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たいじや  作者: 葉月
16/24

天の盃 二

「えーっと……次は、何……?」

 緋袴に白衣姿で足早に歩き回っているのは、月詠神社の巫女兼外法師の高村彩華であった。

 僅かに目線を落として考え事をしているため注意が散漫となっている。が、どういう仕掛けを施しているのか、彩華は何かにぶつかったりすることはなかった。

 境内を気まぐれに歩く野良猫が彼女の足元に近づくが、うっかり蹴ることもなくそれを無意識に跨ぐ。参拝者とすれ違う際には歩みを止めて、にこやかに挨拶もする。端から見れば、彼女が半ば意識を飛ばしているとは考えつかないだろう。

「このあと祈祷入ってたんだっけ……?」

 立ち止まり呟いた。そうしてしばし思案する。今日は少し早めに昼休憩を取ったほうがいいかもしれない。

 一度授与所に立ち寄り巫女長と話をすると、彩華は同じ敷地内の自宅へと向かう。

 今日は珍しく忙しい日で彩華は目が回りそうだった。少しでも気を抜いたら、そのまま深い眠りの海へと沈んでしまいそうだ、と独りごちる。彩華は両頬を何度が叩いて気合を入れ直し、足取り早く進んでいった。

 少々思考を飛ばしていても、脱いだ草履をきちんと揃えることは忘れない。長年染みついた行動パターンは、そう簡単には崩れないものなのだろう。

 たとえ妖の群れに襲われても一瞬の間に戦闘態勢に入る自身が彩華にはある。だが対峙する相手が数段上だった場合は別だ。気配も殺意も綺麗に消されてはまったく歯が立たない。だから彼女は、廊下を曲がった先に気配を殺して待機している者がいるとは思いもよらなかった。

「――っ!」

 足払いされ彩華は前につんのめった。襟元を掴まれて転倒は免れたものの、苦しげに息を洩らす。

「……なにするのよ」

「ボケっとして歩いていたから指導だ」

 背後にいる男の表情はわからなかったが、おそらくやれやれといった風に肩を竦めているのだろうと彩華は思った。

「だからってわざと転ばすことないじゃない!」

「支えたんだから転んでないだろ」

「そういうのを屁理屈って言うのよっ」

 転んで怪我したらどうしてくれるのか。第一、やんちゃな子供の頃ならまだしも、成人した今はこんな風にされる謂れはないのだ。

 ぼんやりしていた自分のことは棚に上げて、彩華は後ろにいる男に声を張りあげた。さながら首根っこを掴まれて牙を剥く仔猫のようだ。

「――兄貴、本当に苦しい……」

 白衣の合わせに喉仏のあたりを圧迫されて、彩華は呻き、苦しげにもがいた。目に涙が滲んでいる。

 そんな彼女を見て、眼鏡をかけた男はすまなそうな表情を作る。

「あぁ……悪い」

 高村朔也さくやは彼女の肩に手をかけると軽く後ろへ引っ張った。

 咳きこみながらも朔也の手を借りて体勢を整え、服装を整えると、彩華はやや不満げに口を開く。

「たまに帰ってきたかと思えば人を虐待して」

「虐待じゃないだろう。指導だ」

「ふつーに指導してくれるなら、ありがたく受け取るんですがね、おにーさま?」

 じろりと睨めつけるように見上げるが、朔也は別段気にする素振もない。その落ち着いた態度がやや癇に障るが仕方がないと思い、彩華はため息をつく。こちらが本気になって怒れば怒るだけ、この兄に勝てる術はなくなるのだ。昔から。

 今ここにえいがいなくて良かったと彩華は少しだけほっとする。彼までいたらますます追い詰められたに違いない。成人してから朔也は忙しく、朝早くから夜遅くまで仕事をしている印象が強い。この家で顔をあわせることも以前より少なくなった。なのに、何故かふたりは仲が良いのだ。詠が人間だったなら〝学生時代の悪友〟と言ってもよいのかもしれない。

