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たいじや  作者: 葉月
13/24

鏡の月 終章

 遊園地の外れ。

 アトラクション類から離れた木々の生い茂る場所で、彩華はひとり術の行使をしていた。

 ここからは確認できないが、そろそろ月蝕が始まる頃だろう。だが彩華には自身の力の減少は感じられなかった。以前よりも少しは成長したようだ。

 彩華は一歩引いて相手の出方をうかがった。

 来園者はパレードやアトラクションに夢中になっているから、中心部からかなり離れたここでの作業は他人には気づかれにくい。

 長年の間に綻びが生じてしまった園内に張ってある結界は、昼間のうちに直しておいた。これで園外からの侵入はほとんど防げる。

 問題があるとすれば、よほど強い異形が目をつけて侵入を試みるか、来園者が喧嘩などして負の力が働いてしまったときだ。中で陰の気が発生すると、それは外へ放出できない。術者の張る結界は大半が外からの侵入を防ぐか、すでに中にいる霊体を外へ出さないようにすることしかできないのだ。

 厄介であるが、幸いここは森気しんきが満ちているからさほど問題は起きないはずだ。邪悪なモノは少しずつ浄化されるだろう。

 彩華の霊力が妖をなぎ倒した。

「あと、一匹」

 術の行使は疲れる。

 ぜいぜいと息を切らして、彩華は残った妖を見据えた。

 最後に残った妖はなかなか手強かった。結界の中だというのに弱まる気配が感じられない。彩華は顎をひいて腹に力をこめた。

 ――ぐう、と唐突に腹の音が鳴った。

 僅かに顔を赤らめて自身の腹を抑える。

 彩華の様子に、目の前の妖は首をかしげるような仕草をした。相手が人であったなら、今の音はなんでしょう? とでも言いそうだ。

 あと少しというところで気が緩むなんて。

 自分自身を叱咤した彩華は妖に向き直った。

「……さっさとと終わらせなきゃ」

 詠と別れて仕事を開始したのは太陽が完全に沈む少し前だ。見落としがないようにゆっくり園内を回っていたから、あれから二時間はゆうに経過しているはず。そろそろ夕飯の時間帯だ。昼間買い食いをしていたとはいえ、術を使えばそんなものは早々に消化してしまう。

