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婚約者のお兄様(王太子)になぜか溺愛されています

作者: 鉄人じゅす
掲載日:2026/06/15

 侯爵令嬢セリア・フォンクレストはその光景に絶句するしかなかった。

 婚約者であるアレクシスの部屋を訪れた時、ベッドの上にねぼすけな彼と一糸纏わぬ姿の女性が果てたように眠っていたからだ。

 その衝撃的な光景にセリアの抱える書類一式がぼたぼたと床へと落ちていく。


「あん?」


 ウィーシア王国第二王子であるアレクシスはボサボサとなった金色の髪をかきあげて起き上がり、セリアの方へと視線を向ける。


「アレク……いったい何をやっているの」


 アレクシスを愛称で呼ぶのは婚約者であり五歳の頃から幼馴染であるがゆえのこと。

 婚約者の不貞行為にセリアは信じられなかった。


「うるせぇな。朝から大きな声出すなよ。ってああ、ついにバレちまったか」

「んん……」

「ロザリー起きたか。昨日は楽しかったなぁ」

「はぁい。アレクシス殿下はお優しくてぇ……。あ、セリア様。おはようございます」


「あなた……伯爵家の。どうしてあなたがアレクと関係を」

「そんなの決まってるじゃないですかぁ。ねぇ、殿下」

「ああ」


 見せつけるようにアレクシスは伯爵家の女の額にキスをする。


 どうやら二人の関係は一度きりの過ちではないらしい。セリアの目を盗んで何度も逢瀬を行っていたようだった。セリアはワナワナと震え顔を紅潮させる。


「昨日は私の誕生日パーティで婚約者のあなたが欠席だなんて変だと思ったらこんなことをしているなんて……裏切りだわ」

「別にいいじゃねぇか。俺とおまえの関係は父上とフォンクレスト侯爵が勝手に決めたことだろう。王家の婚姻なんて打算しかねぇーんだし、遊ばせろよ」


「っ! 私はそんな関係でも幼馴染みのあなたのことを愛していた。五歳の頃からずっと! あなたと結婚すると信じていたから。あなたの仕事を手伝っていたのよ!」


 第二王子としてやらなければならない仕事を全てセリアの方へと投げていたのだ。

 優秀だったセリアはアレクシスを立てるために全てをこなし、アレクシスの成果としていたのだ。ゆえにアレクシスの評判はかなり良かった。


「そういう固い所が面白くないんだよ。オレはセリアのことを意識したことなんて一度としてねーよ」


 その乱暴な物言いにセリアは耐えられず、部屋から駆け出していた。

 セリアは婚約が決まってからずっとアレクシスに尽くしていた。自分が侯爵令嬢として魅力に欠けている自覚はあった。

 しかし、アレクシスと結婚するのであればそんな不要でその分を彼に尽くせば良いと思っていたからだ。

 十年以上の想いを砕かれ、自暴自棄になりそうな気持ちを抑え込みセリアは走る。

 そんなときだった。曲がり角で誰かにぶつかった。


「きゃっ」


 セリアはその勢いに飛ばされてしまう。地面に叩きつけられるかと思ったその時、しっかりとした腕に抱え込まれることになったのだ。

 勢いに目を瞑ったセリアは恐る恐る目を開ける。そこにはアレクシスとそっくりの顔をした男性の姿がだった。


「アレク……」


 だがアレクシスではない。アレクシスはまだお気に入りの女と部屋にいるはずだ。

 アレクシスに似た端正な顔立ちをした男性が声を上げる。


「あいつをその名で呼ぶということは君はもしやセリアか」

「は、はい。あ、もしかしてクリストファー殿下でしょうか」

「ああ、その通りだ。久しぶりだな」


 クリストファーはこのウィーシア王国の第一王子であり、王太子でもある。

 そしてアレクシスとは3つ離れた兄でありセリアとも親しい関係だ。

 クリストファーとぶつかってしまったことにセリアは血の気が引いた表情をする。


「も、申し訳ありません殿下。大変失礼しました!」

「気にしなくていい。柔な鍛え方はしていない。そうか、君がセリアか」

「殿下?」


 セリアを見るクリストファーの目が艶やかに感じていた。

 しかしセリアにとってアレクシスと似た顔立ちのクリストファーに見つめられるのは複雑だったりする。


「三年ぶりだな。綺麗になった」

「あ、ありがとうございます……殿下」

「昔みたいにクリス兄様と言ってくれないのか」

「い、言えません!」


 セリアとアレクシスは5歳の時からの幼馴染みであり、3つ上のクリストファーのことを兄のように慕っていた。

「ところで泣いていたのか。何があった。」

 クリストファーがセリアの目尻に浮かぶ涙の跡に気づく。

 慌ててセリアは涙の跡を拭き、なんでもないことを伝える。しかしクリストファーに問い詰められて白状するしかなかった。


「あの馬鹿が」


 クリストファーは弟であるアレクシスの所業に深く憤っていた。


 そのまま立ち上がる。


「あいつを甘やかした俺の責任でもある。殴ってくる」

「待ってください! アレクを繋ぎ止められなかった私が悪いのです」

「だが……昨日は君の誕生日のだろう。婚約者の誕生日パーティの翌日に不貞行為なんてありえん」

「あはは……。あれ、私の誕生日って言いましたっけ」


 セリアはアレクシスの不貞の話はしたが、昨日がセリアの誕生日であったことは必要のない情報だったので伝えていなかったのだ。


「忘れるわけないだろう。弟の婚約者の誕生日だ。三年前までは毎年出ていたからな」

「そうでしたね。クリストファー殿下は本当にお優しいです」