「今日は休みなの?」

 朔也はセーターとスラックスというラフな格好をしている。ここへ立ち寄ることがあっても、仕事中ならばスーツに身を固めているはずだ。

「ああ。忙しそうだな」

「まぁね。休みで暇なら手伝って」

 視線が目元にできたクマに向けられている気がして、彩華はごまかすように瞬きを繰り返した。

「断る――と言いたいところだが、今日は人手が少ないか。――その前に時間あるか?」

「うん。お昼食べながらでもいい?」

 これで昼を食べ損ねたら本当に倒れそうだ。

 彩華の訴えに朔也は軽く苦笑すると足をダイニングキッチンへと歩かせた。

「詠は留守か?」

 二人分の緑茶を淹れながら朔也が訊ねた。飲むと言われなくても相手の分も淹れるのは高村家の暗黙の了解である。

「そう。あっちの仕事。兄貴は昼ご飯いらない?」

 事情を知らない者は自宅まで来ることは滅多にない。しかし念のためと思いぼかして答える。どこで誰が聞いているかわからないのだ。迂闊なことは言えない。

「今はいい。……そうか。詠にも意見を聞きたかったんだが」

「それって妖関係?」

 いくら人間界が長いと言っても、詠に質問ならば調伏関連だろう。

 一瞬、別のことかもしれないと考えたが、すぐに違うと思い直す。朔也は至極真面目な顔をしている。仕事の話が濃厚であろう。

 彩華は昼食をいつもの定位置に並べると、朔也の前にはウサギ型に剥いたりんごの皿を置いた。食後に食べようかと思い剥いたものだ。彼が食べなければ自分で食べるか、本殿にいるであろう彼らへ持って行くつもりだ。

「あぁ……サンキュ」

「わたしに話って、詠に聞くのと同じなの?」

 席に着くと同時に訊ねると、朔也は少し歯切れ悪く返事をする。

「食事中にする話じゃないからな。それはあとでいい。別件もあって……」

 そう言いながらも話を続ける様子はない。彩華は食事を続けながら待つが、朔也も黙ったままりんごを口に運んでいる。

 そのまま沈黙が続いた。

 先に痺れを切らしたのは彩華だった。

「なに? 別件って」

「……その、なんだ。うまくやってるのか?」

「……なにが?」

 意味がわからないといった風の表情を浮かべて訊ね返した。いつもはお堅い教師のような雰囲気を醸しだしているというのに、妙にすっきりしない喋り方だ。

 その後も沈黙が続き、彩華はひとまず無視して食べ続ける。

 食事が終わる頃を見計らっていたのか、やがて朔也が口を開いた。

「詠と……うまくやっているのか?」

「うまくって、仲良くって意味でいいの? だったらイエスだけど」

 突然の質問に少々面食らうものの素直に答える。時々喧嘩することはあっても円満な関係と言ってもいいはずだ。

 不思議そうな面持ちで彩華が首をかしげる。朔也はというと、明らかにほっとしたような素振りを見せている。

「それが何か問題あるの?」

 再度訊ねるものの相手からの答えはない。――が、やがて朔也は少しためらいがちに口を開いた。

「いくら古の約束事とはいえ――お前の意思関係なく決められた〝婚姻〟だからな。嫌ならどうにか方法を探すぞ……今更だが」

「あー……うん……」

 合点がいって、彩華は苦笑する。

「嫌って気持ちはまったくないんだよ。子供の頃から」

 目を伏せて、少し迷ってから言葉を紡ぐ。

「臨海学校とか修学旅行でさ、夜みんなで恋の話とかしなかった? 何組の誰々が好き、とか」

 懐かしい思い出に彩華は顔を綻ばせた。

 消灯時間が過ぎても友達と声をひそめて喋りあうなど、大人になった今はもう体験できない。

「それで、相手がいるって言うのも面倒なことになるだろうなって子供ながらに考えて、誤魔化したのね。特に好きな男の子もいなかったし。でも、後で好きになる人ができたらどうしようかって思って詠に……」

「聞いたのか?」

 朔也の顔がほんの少し険しくなる。その様子に彩華は困ったように片眉をさげて頷いた。

「うん。他に好きな人ができたって言ったらどうするの? って聞いたら『人の心を変えることはできないから、そのときはすぐに言え』って」

 優しい声音でそう言った彼の寂しげな表情は今も忘れられない。

 優しく自分の頬に触れた指の温かさも忘れられない。

 言いながら思い出した彩華は顔を歪ませる。知らず潤む目を瞬きでやり過ごすとにっこりと笑った。

 朔也は目を見張って彼女の言葉を聞いている。ふたりの間でそんなやりとりがあったとは思わなかったのだろう。

「そういう人だからずっと一緒にいるって決めたんだ。彼が『ふざけるな』って言うような悪神だったら、親に泣かれようが勘当されようが、どうにかして縁切ったと思う。古の約束だからって惰性で一緒にいるんじゃないもの。だから安心して」