 詠のことだから、あちらはすでに終了しているだろう。この程度の弱い妖に手間取っているなんて自分でも情けないと彩華は思う。

 すべて済ませて彼と合流したら、閉園時間まで遊び倒す。

 次にいつ遊びに来れるのかわからないのだ。そのためには今するべきことを早く終わらせなければならない。

地縛ちばく

 気合を入れ直して言霊を紡ぐ。それと同時に起きた強い重力を、足に力を入れてやり過ごす。

 青白い光を放ちながら霊力の縄が地面から生えた。それが妖をがんじがらめに縛りあげると、咆哮のような金切り声があがった。

 鼓膜が圧迫されて彩華は痛みに眉をよせるが、間髪入れずに次の術を繰り出した。

「臨める兵 闘う者 皆 陣烈れて 前に在り」

 霊力の刃となったそれが、命を削り取るために妖に直撃する。

 ぎゃあぎゃあと騒ぎたてる妖の声は思ってた以上に大きかった。彩華はぎくりとして一瞬動きを止めたが、続けざま術を繰り出す。

 妖の腹のあたりから下を消滅させると、刃は雲散霧消した。

 ほっとする間もなく次の術を叩きこむ。だが妖の命を削ることはできなかった。

 火事場の馬鹿力とでもいうように、妖が自身を縛りあげている縄を引きちぎったのだ。その勢いのまま彩華の放った霊力の刃を弾き飛ばす。

 咄嗟に防御の壁を作り出して衝撃を殺すが受け止めきれずに後退する。窪んだ地面に足を取られて彩華はバランスを崩した。

「――っ」

 来ると思った強い衝撃はなかった。

 たたらを踏んだ彩華の身体を、男の腕が優しく抱きとめた。

 こうして助けてくれるのはひとりしかいない。彩華は確信していた。

 反撃を受けた痛みに薄く閉じていた目を開く。

「ありが……」

 そうして驚きに目を見張った。

「このあいだの!」

「なんだ。オレだってわかってくれたのか?」

 あの夜に彩華が一度だけ会った、詠と同じ顔と神気を持つ男が嬉しそうに笑う。

 彩華を横抱きの状態で抱え直すとそのまま腰を屈めた。

「わかるわよ」

 瓜二つだと思っていたが、よくよく見ればこの男の方が目つきが僅かに鋭い。身に纏う気が僅かに険しい。詠も荒々しい部分があるのだが、あちらは滅多に見せない、嵐に似た雰囲気をこの男は常に醸しだしている。

「……月詠の関係じゃなければ、さっさと逃げ出してるわ」

「ふぅん」

 軽い口調で答えながらも、妖を見据える男の鋭い視線が緩まることはない。

 液体が粘ついているような耳障りな音に気づいた彩華は首を巡らせた。

 下半身を失った妖はしぶとく腕だけで移動していた。ずるずると這う音をたてながら、彼女たちへと向かってくる。下腹部から流れ出る妖の体液が、暗闇の中でもはっきりと見て取れる。

 気味の悪い光景に彩華は顔をしかめた。

「いい加減に放してよ。これじゃ仕事にならないじゃない」

「はいはい。遊びはこのくらいにしておきますよ、と。じゃあ……さっさとね」

 有無をも言わさぬ命令口調だった。その一言で妖はおろか、草を汚していた体液すらも瞬く間に浄化する。

「――はい終わり」

 言い終わるや否や、男は彩華の顔に唇をよせた。

「ちょ……」

 彩華の額に、目元に、優しく唇を落とした。

 がっしりと身体に腕を回されていて、彩華は身動きすらとれない。

「なにするのよ!」

 渾身の力で押し返すと僅かに男の腕が緩んだ。

「唇は避けてやってんだから、このくらいいいだろう?」

 男はやや不服そうに彩華の唇に指先を当てた。

「よくない!」

「手間賃くらいよこせ」

 相手に横抱きにされたままの体勢で彩華がわめく。再度男を押し返すが、一層強く抱きしめられた彩華は、頭が真っ白になってバタバタと暴れだした。

 男は彼女の気が動揺しているのを楽しんでいるのか、喉をくつくつと鳴らして笑っている。

 こんな状況を彼に見られたら何と言われるか。

 彩華は目を尖らせて男を見ると口を開きかけた。

「……そこで何をしているのか説明してもらおうか?」

 突然抑揚のない声が聞こえて身体を強張らせた。首を巡らせて見れば、声の主の視線は男にまっすぐ向かっていたのだが、彩華は自分が追い詰められた気分になる。

「んー。浮気中?」

「違う!」

 のほほんとした声の後に慌てふためいた声が続いた。

 男は彩華の身体を膝に抱き抱えたままだ。離れようと、彩華は自身に巻きついている男の片腕を両手でしっかりと掴んで力を込めたが、ぴくりとも動かない。

 ふたりを――否、男を見据える詠の柳眉を逆立てた。

「そんな顔するなよ大将。……久方振りと言うか、初めましてと言うべきか……どちらがいいかな?」

「戯言をぬかすな」

 ひどく静かな声音とは違い、詠の顔は不機嫌そうだ。

「そろそろ放してやれ」

「――了解」

 詠が胡乱げな視線を向けると、男は涼しい顔でそれに応じた。

 身体に絡まっていた腕がするりと解けたのを確認すると、彩華は安堵のため息をもらした。手や服に付着した土埃をぱたぱたと払って立ち上がる。

 詠は少し離れた場所で、じっと立ち止まったままだった。

 彼の元へ行った方がいいのか……と彩華が悩んでいると、詠が優雅な足取りで近づいてきた。

「全部片付いたのか?」

「うん」

 術者の表情をして深く頷きながらも、彩華の内心は不安で一杯だ。

 誇り高い神とその霊気を写し取った存在。こうしてふたり揃うと違いがはっきりとわかる。

 人が惑わされぬように闇夜を照らす柔らかい月の光が詠ならば、もうひとりは闇夜に棲むモノを圧制する、月夜に閃く剣光だ。男の軽い口調でいくらか和らぐが、その目は常に険しさを帯びている。