 クリストファーはこんなに見てくれているのに婚約者のアレクシスはぞんざいに扱ってしまうのか。

 愛していたからこそ、落胆が強かった。

 そんなセリアの様子にクリストファーは一呼吸を置く。


「セリア。今日、時間あるだろうか」

「はい。予定はありませんが」

「良ければ食事に行かないか。君への誕生日プレゼントを贈れていないからな」


「そんな! 殿下にそのようなことをして頂くなんて」

「気にするな。今後どういう方向になるかは分からないがまだ君は弟の婚約者ではある。義理の妹を喜ばせてあげたい」


「殿下の婚約者の方にバレたりしたら」

「俺に婚約者はいない。先日、帰ってきたばかりだからな」


 そこでセリアは思い出す。3年ぶりの再会ということはクリストファーは三年王都を不在にしていたのだ。その理由もあってクリストファーは婚約者を立てていなかった。


「表向きの理由はこれだが、本当は市政の様子を見ておきたくてな。数年以内に国王を引き継ぐことになっているから視察も兼ねているんだ。その際、パートナーがいてくれた方が都合が良いのだ」

「そういうことであれば、ご一緒だせてください」

「よし、ではさっそく準備としようか」


 クリストファーは指を鳴らす。すると王族に従うメイド達が現れた。


「フォンクレスト侯爵令嬢を美しくしろ。ではセリア、後でな」

「え!? そのようなことしなくとも……あ、ちょっと!」


 そのままセリアはメイド達に連れられてしまった。

 一人残されたクリストファーは呟く。


「諦めたつもりだったが……。チャンスかもしれんな」


 時間は過ぎ、クリストファーは王家の使う白の馬車の前でセリアがやってくるのを待っていた。

 帰国してから初めて食事会ということで服装にも気を使う。


(この俺がこんなにも緊張するとは……。やはり俺は……)


「お待たせしました殿下」

「……」

「どうしました? 何か変でしょうか」


「……やはり良いな。見惚れたよ」

「殿下! か、揶揄わないでください」


 王家の力で見た目を麗しく着飾ったセリアにクリストファーを口元に手をやり緩むのを抑えているようだった。赤のドレスはセリアに良く似合っていた


「殿下もとてもお似合いです。貴族令嬢達も放ってはおかないでしょう」


 クリストファーもまた白を基調としたクラシックスーツに身を包んでいた。顔立ちはアレクシスと似ているのにその姿勢の良さ。余裕のある表情は大人な風格があり、全体を見れば似ても似つかない。

 にこやかに笑うクリストファーの姿にセリアの胸に込み上げるものがあった。


「では行こうか。さぁ、手を」

「ありがとうございます。でも……王族だけが使える馬車に乗せて頂くのは悪い気が」

「何を言っている。アレクと一緒に何度も乗ったのではないのか」


 アレクシスもまたこの馬車を使う権利がある。婚約者であるセリアは当然のように慣れているとクリストファーは思っていたようだ。しかしセリアは苦笑いで返した。


「アレクと一緒の馬車に乗り込むことはありませんでした。身だしなみを指摘されるのが嫌だったみたいでどこに行くにも別の馬車を使っていました」

「そうか。では俺の身だしなみを指摘してもらおうかな。さぁ行こうか」

「ふふ、殿下に指摘するところなどありませんよ。ありがとうございます」


 クリストファーはセリアに手を取り、馬車内で振動を少ないところにセリアを乗せる。

 勘の鋭いセリアはその気遣いに気づいていた。


(アレクはすぐに自分が座るものね。本当に素晴らしいお方だわ)


 馬車は動き出し、目的地へ向かい走り出していく。

 和やかに話している内に煌びやかなレストランに到着。


「ここは……上級貴族でもなかなか予約の取れないレストランですよね」

「らしいな。帰ってきて早々来店して欲しいと言われていたのだ」

「このような贈り物。私には大き過ぎます」

「謙虚なのは相変わらずだな」


 到着と同時にレストラン支配人たちがゾロゾロと現れて、クリストファーの方に挨拶をしていく。

 次期国王ということもありさすがの対応と言える。


「出迎え感謝する。急な予約で悪かったな」

「そのようなことは……。殿下には当レストランの経営でお世話になっております」


 クリストファーはレストランの支配人と言葉を交わしていた。

 その会話だけでもクリストファーを尊敬していることが見てとれた。それだけではない。

 出迎えた従業員一同穏やかな表情を浮かべているのだ。


(アレクと一緒だったらこうはならなかったわね)


 王族であることに驕っているアレクシスの評判は実際に会った人からすると良くない。何度かアレクシスと食事に行く機会があったがいつも失礼な言動をし、セリアはその度に謝罪していたのだ。


(今日はそんな心配はまったくないわね)


 クリストファーの振る舞いにセリアは安心をしてしまった。


「さぁセリア。行こうか」


 レストランの中でも1番良い席に通されて、コース料理が次々と運ばれてくる。

 レストラン内ではピアノコンサートも開かれており、二人は1番良い場所でのその音色を楽しんでいたのだ


「料理も音楽も凄く良くて、正直昨日よりも今日の方が楽しかったです」

「そうか。それであったなら誘った甲斐があったものだ。俺も君と話せて楽しかった」


 クリストファーの柔和な笑みにセリアの頬は赤みが帯びる。それほどまでに魅力的に感じていたのだ。同い年のアレクシスとは違う魅力をセリアは感じていた。


(本当に素敵な方だわ……でも、私には勿体な過ぎる)


