え……そう?」

 そんな事をしても良くはならないが、彩華は慌てて頬を擦った。

「裏でもう少し休んだら?」

 巫女は親指で後ろを指した。授与所の真後ろは巫女達の休憩室になっている。

「でも。今日は有紀ちゃんしかいないし……」

「いーから。忙しくなったら呼ぶから」

 カーテンで仕切られた休憩室へと追いやられ、彩華はひとまず椅子に座った。

 手が悴んでいるのに気がつき、緑茶を淹れた湯飲みで暖める。冷えた指先が痺れて血が巡りはじめた。

 もう大丈夫かと湯飲みを置き、今度は自身の両手を擦りあわせる。

「あーっ。上月こうづきさん! ちょっとちょっと!」

 カーテン越しに有紀の声が聞こえ、彩華は困ったように笑みを浮かべた。今日は巫女長は休みだからある程度は構わないが、神域で騒ぐのは好ましくない。やはり注意するべきなのだろうが、自分を心配しての事なので気兼ねする。

 休憩室の引き戸が開いて、上月と呼ばれた男が顔を見せた。詠である。高村家の遠縁という事にしてあり、便宜上、苗字もつけた。

「どうした? 陰の気にやられたか?」

「少し……休めば治るから。忙しいんでしょ?」

「いんや。どちらかと言うと、暇」

 苦笑しながら詠が言う。

「……そう……」

 手が再び冷たくなった気がして、彩華は湯飲みを両手で持つ。

 今度はなかなか温まらない。

 気づいた詠が彼女に手を伸ばす。それに驚いた彩華は湯飲みを倒した。テーブルに緑茶がこぼれる。

「すまん」

「ごめん。ボケっとしてた」

 台布巾で後始末をして彩華は溜息をついた。

 駄目だ。落ち着いたかと思ったけれど、心が乱れてる。こんな時に調伏依頼がこなければいいけれど――。

 思案していた彩華は、自身の右手を詠に取られた事に気がつかない。先程うけた傷をぺろりと舐められ、喉をひきつらせたような声をあげた。突然の出来事に驚いて詠の手を振り払う。

「神域で何するのよ」

 他人には聞こえないよう声を潜める。神社で働く全員が知っている公認の〝婚約者〟であろうと仕事中にこういった事はよくない。

「俺の神社なんだから俺が何をしたって構わんだろう」

 実に傲慢な物言いに、分かってはいたが呆れた。

 この男、人の気も知らないで。あなたのせいでわたしは気持ちが|くさくさ[#圏点 ﹅]しているというのに。

「井戸水で洗ったのか?」

 本殿と保管庫の間に井戸がある。この井戸は、水脈が京都の神泉と繋がっていると言われているが、実際は距離がありすぎるから只の噂なのだろう。しかし大地の気が流れる龍脈は繋がっているのかもしれない。

 僅かな瘴気ならば洗い流せる霊力あらたかな水が湧き出る為か、この水を狙った侵入者が時折、敷地内で倒れている。月詠尊特製の結界に邪念が耐えられなくなり気を失うらしい。

「洗ってない。急いで戻ってきたからそんな時間なかったもの。それに神域にいれば自然に浄化されるんでしょ」

 少し刺々しい言い方をする彩華に、月の神は一瞬目をすがめた。だが、彼女の物言いに気にする様子はなく、寧ろ笑みを浮かべている。

「――どうした?」

 穏やかな詠の声音に、彩華は唇をかみ締めた。

「なんでもない。ごめん。ちょっと虫の居所が悪いだけ」

「そうか」

 幼子をあやすように彼女の黒髪を撫でる。

「じゃあ、機嫌が直るように美味しい物でも献上するかな」

「……それはアンタでしょう……」

 わざとなのかとぼけた態度をとる詠に気が削がれ、彩華は僅かに微笑んだ。



 井戸水を手桶に汲むと、ざばりと頭から被った。一瞬、冷たさに身を竦めるが、もう一杯水を汲んだ。

 月詠神社の裏手で禊潔斎みそぎけっさいをしていた彩華は、濡れた前髪が額に張りついたのを無造作に払い桶を置く。

 柔らかい黒髪は水分を含んで一層艶を増す。毛先を絞ると、水がぼたぼたと背中を流れ落ちた。その気持ちの悪さに彩華は身震いする。水に濡れた白衣が身体に張り付き体温を奪ってゆくのだ。夏ならばともかく、今の季節はまだまだ辛い。