 彩華は重い空気に耐えられず、いざとなったら京都に縁切り神社もあるしねー、と明るく茶化して笑う。そうして、話は終わったと言わんばかりに湯飲みを手にする。

「わかった……じゃあこの話はもう終いだ」

 彼なりに色々と悩んでいたのだろう。ややあって、吹っ切れたような顔をした朔也に、今度は彩華が質問する。

「わたしのことより兄貴はどーなのよ。神社継いでもらわなきゃならないんだから。わたしは無理なんだからね」

 第一子、第二子というのは関係ない。術者としての素質が強い方が継ぐということでもない。高村家の場合は子孫を残せるかどうか。ただこの一点になる。

 神と人では子はせないのだ。

 言葉にせずとも彩華の言いたいことは伝わったらしい。朔也は苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「余計なお世話だ」

「女の子だったらやっぱり巫女さんだよねー」

 まだ見ぬ縁者に思いを馳せているのか、彩華の目はきらきらと輝いている。

 その顔を一瞥し、朔也がふん、と鼻を鳴らす。

「彩華おばちゃんか」

 言いつつ人の悪い余裕の笑みを浮かべた。

 彩華は口角をあげた朔也を上目遣いに睨む。

「――あってるけど、人に言われるとむっかつく」

 彩華は頬を膨らませて不快だと主張する。だが男は気にならないのか平然としていた。

「なに。人は誰しも年をとる」

「そうね――。兄貴、もう一つの話って? 時間ないや」

 壁時計を確認すると、そろそろ仕事に戻らねばならない時間だった。今日は忙しいというのにいつまでも油を売っている訳にはいかない。

「ああ」

 はっとしたように我に返ると、朔也はやや声音を落として言った。

「……最近、妖怪の話を聞いたか?」

「妖怪?」

 彩華は相手の言葉をオウム返しにして首をかしげる。ここのところ調伏の仕事は請けていなかった。

 記憶を辿ってみたものの、該当しそうなものはない。調伏退治の話がないから異変がない、とは言い切れないのだが、最近はこれといった話はなかったと彩華は思う。

 外法師などという生業をしていると、不思議な出来事の話はよく耳にする。月詠神社で働く巫女たちはそういった話が好きなのか、外法師の潤滑を考えているのか、彩華に怪異話をすることが多い。もちろん中には子供騙しなよもやま話もある。

「何のことかわからないや。事件あったの?」

 朔也はいずれこの月詠神社を継ぐことになるのだが、今は出向という形で勉強も兼ねて国家機関の手伝いをしている。担当は主に怪奇現象の類だ。

 問いかけに首肯した朔也がため息を洩らした。

 注意深く彼の顔を見れば、目の下が少し窪んでいる。捜査が思うように進んでいないらしい。

 表沙汰になっていないだけで妖異や怪異は結構ある。他にも被害を受けた本人がそうと感じなければ、気づかずにそのままになってしまうのだ。

「まだ公にしていないからな。隠密裏に処理できるなら騒ぎにしたくない」

 この世に起こる不思議な出来事――特に妖異は、信じない者は一切信じない。信じる信じないは個人の自由であるが、科学的に証明できない怪奇現象もある。だからといって、事をむやみやたらに荒立てるのはよくないだろう。

 場合によっては知らない方が心穏やかに過ごせるのだ。

 なにより現代は夜でも明るすぎなのだ。活動場所も限られてしまい、妖たちは隅に追いやられる。

 中には現代に対応した妖もいるのだろうが、大抵は弱くなっているのだ。だが妖も長い年月を経て知能をつけているのか、ほとんどのモノは自分たちが消されないようにひっそりと暮らしている。