 セリアは侯爵令嬢ではあるが、クリストファーのような次期国王になる存在は四大公爵家の令嬢と結ばれるのが筋となっている。アレクシスとの婚約ですら少し騒動があったくらいなのだ。


「率直に聞くがアレクとはどうするつもりだ。このまま仮面夫婦となり、婚約するのか」

「それが王国のためなら……とは思いますが父がおそらく許さないでしょう」


「そうだな。君とアレクとの婚約は幼馴染みゆえのことが大きい。そこに破綻するならフォンクレスト侯爵は婚約を破棄することになるだろう。今ならまだ間に合う」

「殿下は私にアレクを支えろとは言わないのですか?」


 クリストファーとアレクシスは仲の良い兄弟だ。本来第一王子と第二王子は派閥が出来、敵対することも多いがこの二人はそのようなことはない。クリストファーはアレクシスを可愛がり、アレクシスはクリストファーを尊敬をしている。

 これはクリストファーが能力の高さゆえに次期国王が確定。アレクシスも自分の能力を理解し、クリストファーを支える方向で考えていることが大きい。


「セリアとアレクが愛し合っているのであればそれでいいと思っていた。だが関係が破綻しているのであれば話は別だ。セリアに悲しい顔をして欲しくはない。君にはもっと相応しい相手がいるはずだ」


「そうでしょうか。アレクには面白みのない、可愛げのない女と言われてきました。アレクと婚約破棄となった場合は国内では見つからないでしょう。他国かもしくは……修道院送りになるかもしれませんね」


「そうはさせない」

「え?」

「なんでもない。この三年間。俺が何をしていたか君は知っているか?」


「当然です。大陸東部で帝国との戦争で殿下は総司令として活躍をなされていました。私もかかさず新聞を読んでいたのですよ。殿下の勝利を妹として祈っていましたから。本来は四大公爵の誰か行く所、殿下が行かれたことにはびっくりしましたけど」


「君は俺が王都を離れている間に王都の施政をアレクと協力してこなして欲しいと頼んでいた。将来、俺が王国全てを見て、弟には王都を任せたいと思っている。アレクは本当に良くやっていた。戦時中でも励みになったよ。でも本当は君一人でやっていたんだな」


「そ、そういうわけでは」

「庇う必要はない。セリアがアレクの分まで仕事をこなす中、あいつは婚約者を放って遊び呆けていた。何が可愛げがないだ。俺の目の前にいる令嬢はこんなにも美しいというのに」


 そんな直接的な言葉にセリアは顔を真っ赤にし、俯いてしまう。

 ここ数年アレクシスからは美しい、可愛いなど言われたことがなかった。

 社交パーティやお茶会よりも実務優先したゆえに女性としての魅力に欠ける自覚があった。

 クリストファーはそんなセリアの働きを認めてくれた上で美しいと言ってくれる。


「ありがとうございます殿下。とても嬉しいです」

「そうか。ちょっと良いだろうか」


 クリストファーは目線を逸らし、レストランの席担当に指示をする。


 担当のものを小さな箱を用意しクリストファーに渡した。

 クリストファーは箱を開けて、エメラルドで加工されたネックレスを見せたのだ。


「一日遅れだが誕生日おめでとうセリア。受け取って欲しい」

「こんな素晴らしい装飾品、受け取るわけには……」

「君に似合うものを用意したつもりだ。だめかな?」

「そういう言い方はずるいです……」


 クリストファーはここで引くような人ではないことをセリアはわかっていた。

 逃げ道をなくす言葉に観念しプレゼントを受け取ることになる。

 クリストファーにネックレスをつけてもらい、セリアは嬉しそうに微笑んだ。


「見立て通りだ。美しい君にぴったりだ」

「おだてすぎです。このようなことは四大公爵令嬢に行って頂かないないと」

「そのことなのだが、あまり接点がなくてどう接すればいいか分からん。三年いなかったからな」


「そうですよね。皆様、とても美しい方ばかりですよ。私も憧れてます」

「その中で治世に詳しいものはいるのか」

「え……とそれは。どちらかというと美容や噂話などには精通しているかと」


 セリアは上位令嬢の話ゆえに言葉を選んでいた。クリストファーはそのことを分かっており、だからこそ弟とその婚約者に知見を深めるように頼んでいたのだ。


「そんな者が相手ではな。よし……ならばフォンクレスト侯爵令嬢」

「は、はい!」


 いきなり名前ではなく、家名で呼ばれセリアは大きな声を出す。


「しばらく王都を見てまわるつもりだ。一人ではつまらん。それに君が付き合って欲しい」

「私がですか!? で、でも……」


「この三年間で勉強したこと俺に示してくれ」

「そういうことでしたか」


 クリストファーはあくまでセリアを妹分にしか見ていない。

 セリアはそこに安堵をした。しかし心の奥底では公爵令嬢よりも自分を選んでくれたのではという想いが芽生え始めてた。


(殿下が私相手にそんなはずないよね。今日だってアレクの代わりに祝ってくれているだけ。王都の見回りも仕事のつもりだからでたまたま見知った私がそれに詳しいだけで特別ないとはない……意図は……あれ?)