 詠は眉間の皺を刻んだままだ。何を考えているのかその表情からはうかがえない。断りもなく自身の複製を作られたのだから、月詠は僅かながらも怒りを感じているだろう。たとえそれが複製自らの意志でなくてもだ。

 力の差は五分五分か、本物の月詠が若干上と思われる。一触即発、なんてことにならないか。そうしたら人間の彩華に止めることなど不可能である。

 手と手を取りあって仲良く――とはいかなくても、対立せずに済む方法はないものか。

 彩華の心配をよそに、ふたつの月は無言で睨みあっている。

 沈黙を破ったのは漆黒を身に纏う男だった。

「偽者は消えろと言うならすぐにでも消えるが、そのときは彩に葬ってもらいたいなぁ」

「……はい?」

 緊張感もへったくれもない軽い口調と内容に、彩華が間の抜けた声をあげた。

「なんでよ」

 至極真面目に聞き返してみたが、にやりと笑う男を見て、やっぱり無視すればよかったと後悔する。

「そんなの、男より女の方がいいに決まってるだろう」

 ――心配して損したかもしれない。

 彩華は脱力して深いため息をついた。横目で詠を見れば、彼は苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「冗談はそのくらいにしろ」

「まるっきり冗談って訳でもないだろう? オレは月詠がいなければ存在しなかったんだから。生きるも死ぬも、核になった月詠おまえ次第だ。オレは要らない複製なんだからさっさと始末すればいい」

 幾分か真剣な眼差しとなった男の言葉を受け、彩華は僅かに顔をひそめた。

「どうでもいいなんて思ってないよ」

 眼差しを真っ直ぐ向けて彩華が言うと、男は鼻を鳴らして笑った。

「なぜそう思う? 荒ぶる魂など常に人界にあったら天変地異が起きかねないぞ?」

 男が腕組みをしてわざとらしくため息を吐いた。お前は大馬鹿か? と男の目が語っている。険を帯びた眼差しは強い威圧感を発していたが、不思議と怖ろしさは感じなかった。

 やっぱり根は優しいのだと、彩華は安堵の笑みを湛えた。

 はっきりとは聞いていないけれど、詠も同じ気持ちだと彩華は思う。でなければ、とっくに排除しているはずだ。以前聞いたように、一度壊して流れ出た霊力を大気に溶かせばいい。方法自体は難しいことではないのだ。だが、気持ちが伴わない。自身が不快だからと排除するのでは、ただのエゴだ。

「荒ぶるって、言い換えれば気丈とか芯が強いとか……強大な生命力でしょ。生命力が衰えたら、そっちの方がよっぽど滅びが早くなると思うけど? そりゃあ、何事も行き過ぎはまずいから、限度はあるけど」