 そうして、厄介なのは寧ろ妖怪ではなく人間だ。心に巣くった闇――恨みや悲しみは、形となって他人に徒をなす。

 朔也は眉間に皺をよせて深刻な顔をする。

「先日、女生徒が襲われたんだ。比較的人通りのある場所だったんだが、目撃者はひとりもいない。首筋と両手足首に小さな穴が開いていて、被害者の血が地面に流れていた」

 そこまで言うと朔也は一旦言葉を切り、更に声をひそめて続ける。

「被害者の血がな、流れた以上に少ないんだ。恐らく襲ったヤツが抜いたか、あるいは吸ったか……」

「……血を?」

 彩華が身を乗り出した。膝に置いた手をぐっと握り締める。

「ああ。命に別状がないのが不幸中の幸いだな。もっとも衰弱が激しいから、しばらく退院できないだろうが」

 それでも助かったのならば良かった。

 安堵した表情で彩華は先を促す。

「意識が戻ったところで、少し話を聞いたんだが……」

 学校からの帰宅途中だったというその少女は、いつも通りの道を歩いていた。ふと何か縄のような物が巻きついた気がしたけれど、よく覚えていないという。 

 そのときはおかしいとは思わなかったのだが、言われてみれば、街灯があるはずなのに辺りが酷く真っ暗で何も見えなかったそうだ。

 結界のようなものがあったのかもしれない。妖が幻術で惑わせて〝獲物〟を人気のない場所へ誘いこむのはありえる。

「血を好む妖怪ね……。いるにはいるけど」

 昔読んだ記憶を辿ってみた彩華は、僅かに眉根をよせて思案する。

 血のみを欲する妖は、外法師になってからほとんど聞いたことがない。昔は頻繁に現れていたのかもしれないし、自分が知らないだけかもしれないが。

 一般的に有名な鬼や山犬は血を好むという。だが穴を開けて血を啜る妖怪に覚えはない。

「あるとしたら吸血鬼? でも日本じゃ聞かないからなぁ。……ありえなくはないと思うけど……」

 実際に西洋の化け物に出会ったことがないから、それがどのような妖なのか判断するのは難しい。残留した妖気からある程度の情報は得られるだろうが、限度がある。

 彩華は口元に手をあてて考えこんだ。

「縄……血を吸う……」

 ぶつぶつと呟いていた彩華であったが、何か閃いたのか、あ、と声をあげた。

「兄貴覚えてない? 昔読んだ子供向けの妖怪事典でさ、自在に動く枝で人間を捕まえて血を吸う妖樹」

「木……か。だが普段はどこにいるんだ? 以前なら隠れる場所はそこかしこにあっただろうが」

 それに、その妖樹に間違いないのなら目撃証言がないのはおかしい。アレは常に血に飢えていて、事実ならもっと騒ぎになっているはずだ。

 朔也の言うことが正しく思えて、彩華は考えが纏まらず悩んだ。

 今の時代、妖怪が隠れる場所はほとんどない。大昔と言える時代であれば、人里離れたところや山道で妖に襲われることはよくあっただろうが、人間と同サイズの妖ならまだしも、妖樹がいるとなれば大騒動になる。

「となると……吸血鬼に似た何かが現れたとも考えられるか」

 誰に言うともなく呟いた朔也の言葉に彩華が頷いた。

 人間の恐怖や不安が具現化して新たな妖怪を生み出すことはよくある。実際には形がなく見た者もおらず――ただの噂であってもだ。その代表は都市伝説であろう。伝承も近代の都市伝説も、口承で伝わるのだから同じと言える。

「詠は……何か言っていたか?」

 もしかしたら彼の〝仕事〟と関係しているのか。

 思い出したように朔也が切り出した。

「そんな話してなかったよ。詳しくは聞いてないけど、侵入者がどうのって言って、空港だとかなんとか……」

 慌てた様子はなく「ちょっと近所を散歩してくる」とでも言いそうな雰囲気だった。だから彩華は深く考えずに生返事で見送ったのだが――。

 朔也が目を丸くする。

「空港? どうしてだ? まさか海外の妖が飛行機乗ってやって来た、なんて言うんじゃないだろうな」

「――どうなんだろうねぇ……?」

 侵入者という割には平然としていた。彼ならば相手が誰であろうと心配ないはずだが……。

 腑に落ちない彩華が腕を組んでうーんと唸る。反対側に座る朔也も同じように腕を組んでいる。

 ふたりの仕草はとても良く似ていた。

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