 セリアは心の中で自問する。


(好きだったアレクに捨てられてあんなに悲しかったのにもうどうでもよくなってる。クリストファー殿下はお優しくて知的で理想なお方だから惹かれてるんだ)


 三年ぶりの再会にセリアの心は大きく変わって行った。


(でも殿下はきっと私のこと……妹としか思ってないよね)


 それから度々、クリストファーはセリアを誘うことになる。

 観劇や視察など侯爵令嬢として意見が欲しいということで積極的に誘っていた。

 セリアもまた誘われることが嬉しくて時間の許す限り応じていた。


 次第に次期国王であるクリストファーとセリアとの関係に話題になる頃だったが、それでも第二王子のアレクセイとセリアが婚約者同士であることは周知の事実であったため悪い噂になることは無かった。


 しかし事態は急展開を見せる。

 アレクシスとセリアが婚約破棄となった。

 アレクシスの女癖の悪さは貴族界でも有名であったため、セリアに同情の声は多かったがそれでも王族との婚約破綻は醜聞という形となり、セリアにだけ汚点が残ることになった。

 そのためクリストファーは弟の不始末を清算するためにセリアに構っていた。そんな噂が貴族界に浸透することになった。


「セリアさん、あなたいい加減になさい」


 セリアはある日、お茶会に呼ばれそのような言葉を投げかけられる。

 放ったのはフィアリスという公爵令嬢である。

 フィアリスは四大公爵の中で最も大きな権力を持っており、クリストファーの婚約者候補の中で最有力とされていた。

 美しいブルーサファイアの髪はあらゆる男性を虜にする。王妃となる資質を備えている女性がセリアを糾弾したのだ。


「フィアリス様、それはどういうことですか」

「クリストファー殿下のことです。あなたが軽々殿下の誘いに応じることでわたくし達公爵令嬢はいつも後回しとなるのです。殿下と公爵家の関係を知らないとは言わせませんよ」


 セリアも薄々分かっていた。クリストファーが同情心でセリアを誘い続けていたことに。

 次期国王として自分の結婚のことを考えなきゃいけないはずなのにクリストファーとの時間が楽しかったため考えないようにしていたもだ。その罰が今日降った。


 お茶会にはフィアリスの取り巻きである令嬢達が勢揃いしており、セリアにとって四面楚歌の状態である。

 セリアはアレクシスの婚約者ということで派閥として別枠の存在だった。弟の婚約者の立場のままなら何も言われなかったが婚約破棄となった今、状況は変わってくる。クリストファーがセリアに構っていることを公爵令嬢達は面白くない。