 調伏退治前は必ず禊をしているが、普段はここまでやっていない。祓殿はらえでんで瞑想するくらいだ。

 本来ならば、精進潔斎は肉断ちやら潔斎食やら準備をしなければならないのだろうが、それでは突発的に舞い込んでくる依頼に対応しきれなくなる。神社の行事前は食事内容を考え、禊ぎを念入りに行うが無理しない程度だ。無理しすぎると今度は行事の最中に倒れる。当日は忙しく食事自体満足に取ることが出来なかったりもするのだ。

「――――」

 彩華は暫し考えるような仕草をすると、念のため、と再び桶を持った。先ほどの邪念を完全に振り払うには水を被るのが一番手っ取り早い。

 犬のように数回頭を振ると、水滴が四方に飛んだ。詠に見られたらみっともないと怒られるな、と彩華はうっすら笑う。

 近くに置いてあったタオルで水分を拭き取り井戸横の建物へと入ってゆく。彩華たちが祓殿と呼んでいる場所だ。彩華は少し薄暗いそこで、濡れた巫女装束を脱ぎ捨て服に着替えた。

 吸水性の良いタオルでガシガシと擦り、まだ湿ったままの長い黒髪をヘアクリップで纏める。本当はもう少し乾かしたい所だけれど、時間がないから仕方ない。

 彩華は無造作にタオルと巫女装束を掴むと祓殿を出た。

 祓殿と高村家自宅は繋がっているが、若干、雰囲気が違う。自宅も神社と同じ敷地内にあるが、神域と俗世くらいの違いがある。二つの建物は扉と廊下でしか仕切られていないのに、こうも差があるものなのか。

 廊下にあるランドリーボックスに持っていた衣類を放りこみ、玄関へと向かった。

「お待たせ」

 玄関の上がり口に腰掛けている詠に声をかけると、肩越しに振り返りつつ立ち上がる。

「寒くないか?」

 彩華の格好を見て眉を顰める。

「え? いつも大体一緒でしょ?」

 彼女の服装は、白い薄手のパーカーに濃い藍色のジーンズだ。中には赤いカットソーを着ている。冬場はコートを着たり、トップスがセーターに変わる。調伏退治の時は大抵同じような格好だ。動きやすさを重視して、色は魔除けの意味がある。