 だからいらない存在じゃない。

 上手く伝わるかどぎまぎしながら彩華は必死に言葉を紡いだ。

「存在する理由が欲しいなら、わたしの手伝いをしてくれるってのは? 月詠尊と、それに準ずるひとの力が借りられるなら心強いもの」

 言ってから、彩華はちょっと調子に乗りすぎたかもしれないと内心焦った。

 だが彼女の真摯な思いは多少なりとも伝わったらしい。男は複雑な表情を浮かべて「だったらもう少し地上に居させてもらおうかな」と呟いた。

 微笑んで頷いた彩華が視線を感じて振り向くと、同じように複雑な表情の詠と目があった。

「なに?」

「相変わらず神遣いが荒いな、と」

 言って苦笑する。その言葉には咎めの色はなかった。

「使えるものは何でも使うわよ。でも必要以上には手は借りない。それに、度を越したら詠が止めてくれるでしょう?」

 神の力に頼りすぎれば人間はあっという間に破滅に向かう。よくわかっているし、嫌われたくはないから、いつも常識外れの言動はしないようにと心に決めているのだ。

 彼に知られたらまたからかわれそうだから、と彩華はその想いは心の中に留めておくことにしたのだった。

「――そうだな」

 若干困った表情の詠を見て、男は人の悪い笑みを浮かべる。

「度量が広いなぁ大将は」

「大将はやめろ。へつらわれるのは好かん」

 眉間に皺を刻んで詠が吐き捨てた。

「それじゃ主?」

「くどい」

 嫌悪感を露にして詠が睨めつける。心底嫌そうな顔だ。

「詠でいい」

「構わないならそう呼ぶが」

 問いかけに詠が首肯で応じると、男はどこか楽しげな笑いをその口元に浮かべた。まるで悪戯少年のようだと彩華は思う。

「――彩華。こいつに名前付けてやれ」

「わたしが?」

 名前は最初の呪だ。それを人間の自分が付けてもいいのだろうか。

 彩華が訊ねると「むしろその方がいい」と詠が答えた。

「俺が俺を名で縛っても意味がない。〝詠〟という名前も先の巫女が付けたんだから」

 では下手な名前はつけられない。ならば月に関係したものがいいだろう。

 月の異名を頭に浮かべるが、すべてをそらんじるのは無理だった。思いつく限りの言葉を考えて、彩華は悩む。

「じゃあ……月影つきかげ

 やがて上目遣いにおずおずと答えた。

 善の力を持った響きがいいだろうと〝月の光〟の別名を考えたのだった。

「そのままか」

「感性が弱いな」

 ふたりの男に散々な評価をされて、彩華はややムッとした表情を見せた。

「嫌ならポチかタマ」

「…………オレが悪かった月影がいい」

 彩華の迫力に負けて月影が降参のポーズをとった。そう言いながら見せた表情は楽しげだ。

 つられて笑おうとして、彩華は逆に眉をよせた。吹いた風に髪を乱されて慌てて押さえる。

 冷たい北風を感じて身を縮こませて、

「ねぇ、いつまでもここにいないで移動しない? 寒くなってきた」

 両手を擦りあわせながら提案する。

 調伏で程よく熱を帯びていた身体はとうに冷えきっている。霊力も使ったし、そろそろ暖かい室内で温かいスープでも飲みたい。

 そう思った彩華は、はたっと〝あること〟に気がついた。

 同じ性質の存在がふたつ。

「……腹減ったな」

 詠の呟きに、神様にはそんなの関係ないじゃないと突っこむのも忘れて彩華は考える。

「だったらオレも食べたい。詠の記憶でしか知らないから、人間の食事って興味ある」

 ああ、それも存在理由になるかもな、と。

 底抜けに明るい、されど彩華にとっては不吉な響きを持つ月影の声が彼女の耳に届いた。

 どうせなら一生気づかなかった方が幸せだったかもしれない。

「昼はパン食だったから夜は米が食べたいぞ」

「ふぅん? オレはどこでもいいけれど。……ここはどうだ?」

 どこから取り出したのか、月影は遊園地の案内図を手にしていた。

 詠は地図を覗きこんで何やら思い巡らせているようだ。

 こちらも術を使ったおかげでお腹が空いている。だからまず食事に行くのは大賛成なのだ。だがしかし。

「……大食いな居候がひとり増えた……」

 彩華の呟きはふたりの男には届かなかったらしい。これからどうするのかの意見交換が続いている。

 そのやりとりをちらりと見ると、彩華はふたりにはわからないように小さくため息をついた。

 ――いつか友人に言った何気ない言葉が現実となってしまった。

 言霊の力を侮るなかれ。

 澄んだ夜空を見上げながら、彩華はひとり後悔していたのであった――。


- 終 -

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