「セリア様ったらいつまで妹気分でいるのかしら。もう婚約破棄されたというのに」

「まぁ、アレクシス殿下の悪癖は有名な話ですし」


「そうは言ってもそれを支えるのがセリア様の役目では。セリア様がしっかりしないから下級令嬢がつけあがるのです」

「王族に捨てられた令嬢なんて……いくら侯爵令嬢でも貰い手はないでしょうね」


 蔑むような言葉をたくさん投げられる。だけどセリアは覚悟の上であった。

 アレクシスとの婚約破棄については何を言われよう良かった。しかし。


「もうクリストファー殿下に擦り寄るのはやめなさい。いい加減に立場を弁えなさい」


 自分がクリストファーの足枷になっていることが何よりも辛かったのだ。

 それからセリアは家族と話をし、修道院へ行くことを決めた。


 そして数日が過ぎた。


「あなたが決めたことなら何も言わないわ。でも私は今でもあなたを娘のように思っているわ」

「ありがとうございます。王妃様に教わったことを糧に学んでいきたいと思います」


 セリアは王妃と非常に仲が良く、実の母娘と思われるくらいの関係であったと言われている。

 セリアは国王を立派に支える王妃の姿に憧れを持っており、そんな存在になりたいということでアレクシスを支えていたのだがアレクシスはそれを求めていなかった。


「小さい頃、アレクシスとあなたの関係を見て陛下に婚約関係を進言したけどこんな形になるなんて……本当にごめんなさい」

「アレクの気持ちに寄り添えなかった私が悪いのです」


 王妃もまたセリアの能力を把握していたので本当に惜しいと感じていた。


「アレクシスじゃなくてクリストファーの婚約者にすれば良かったのかしら」

「っ!」


 その言葉にセリアは大きく動揺する。


「ここだけの話だけど、クリストファーは婚約のことを嫌がっているのよ。私も表立っては言えないけど、公爵家の令嬢たちはあの子を支えられるとは思えないのよね」


 王国の政治を手伝っていたセリアと違い、公爵令嬢たちは自分を良く見せることに力を注いでいた。

 クリストファーの求める相手とは大きく違うと思っていい。しかし公爵家を蔑ろにするわけにはいかない。

 それも踏まえてクリストファーは決断せねばならないのだ。


「王妃様、失礼致します」


 セリアは逃げるように部屋を出た。

 婚約者でもなくなったし、この王族が住む王邸に来ることはないだろう。

 最後の挨拶とするつもりでいた。最後にクリストファーに声をかけるべきか悩んだが、公爵令嬢の派閥に糾弾されてからはクリストファーと会っていない。

 次期国王である彼の重みになりたくなかったからである。


 そんな時だった。


「セリア」


 声をかけられた。その声には特に感情が昂らない。

 なぜなら元婚約者であるアレクシスであったからだ。


「なにかしら」

「なんですました顔してんだよ。相変わらずつまらねぇな」

「そうね。つまらない女でごめんなさい。それじゃ」


 すでに婚約破棄しており、王子と侯爵令嬢という関係だったが幼馴染みとして最後の対応と考えていた。

 立ち去ろうとしたその時、アレクシスから肩を掴まれる。


「用事は終わってねぇよ」

「アレク痛い!」

「ほら、王都の改善提案書。今期分も頼むぜ」

「え……」


 当たり前のように書類を渡してくるアレクシスの姿にセリアは呆然としてしまう。

 婚約中だったら仕方ないわね。あなたも考えなきゃダメよと窘めたもの。婚約破棄の件は両家にも伝わっているアレクシスも知っているはずだ。


「どうして私がそれをやらないといけないの」

「は? 兄上に頼まれただろう。俺とセリアで王都は見ていくって。次期国王の兄上を支えてやりたいからな」

「それはあなたと私が婚約者だったから! 婚約破棄した今、私にその役目はないから」

「なんだと! それなら婚約破棄なんて了承しなかった」


 あまりの言い分にセリアは頭を抱える。

 そんなことできるはずもない。すでに王家と侯爵家の間で書面を交わしているのだ

 王妃と中が良かったおかげでセリアの家であるフォンクレスト侯爵家に対してお咎めなどは発生しなかった。


「今更婚約破棄を無かったことにできるわけないでしょう」

「……母上からかなり叱られた。でも仕方ないじゃないか。俺一人じゃ分からねぇし、女達に見せてみたけど理解できない感じだったから」

「あなた国家機密を他の令嬢に見せたの!?」


 王族のチェックする書類は機密性の高いものが多い。

 国王陛下やクリストファーが処理しなきゃいけないものがアレクシスにまわってくることはないが、年齢的にも高度な案件を任されつつあった。


 セリアも頭を抱えながら有識者に確認して、対処したものも多い。

 それをアレクシスは勝手に下級貴族令嬢に見せていたのだ。


「そんなに怒ることかよ。嫌ならセリアがやってくれ。幼馴染みだろ」

「……王太子じゃないにしても王子としての自覚はないの?」

「適材適所だろ。俺だって忙しいんだ」

「忙しい……って女の子と遊んでるだけじゃない。……もし私と結婚したら遊ぶのを止めてくれたの? 私だけを愛してくれたの?」


 縋るようにセリアはアレクシスに尋ねる。

 出会ってから十年以上。セリアはアレクシスの変わりに仕事をしていた。好きな彼が自分のことを見てくれると信じて。


「前も言っただろうセリアを女と思ったことない。幼馴染みとして情はあったから王弟妃として扱うつもりだが本当に愛する女が現れたらそいつをすぐにでも側室して寵愛するつもりだ」