「服じゃなくって、髪」

 髪が濡れたままなのを指摘しているようだ。

「そんなに濡れてないし」

 何か言いたそうな詠を無視して外に出た彩華は、太陽の眩しさに目を細めた。

 まだ日は高く〝仕事〟をするには好都合だ。出来れば逢魔ヶおうまがときは避けたい。

 時間や時期に我が侭を言ってはいられないが、今日の調伏退治は依頼人が妖異をずっと放っておいた物件だ。時間が経過した分、霊力が増しているだろう。

 目的地は神社から近い。

 いつまでも家の前に立っていて不審者扱いされても困るので、彩華と詠は誰もいないのを確認すると庭へと回った。

 外から中の様子をうかがう。

「……やっぱり増えてるねぇ」

 雑魚とはいえ、数が半端ない。家の中心に向かって黒い渦が集まっている。

「数だけだ。大した事ない」

「うん。もうちょっと早く来たかったけど」

 以前からこの辺りを通る度に気にはしていたが、突然訪ねていって「霊障、起きていませんか?」などと聞く訳にはいかない。悪徳宗教だと思われるのがオチだ。

 最初は霊なんて馬鹿らしい、と言っていたこの家の主人だが、家族の様子がおかしくなったのに気がついて、慌てて相談にきたのだ。

 手遅れになる前で良かった。

 彩華は二階の窓をじっと睨みつけると、両の手で自分の頬をぺしぺしと叩いた。

「よし!」

 家主から預かっている鍵を使って玄関から足を踏み入れる。中は薄暗くてひんやりとしていた。

 よどんだ空気に彩華がしかめっ面をしていると、詠が二、三回拍手かしわでを打つ。それだけで雑魚霊は滅した。

 この家の住人は、必要最低限の家具を持ち出して今は別の場所へ避難している。硝子の破片が所々に落ちているのに気がつき、二人は土足のまま上がった。

「上、か」

 二階へと続く階段を見上げて詠が呟く。

 霊威は瞬間移動を得意とするモノもいる。今回場所は変わっていないようだ。

 先に詠が階段を上がってゆく。前方からひゅう、と風きり音が聞こえたと思った瞬間、詠の目の前でコップが砕けて落ちた。続けて額、花瓶……と複数飛んでくるが、全て詠の作り出した見えない壁に遮られる。

 がしゃん、と今度は彩華の背後で割れる音がしたが気にせずに進む。

 一階と比べると二階は薄暗く感じる。窓から日が差し込んでいるというのにだ。それだけ妖気が濃い。

「んー? 諦めたか?」

 のんびりとした声で詠が言う。

 突然攻撃が止まった。だからといって油断はできないが。

 詠の前へ出ると、彩華は真っ直ぐ目的の部屋へと歩いていった。

 問題のドアの前で立ち止まる。妖気は消えていない。が、確実にここにいる。

 呼吸を整えるとドアノブに手をかけ、用心しながら手前に引く。蝶番の軋む音がしてドアが開いた。

 暗闇の中から飛んできたランプシェードが彩華には当たらず落ちた。部屋中に浮いている家具が彩華を狙っているが、詠の作り出した結界は彼女を常に守っていてそれは叶わない。