 セリアはがくりと項垂れた。

 アレクシスへの想いは断ち切ったつもりだったがこの発言には心底軽蔑するものだった。

 もし婚約が破棄されなかったらまったく愛されないまま仕事だけを押しつけられることが確定したからだ。

 もうこんな想いをするくらいなら早く修道院に行って新しい人生を始めたらいい。セリアは振り返り立ち去ろうとする。その時だった。


「この馬鹿野郎っ!」


 アレクシスは大きく殴られて吹き飛ばされる。

 王子である彼を殴れる人物はそう多くない。

 そして予想外だったのは常にニコニコして優しいクリストファーがアレクシスを殴ったからだ。


「本当に情けない。ここまで愚図とは思わなかった! セリアを傷つけるだけじゃ飽き足らずまだ追い打ちをかけるか。ふざけるなよ!」

「兄上……何で」


 敬愛する兄に怒られ、アレクシスは呆然としてしまっていた。

 仲の良い兄弟ゆえにクリストファーの怒りの理由がまったく分かっていないようだった。



 ◇◇◇


 少しだけ時が遡る。

 ここはクリストファーの執務室。

 帝国との戦争に勝利した英雄。次期国王としての名声だけでなく、その端正で柔らかな顔立ちは王国一と呼ばれるほどの美貌を持つ男は今。


「鬱だ……死にたい」


 机の上で死んだ目をしていた。


「何を言ってるんですか殿下」


 3年の遠征にもついてきた側近も呆れた顔をしている。

 ほぼ完璧な王子だというのに唯一、一点のみポンコツになってしまう事情がある。側近だから分かる所があった。


「ここ数年で一番ショックだった出来事は何か分かるか?」

「そうですね。遠征の時に内通者がいて危機に陥った時のことでしょうか。自分も殿下も良く生きてたなって思います」

「そんなんことはどうでもいい」

「九死に一生だったのにそんなことって言い始めたよこの人……」


 側近はため息をつき、その原因のワードを口にする。


「セリア嬢と何かあったんですか」

「びくっ」


 クリストファーの体が震える。当たりだったようだ。


「セリアが俺の誘いを断るようになったんだ。急にだぞ。何でだと思う」

「公爵令嬢達の誘いは常に断る殿下と同じ気持ちじゃないでしょうか」

「興味無くなったということか……」

「殿下の場合は元々興味ないですけどね」


 王族の下には四大公爵と呼ばれる名家が繋がり、さらに侯爵家も存在する。

 三年ぶりに帰ってきた次期国王へお誘いが発生するのは当然のこと。


「他に好きな人でも出来たんじゃないでしょうか。フォンクレスト侯爵家は王国の重要度でいえば公爵と同等レベルです。ま、知らない人も多いと思いますが」


 王国内で一番他国と隣接する領地を持つフォンクレスト侯爵領は非常に重要な地域であった。だからこそ王家も便宜を図り、令嬢を第二王子と婚約者候補としたのだ。

 なのに令嬢に対して余りに失礼なことをしたためその関係も揺らぎ始めている。


「アレクシス殿下がまさかあそこまで考え無しとは……。優秀すぎて、殿下と後継者争いになるのも困りものですが足を引っ張られるのも困りものですね」

「だからこそセリアがアレクシスを支えて仲良くしてくれるなら俺は……。なのにあいつはセリアを」

「殿下はいつ頃からセリア嬢に想いを寄せるようになったんですか。幼馴染みではないんですよね」


 クリストファーとアレクシス、セリアは三歳の年齢差があった。

 優秀なクリストファーはすでに王になるための教育を受けており、三人で仲良く遊ぶということは無かった。

 もちろん家族包みの交流があったためクリス兄様と呼ばれていたわけだが。


「セリアが優秀で知性に優れていたのはアレクシスから聞いていた。思えば悔しそうな顔をしていたからセリアに対する妬みがあったのかもしれない」


 だがその時のクリストファーが後に婚約破棄まで発展するとは思っておらず、二人の仲を見守っていたのだ。そしてあの日が来た。


「クリスお兄様、お久しぶりです」

「……」

「クリスお兄様?」

「もしかしてセリアか」

「はい。アレクに会いに来たんですけど、お兄様にお会い出来て良かったです」


 優秀だが、所詮三歳下の小さな子供と思っていたが成長し、美しい令嬢へと変わっていたのだ。

 振る舞いも優雅で公爵貴族に引けを取らない。おまけに知識も豊富で領地の改革の一部はセリアが手を出していると言う話だ。

 クリストファーにとっては大きな衝撃だった。


「あの再会で俺はセリアのことを……」

「そこまで想っているのであればさっさと想いを伝えれば良いのでは」

「出来るわけないだろ。セリアはアレクのこと愛していた。そう割り切れるものでもないはずだ。今は王家に対する疑念を少しでも……」

「手遅れにならなければいいですね。ん?」


 側近は執務室の外に気配を覚え、扉を開ける。

 外にいた使用人から耳打ちをされ、そのままの足でクリストファーの元へ歩いた。


「殿下、フィアリス様が来られたようです。面会の約束をしてたんですね」

「誰だっけ。ああ、公爵令嬢か」

「次期国王とは思えない言葉ですね。セリア嬢以外にほんと興味ないんだから」

「忙しい……って言ったら面会約束をさせられたんだったか。面倒くさい」

「フィアリス様は公爵家の中でも一番の令嬢です。観念してお会いください」


 気の進まないクリストファーは立ち上がり、やる気のなさそうに執務室を出た。


 庭園のテーブルにつくと、フィアリスは優雅にカーテシーをしそれから腰を下ろした。仕草の一つひとつに公爵令嬢としての洗練が滲み、たしかに美しい所作ではあった。


「クリストファー殿下。御身が無事にご帰還されましたこと、改めて心よりお慶び申し上げますわ」

「ああ、感謝する」


 それから一言二言、戦地のことを尋ねられ、クリストファーは適当に切り上げた。深く話す気にもなれない。すでに王宮への報告は済んでいるし、目の前の令嬢が戦況を真剣に知りたがっているとも思えなかったからだ。

 案の定、話題はすぐに変わった。


「ところで先日、コルネリア侯爵夫人の主催されたお茶会に伺ったのですけれど」


 そこから延々とフィアリスは社交界の話を続けた。誰のドレスが今季の流行を捉えていて、誰の髪飾りが田舎臭くて、隣国から取り寄せた茶葉の風味がどうで、自分の侍女が選んできたリボンの色味が思ったより派手だったという話。


 新しく王都に開いた菓子店の評判、最近お気に入りの香水、夜会で出くわした他家の令嬢のドレスのほつれ。

 クリストファーは紅茶のカップを持ち上げ、口元へ運ぶ素振りで返事の手間を省いた。


(……長い)


 実に30分が過ぎた頃だろうか。それでもまだフィアリスの話は終わる気配がなかった。


「殿下、聞いておられますか?」

「ああ。コルネリア侯爵夫人の帽子が、前年より一段と派手だった、という話だな」

「まぁ、よく覚えていてくださって。やはり殿下は聡明でいらっしゃるわ」


 聞いてはいる。聞き流しているだけだ。三年の戦場で培った集中力をこんな場で使うことになるとはな、と内心で苦笑する。


(セリアならばこの時間に三件は陳情を捌けただろうな)


 頭の片隅に浮かんだその名をクリストファーは慌てて押し戻した。今は考えるべきではない。考えれば目の前の令嬢に対する評価がさらに下がるだけだ。


「そういえば」


 フィアリスがふと声音を変えた。世間話のついでにというふうを装いながら、その目には明らかな探りの色があった。


「殿下、ここ数日フォンクレスト侯爵令嬢を頻繁にお連れになっていらっしゃるとか」

「……それが何か問題あるのか」

「いえ、責めているわけではないんですの。ただ殿下ほどのお方があのような方にお気を遣われる必要はないのではないかと」

「あのようなとは」


 声がほんのわずかに低くなる。フィアリスはそれに気づかなかったらしい。

 むしろ機嫌よく扇を口元に当てて小さく笑った。


「だってあの方お可哀想ですもの。アレクシス殿下にあれほどぞんざいに扱われて、結局婚約破棄ですわよ? もう少し女性らしい愛嬌のある振る舞いをなさっていたらと思いません? 令嬢として何かが欠けていらっしゃるのですわ、きっと」

「……」


「殿下が三年ご不在の間、第二王子殿下のお仕事を肩代わりされていたとも伺いますけれど、それも結局は寵愛をつなぎ止めたかっただけでしょう? 淑女としてはあまり褒められたものではございませんわね。お茶会にも碌に顔を出さず、机にかじりついていらしたとか。わたくしには信じられませんわ」

「……」

「殿下の優しさにつけ込んで擦り寄っていらっしゃるのでしたら、わたくしから一度お話を」


 がしゃ、と小さく硬い音が立った。

 クリストファーがティーカップをソーサーに戻した音だった。少しだけ強く。


「フィアリス嬢」

「は、はい?」

「あなたは、セリアの何をご存知だ」

「……え」


「あの子が三年間、王都の何をどれだけ支えていたのか。あなたが愉しんできたそのお茶会の席の裏で彼女が代わりに処理していた陳情がどれほどあったか。机にかじりついていたと今あなたが嘲ったその時間に彼女が何を学び、何を諦め、何を引き受けていたのか。あなたはひとつでもご存知か」


「そ、それは……わたくしは公爵家の務めとして社交を」

「結構。社交はあなたの役目だろう。それを否定はしない」


 ただとクリストファーは続けた。


「自分が知らぬものを、知らぬまま侮るのはやめていただきたい。今あなたが軽んじた相手はこの王国の実務を支えてきた一人だ。少なくとも私は王太子としてこの三年の彼女の働きに何度も救われてきた」


 フィアリスの顔から見る間に血の気が引いていった。それでも公爵令嬢としての矜持か必死に表情を立て直そうとしているのが分かる。


「殿下、誤解でございます。わたくしはただ殿下の御身を案じて」

「誤解はしていない。むしろよく分かったとも。あなたという人が」


 クリストファーは静かに席を立った。


「悪いがこれ以上あなたと話していても、不愉快になるばかりだ。今日はお引き取り願おう」

「お待ちください、殿下! わたくしは」

「次にお会いする機会があるとすればあなたが他人を測る前にご自分を測ることを覚えてからということにしよう。ご機嫌よう、フィアリス嬢」


 返事は待たなかった。立ち上がりがてら一度だけ会釈をし、クリストファーは庭園に背を向けて長い廊下へと足を進めた。


「殿下……」

「言うな」

 

 控えていた側近が一拍遅れて追いつき、何か言いかけたのを振り向きもせずに遮る。

 よほど主の機嫌が悪いと察したのだろう、それきり側近は口を噤んだ。


(あれが次期王妃候補の筆頭か)


 笑ってしまいたかった。誰のおかげで王都が回ってきたと思っている。誰のおかげで弟が「優秀な第二王子」を名乗れていたと思っている。

 その当人を社交界の遠目だけで「何かが欠けている」と平然と言い切れる神経に本気で寒気がした。

 あんなものが王妃になれば派閥争いが激化し王国を揺るがす事態になるだろう。

 歩くたびに靴音が普段より荒い。それでも歩調は緩まなかった。


(セリアは……今日、王邸に来ていたな)


 王妃に婚約破棄のための謝罪に伺うと聞いていた。謝罪するのはセリアではないだろう。

 クリストファーが考えるほどに奥歯に力が入る。柱の影を曲がり回廊の角を抜け王族の住まう棟へと足が向く。

 思った以上に速度が出ていたのか廊下を行き交う使用人たちが慌てて壁際に寄った。

 そして次の角を曲がろうとしたその時だった。

 聞き覚えのある、弟の間延びした何ひとつ分かっていない声が廊下の先から届いた。


「ほら、王都の改善提案書。今期分も頼むぜ」


 それに重なる戸惑い切ったセリアの声。

 クリストファーは歩みを止め影でそのやりとりを聞く。


「前も言っただろうセリアを女と思ったことない。幼馴染みとして情はあったから王弟妃として扱うつもりだが本当に愛する女が現れたらそいつをすぐにでも側室にするつもりだ」


 最後の言葉にクリストファーの中で何かがぷつりと切れた。


「この馬鹿野郎っ!」


 クリストファーを拳を振り上げ、アレクシスを大きく殴り、吹き飛ばす。

 クリストファーは三歳下の弟を彼なりに溺愛していた。もう少ししっかりして欲しいと願っていたが、兄上と敬愛してくれることに悪い気はせず甘やかしてしまったのだ。

 その結果がこの悲劇なのであればクリストファーも迷わない。


「本当に情けない。ここまで愚図とは思わなかった! セリアを傷つけるだけじゃ飽き足らずまだ追い打ちをかけるか。ふざけるなよ!」

「あ、兄上?」


 痛みにアレクシスは頬を押さえるが敬愛する兄に殴られたことが信じられずにいた。


「セリアをなぜこうも思いやれない! おまえに足りないものを補ってくれるセリアをどうしてそう無碍にできる!」

「殿下……」


 クリストファーはアレクシスの首根っこ掴んだ。


「おまえの教育を徹底的にやり直す。改善がないなら父上に廃嫡を進言する」

「は、廃嫡! なんで」

「それだけのことをしてるんだよ! 王太子としておまえを政に携わることを認めない」


 敬愛する兄に怒られ、アレクシスは呆然としてしまっていた。

 仲の良い兄弟ゆえにクリストファーの怒りに震え固まってしまっていた。


「最後に一つ言わせろ」


 クリストファーは大声を上げる。


「セリアの幼馴染みには俺がなりたかった。俺だったら絶対にセリアを手放さない!」

「っ!」

「セリアっ!」


 その瞬間、セリアは走り去ってしまう。それに気付いたクリストファーはアレクシスを突き飛ばし、セリアの後を追った。


 ◇◇◇


 セリアはとっさに身を翻して駆け出していた。

 どうして走り出したのか、自分でもよく分からなかった。アレクシスへの怒りでもなければ悲しみでもない。

 ただ、あの場にこれ以上立っていられなかったのだ。クリストファーのあの真っ直ぐな声を背中で受け続けていたら自分の中で必死に押さえつけてきた何かが決壊してしまいそうだったから。