「派手な叩音だな」

 上下左右で鳴るラップ音は気にせず、彩華は指を動かす。

「臨兵闘者皆陣烈在前」

 淀みない詠唱に慌てたのか、妖のたてる音が激しくなった。

 天井から吊られている照明が割れる。この家だけ地震がきたかのように、家全体が音をたてて揺れた。

 滑らかな指の動きは止まる事はなく、ひとつひとつの九字真言が妖をがんじがらめにする。

『ギ……ギギ……』

 妖は耳障りな声を出して抵抗しているが身動きができない。

 振り下ろした剣印から真白い閃光がほどばしった。浄化の光は妖を飲み込み瞬時に消えてゆく。

 光に眩んだ目が慣れた頃には瘴気はすっかり消え、後には中身の抜けた人形が残っていた。

 彩華は数回瞬きすると、床に落ちている人形を拾い上げる。

 彼女の唇から紡ぎ出されていく浄化の祝詞に人形が光に包まれる。それが消えうせると、そっと机の上に置いた。

「任務完了、っと」

「一体どこで買ってきたんだ? これ。たいしたものは憑いてなかったけれど」

「海外出張のお土産らしいよ。……こら」

 指で人形の額を弾くような仕草をする詠をたしなめる。

「壊れたらどうするのよ」

「壊れんよ。作りは立派だな」

「はいはい。終わったんだから遊んでないで帰るよー」

 ざっと家全体を霊視するが、他に問題はないようだ。

 放っておくといつまでも悪戯していそうな詠の腕をとって、彩華は依頼人の家を出た。


 二人が神社へ戻ってくると、夕焼けに照らされた鳥居の前に彩華の見知った和装の女が立っていた。

麻布都まふつ?」

 彩華の声に麻布都が振り返った。

「今日は仕事?」

「うん。そう」

「久しぶりね、詠」

 笑顔を見せる麻布都とは裏腹に、詠は眉間に皺をよせた。眉がつり上がり、見るからに機嫌が悪そうだ。

「なにしにきた」

「彩華にお願いしたい事があってね」

 重い声音に気がつかないのか、麻布都は笑みを浮かべたままだ。

「わたしに?」

「――面倒な物持ってくるな」

 低い声で吐き捨てた詠は、彩華の呼び止めに一度も振り返らずに行ってしまった。

「今日は夕飯抜きにするぞーっ! まったく……ごめんね。あとでシメとくから」

「いいのよ。彩華の事が心配なのよ」

 くすくすと笑う麻布都は、詠の態度を気にしていないようだ。

「立ち話もなんだからあがってって」

「ううん。すぐに済むから。これなんだけれど」

 麻布都は持っていた袱紗ふくさを少しだけ開く。中には以前霊石屋れいせきやで見た群青色のネックレスが収められていた。

「これをね、預かってほしいの」

「それはいいけど。でも誰かからの預かり品なんでしょう? たらい回し……って訳じゃないけど、最初の依頼人以外の手に渡しちゃっていいの?」

 自分ならあまり良い気はしない。彩華がその事を伝えると、麻布都の表情が少しかげった。

「本来の持ち主は古い時代の人なの。骨董品を扱っているお店を転々としてね。先日私のところへきたのだけれど……最後は彩華の元にあった方が良いと思ってね」

「わかった」

 時折、少々問題のある物品を目にしている麻布都の第六感は馬鹿にできない。彼女が自分の所へ持ってきたのならば、それが一番良い方法なのだろう。

 そう思うと彩華は袱紗ごと受け取った。ネックレスなんて身につけるものが重くては困るのだが、ずっしりとした存在感だ。

 ついこの間見た時は感じなかったけれど……と口の中で呟く。

 再度家へあがるよう勧めるが、麻布都は丁寧に断ると、茜色に染められた街に溶け込むように消えていった。

 しばらく後姿を見送っていた彩華は、袱紗を胸に抱えると鳥居をくぐった。

 授与所はすでに閉まっている。

 今度埋め合わせしなくっちゃ。有紀ちゃんに悪い事したな、と彩華は独りごちた。

 一度自宅へ戻ると保管庫の鍵を手にする。

 詠はどこへ行ってしまったのか見当たらない。いくら神様だからといって、あの態度はない。やっぱり夕飯抜きにするか……と思いながら自宅裏へ回った。

 頑丈な鍵を開けると庫全体が揺れた。先に保管してある器物がざわついている。彩華が短く言葉を発すると、何事もなかったかのように静まり返った。

 中は薄暗いが電気も点けずに空いている場所を探す。入り口に近い所が空いているのに気づき立ち止まる。

 彩華は少し考え、袱紗からネックレスを取り出す。そっと布の上に置いて祝詞を唱えはじめた。

「受け取ったのか」

「わー! ……びっくりした。いきなり後ろから声かけないでよ」

 真後ろに立っている詠に強い眼差しを向ける。

「気配に気づかないお前が悪い」

「ふんだ」

 中途半端になった祝詞を最初から唱えなおすと、まじまじとネックレスを見つめた。

「曰くつきには見えないんだけどねぇ」

 持ち主の念は感じるが悪心は感じない。いや、もしかしたら自分だけが分からないのかもしれない。

 だって――深い青から目が離せない。

「……魅了されるぞ。気をつけろ」

「うん」

 石は人の意思。

 人の想いを吸収し増幅し、時に放出する。呪具として使われた物以外にも、魑魅魍魎ちみもうりょうが憑きやすいものだから特に気をつけろ、と幼い頃から言われ続けた。

 神の降りる場所を〝磐屋いわや〟または〝磐戸いわと〟と呼ぶように、古の時代から神と石と人は切っても切れぬ関係である。人の願いを叶えるための媒介物となりやすいのだろう。