「セリアの幼馴染みには俺がなりたかった」


 クリストファーの言が頭の中で何度も反響していた。


 胸が痛い。アレクシスに裏切られた時の痛みとはまったく違う種類の痛みだった。次期国王の彼にそんな言葉を貰っていい立場ではないのに。修道院に行くと決めたのに。


 廊下を駆け、階段を下り、気がつくと王城の奥庭に飛び出していた。普段はあまり人の来ない王族が私的な散策のために整えた一角である。

 陽はもう深く傾いていた。


「セリア」


 背後の砂利を蹴る音がようやく追いついてきた。

 セリアの名を呼びそれからもう一段。さらにゆっくりと近づいてくる。

 セリアは振り向けなかった。今振り向いたら自分が何を言ってしまうのか自分でも分からなかったから。


「前に聞かれたことがあったな。王都を不在にした三年間。なぜ公爵令息ではなく王太子である俺が東部遠征の総司令になったか」


 クリストファーはセリアのすぐ側に寄った。


「その頃にはもう君に恋い焦がれていたんだ」

「っ!」

「賢く美しく成長するセリアにずっと惹かれていた。誕生日パーティにアレクと挨拶に来る君の姿に目が離せなくて……。正直羨ましかった。だがアレクと婚約する君を想っても良いことなんてない」


 だから東部遠征に行った。クリストファーはセリアへの恋心を消すためだけに戦争の場へ向かったのだ。

 セリアはその事実に驚きを隠せなかった。

 セリアの中でクリストファーとは理想の王太子で義理の兄として敬愛をしていたからだ。


「アレクと婚約破棄をしたことに浅ましいがチャンスだと思ってしまった。三年で消したはずのこの気持ちが再燃してしまったんだ。下心ばかりで兄弟揃って君を傷つけた。本当にすまない」


 クリストファーを大きく頭を下げる。王太子たるもの下げるべきではないが、セリアはまだ振り返ることができなかった。

 だけどここまでの気持ちをぶつけられて反応しないわけにはいかない。

 セリアはばっと大きく振り返った。


「……殿下」

「セリア、泣いているのか」

「殿下に想って頂けているなんて思ってもみませんでした。殿下は優しいから、ただ慰めてるとばかり」


「……」

「でもそんな優しさが嬉しくて、殿下のことが好きになってしまったんです。十年以上もアレクを想い、尽くそうと願ったはずなのに……、殿下に優しくされたすぐ心変わりするんです。こんな私は修道院に行って」

「行かせないと言っただろう!」


 クリストファーの強い言葉がセリアの心を揺さぶる。

 そしてクリストファーはセリアの手を引っ張り、両肩を掴む。


「もう君のいない生活を送りたくない。俺の側にいてくれ……」

「一つだけ」


 セリアは恐る恐る言葉を出す。強く流れ、夢心地の気分となっていた。


「今まで……好きな人に愛されたことがないので、いっぱい愛してくれますか」



 そして2週間が経った。


「あの……で、殿下」

「殿下? なんだその呼び方は。悲しいな。まだセリアは自分の立場が分かっていないようだな」

「分かりました! クリス様」

「ふふふ」


 クリストファーは恥ずかしそうに言うセリアに満足しているのであった。


 正式な恋人同士となったクリストファーとセリアではあったが、クリストファーの動きがとにかく早かった。速攻国王、王妃に婚約の話を持っていき、婚約者としてしまった。セリアの生家であるフォンクレスト侯爵家にもすでに来訪済みであり外堀は完全に埋めてしまっている。


 そして今、クリストファーの執務室でセリアはクリストファーの膝の上にいたのだ。


「よくこの状態で仕事ができますね」

「今までに無いくらい仕事が進んでいる。これからずっとこの状態で仕事しよう」

「恥ずかしすぎますよ!」


 セリアは恥ずかしさで顔を真っ赤にしてしまう。

 まさかここまで溺愛されるとは思っておらず、クリストファーの愛情が予想以上に重いことに今更になって気付く。


「アレク……ごほん、アレクシス殿下は昨日旅だったのですね」

「ああ、一兵卒と同等の扱いで遠征任務に送った。王子だからといって甘やかさない奴らに預けてきた。成長しなければそのまま一兵卒で生涯を終えればいいだろう」


 あれだけ仲の良かったはずの兄弟だったがクリストファーにとってセリアを二度傷つけることは逆鱗に触れたといっていい。アレクシスは相当抵抗をしたらしいが、クリストファーは一切許さなかった。

 王子として立場を理解していなかったのも理由の一つだという。


「……」

「どうした? まだ愛が足りないか? 会えなかった3年分の愛情がこれぐらいだとは思わないことだ」

「クリス様! 人が変わってませんか」

「帰ってきてから君のことしか考えていなかったからな。その君が側にいるんだ。こんなに嬉しいことはない」

「~~~~~~!」


 セリアは恥ずかしさが頂点に達し、顔を手で覆ってしまう。

 クリストファーは嬉しそうにセリアの額にキスをした。


(クリス様の愛が過ぎすぎる……。私、どうなってしまうのかしら。でも)


「クリス様、私……すごく幸せです」

「……」

「クリス様、あの……目が怖いです。なんでそんなに……ちょ、ちょっと! どこに連れていくんですか きゃーー!」


 今日もこれからも精一杯溺愛されていく。

クリスはもう絶対にセリアを逃さないでしょう。

あの手この手を使って外堀を埋めていくのです。


本作は昔自分が投稿した短編

「弟の幼馴染が俺のアパートの前で泣いていた」


の異世界恋愛バージョンを意識して書きました。シチュエーション、展開などに見覚えがあったら嬉しいです。


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