 青い石に魂を抜かれる感覚に陥りそうになり、無意識に左手に指を這わせた。彼女の手首には数珠型のブレスレットが着いている。これには特殊な加工と術がかけられていて、持ち主を守る宝具ではなく、力が暴走した時に術者を殺めるための呪具になる。

 無機質な感触に意識が戻った彩華は、たった今思い出したかのように詠を睨みつけた。

「ところで麻布都に今度謝りなさいよ。わたしの友人に対して失礼な態度取ったら許さないんだから」

「仕方ないだろう。あれとは相性が悪い」

 どこかで聞いた台詞を仏頂面で吐き出す詠に、彩華は苦笑いをするしかなかった。



   ◇ ◇ ◇


 走る。走る。月明かりしかない夜道を走る。

 ひたすら走って――荒い息を整えるために立ち止まった。

 数回深呼吸をすると、今来た道を振り返った。遠くにいくつもの松明が見える。先ほどより数が増えている気がした。


 ――どうしてわたしが追われなければならないの?


 途中にあった井戸水を使ったけれど、血に染まった手と服は、いくら洗っても綺麗にならない。

 そんなつもりはなかった。ううん。ああするしかなかった。だって、無理矢理盗ろうとするんだもの。

 ポケットにしまった大切なネックレスを取り出す。


 ――わたしはただ、わたしの持ち物を取り返しただけ。


 金に物を言わせて権力に物を言わせて。わたしたち召使の主張は認められず、泣いて諦めるしかないなんておかしいじゃない。

 耳元で囁かれたあの声に唆された訳じゃない。

 これはわたしの意志。

 どうしてわたしが追われなければならない?

 血に塗れた瑠璃は爛々と煌めいている。――そう。間違ってなんかいない。

 ネックレスを目の前にかざす。振り子のように揺れて、深い青にちりばめられた金砂が妖しく光った気がした。

 これはわたしの物。誰にも渡せない。

 月の光を反射しているそれに目を奪われていた。夢中になって、背後から草を掻き分ける音が近づいてくるのに気づけなかった。

 振り返る前に銃声。なに?


 ――どうしてわたしは殺されるの?


 赤く燃える炎と猟銃を構える男の姿。

 ラピスラズリのネックレスが手から滑り落ちた。

 わたしが最期に見たのは、わたしの血を吸って満足そうに輝いている群青色の石だった。


 だめ。かえして。あのひとからもらっただいじなものなの。

 どうしてわたしはころされるの?



 わたしはただ 好きな人と 幸せになりたいだけ



「――――っ」

 真夜中に吐き気をもよおした彩華が飛び起きた。彼女の寝着は、まだ寒い季節だというのに汗で湿っている。

 昨日きちんと閉め忘れたのだろう。カーテンの隙間から月明かりが差し込んでいる。枕元の目覚まし時計は午前二時を指していた。

 はぁ……とため息をついた途端、また吐き気が彩華を襲う。感触の悪いモノが身体中を這いずり回っているようだ。

 目眩がする。胃がムカムカする。肺が圧迫される。

 邪気が皮膚から体内へ侵入してくる感覚に息が詰まり、ごほごほと咳き込んだ。左手で自身の胸を擦ってみるが治まる様子はない。冷たい水でも飲んで落ちつこうと彩華は慎重にベッドからおりた。

「――ぁ」

 彩華の足取りは不安定なスプリングの上を歩いているようにフラフラしている。足がもつれて倒れ込みそうになった身体を男の腕が優しく抱き止めた。

「大丈夫か?」

「えい?」

 目が霞んで見えないが、よく知っている気配だ。

「すまん。ちょっと散歩してた」

 彼の反応が遅れたのは少し離れた場所にいたためらしい。一度ベッドの端に座らせ、詠は彩華の背中を撫でた。

「水持ってくるか?」

「いい……」

 掠れた声で答えると詠の胸に顔を埋めた。深呼吸すると月詠尊の澄みきった神気が身体中を巡る。

 ひんやりと感じる彼の神気に、荒かった彩華の呼吸が徐々に安定してきた。

「……あれが持ってきた物のせいか。返してくる」

 低く鋭い声音に、詠の背中に回した拳で弱々しく叩く。

「なに言ってんの。一度預かったのに返せるわけないでしょ。慣れれば平気」

 保管庫には幾重にも結界を張ってあるというのに、陰の気はたやすく抜け出てくる。特に人の想いというのは、ときに神の力をも上回り、中途半端な能力を持つ者は陰の気に翻弄されてしまう。

『ここから出せ』『呪い殺すぞ』ならばまだいい。分かりやすくて無視もできる。

 物に染みついた想いが術者に夢を見せ、自分の無念を晴らせ、どうにかしろと訴える。

 霊感体質者が憑依されてしまうのとよく似ている。退けられなければ、よくて操り人形。でなければ発狂して死に至る。

 特に注意が必要なのはアンティーク物である。元持ち主の心情が染みついたそれは、長い年月を経て凶悪な付喪神へと変化する事もあるからだ。だから月詠神社ではアンティーク物は手元に置かずにあるべき場所へ返すよう勧めている。

 情に訴えた妖の説得は性質が悪い。優しい人間を騙して封印を解かし、あげく肉体を乗っ取る、なんて行動はよくある事だ。

 そういえば、と自身を襲う邪気と戦いながら、彩華はぼんやり考えた。

 中途半端な能力を持つ術者は、今の自分と同じように苦しんだのだろう。生まれながら持った才能の差があるとはいえ、現在最前線で活躍している術者は、最初から難なく退けられたんだろうか。

 たとえば彩華の実兄。

 彼が苦しんでいるのを彩華は見た事がないと言い切れる。

 自分の知らない所では苦労したのかもしれないが、記憶を辿っても覚えがない。

 やはりわたしがダメダメなだけか。

 自己嫌悪に陥ったところで、これだけはっきり考え事できるのだから邪気は消えただろう、と彩華は身じろぎした。

「もう、いいよ」

 肺に溜まった邪気と神気が綺麗に入れ替わり、彩華の呼吸が規則的に変わっていった。

 もう大丈夫だ、と思い、詠から離れようともがくが、回された腕に力を込められ動けなくなる。男の肩に両手を置いて押し返そうとするがぴくりとも動かない。

 彩華がくぐもった声を出すと、少しだけ力が緩んだ。

 身体は平気だ。ちょっとだけ心臓に棘が刺さったようにチクチクしているけど。これは最近ちょっとだけ疲れている気がするから、気が弱くなってるだけだ。カラ元気も元気の一種なんだから――。

「……なんだ? 言いたい事があるなら言わなきゃ俺には分からないぞ」

「なんでもないってば」

 神気を身体中に取り込み、心も軽くなった気がして、彩華は少しきつめに答えた。

 離れようとしたが、腕を背中に回されたままで動けない。彩華が不服そうに見上げると、詠は薄く笑って言った。

「まだ少しこうしてろ。お前は半人前なんだから素直に聞いとけ」

 再び顔を埋めるような格好で抱きすくめられた彩華は、しばらく抵抗していたが、諦めて力を抜く。

「…………」

「ん?」

「なんでもない」

 かすかな呟きは聞こえなかったようだ。その事に安堵して、しかし同時に情念がとぐろを巻いている状態に気がつき唇を噛む。

 夢で見た女の想いが彩華の心臓をちくりと刺す。

 気持ちは痛いほどよく分かる。が――。

 それと同化してしまったら危険だと気づいていても、突っぱねる事はできない。

 女としての想いと外法師の立場に板挟みになって、胸が痛みを増してゆく。胸の奥に燻っている感情を押さえ込むように、詠の背中にしがみついた。

 優しい声がひどく心に沁みる。

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