第3話 廃墟の雨
雨は激しさを増し、まるで世界が泣いているかのように降り続いていた。
Rei Phantom——星野零は、Newbie Ruinsの奥深く、半壊したコンクリートビルの陰に身を潜めていた。
銀髪がびしょ濡れになり、重く頰や首筋に張り付いている。冷たい雨水がタクティカルスーツの隙間から染み込み、肌を刺すような冷たさが仮想の神経を震わせる。湿った土とコンクリートの匂い、硝煙の残り香が混じった空気が肺に重く入り込む。
左肩と腕に残る被弾の痛みが、まだじんじんと疼いていた。HPは回復アイテムで90%近くまで戻っていたが、身体の芯に残る疲労感は本物のように重い。
零はゆっくりと息を整え、両手に握った武器を見つめた。
H&K USP「Phantom Edge」。
これは、ドイツの老舗銃器メーカーHeckler & Kochが開発したコンパクトな自動拳銃を、PBOが高度に再現したものだ。口径9mm×19mmパラベラム弾を使用し、標準マガジン容量は15発。ゲーム内では弾数無制限に調整されているが、反動やリコイルの挙動は現実のUSPに極めて忠実だ。
特徴は、取り付けられた長めのサイレンサー。発射音を大幅に抑え、雨音や環境音に紛れやすくしている。グリップは人間工学に基づいたエルゴノミックデザインで、手の小さな零でもしっかりとホールドできる。トリガープルは軽めで、素早い連射が可能。スライドストップやマガジンリリースも現実のUSPとほぼ同じ位置に配置され、零の射撃部時代の筋記憶がスムーズに反映される。
もう一挺も同じモデル。二挺を同時に扱う二刀流スタイルは、零のオリジナル。接近戦で圧倒的な火力を発揮するが、9mm弾の貫通力は限定的で、厚い装甲や遠距離では不利になる。
零は雨の中でゆっくりとスライドを引いて薬室を確認した。金属の冷たい感触と、雨粒が銃身を伝う様子が、視覚と触覚を同時に刺激する。
——この銃で、戦う。
現実ではもう握れなかった武器が、ここでは手のひらに確かな重みとして存在している。
そのとき、遠くから複数の足音が聞こえてきた。
六人——いや、七人以上。雨音に混じって、重いブーツの音と、武器を構える金属音が近づいてくる。
零の義眼が、再び熱を持った。赤い十字が淡く輝き、視界がわずかにスローモーションになる。
0.3秒。
世界が遅れる。
零は息を殺したまま、崩れた壁の角から敵の配置を「視た」。
リーダー格がショットガン、残りがサブマシンガンとアサルトライフル。連携を取ったPK集団だ。雨に濡れた装備が体に張り付き、表情は獰猛で貪欲。
「Phantomがまだこのエリアにいるはずだ! 新人ランキング1位の銀髪女を仕留めれば報酬がデカいぞ!」
リーダーの声が雨音に混じって響く。
零は低く身を沈め、光学迷彩を発動した。
【ファントム・スキル:光学迷彩 発動】
銀髪の体が、雨と廃墟の影に溶け込むように透明化する。輪郭がぼやけ、周囲のコンクリートや雨粒と完全に同化する。効果時間は15秒。雨音が足音を完全に掻き消してくれる。
零は迷彩を活かし、低くダッシュしながら敵の側面へ回り込んだ。雨水が顔を叩き、息が荒くなる。銀髪が濡れて重く、視界をわずかに邪魔する。
効果が切れる直前、彼女は二挺のUSP「Phantom Edge」を構え、至近距離から猛烈な連射を開始した。
パン! パン! パン! パン! パン! パン!
サイレンサーの小さな銃声が雨音に紛れる。9mm弾が雨粒を弾き飛ばしながら、敵の胸部と頭部を正確に貫く。体が次々と後ろに吹き飛び、水溜まりに倒れ込む。血のような赤いエフェクトが雨に混じって広がる。
三人を瞬時に撃破。
残りの敵が動揺し、一斉に火を噴いた。
タタタタタタッ! ドンッ!
サブマシンガンの連射とショットガンの爆音が雨を圧倒する。弾丸が零の周囲を蜂の巣にし、コンクリート片が飛び散る。跳弾が耳元を鋭くかすめ、仮想の痛みが頰と肩を焼く。
零のHPが急激に減少していく。
——痛い。
この痛みさえ、今は心地いい。現実では感じられなかった「戦っている」実感。
零は歯を食いしばり、ガードレールを蹴って高く跳躍した。銀髪が雨を切り裂き、空中で体を翻す。
着地と同時に、二挺のUSPを構え直し、残りの敵に猛攻を浴びせた。
パン! パン! パン! パン! パン! パン! パン!
二刀流の高速連射。USPの軽いトリガープルが、零の指の動きに素早く反応する。反動が両手に心地よく跳ね返り、9mm弾が雨の中で正確に敵を捉える。
敵の叫び声が響く。
「消えたと思ったらすぐに出てくる! 化け物か!」
零は無言で距離を詰め、至近距離でさらに連射を続けた。
雨が激しく降り、跳弾がアスファルトを跳ね、硝煙の臭いが雨に混じる。
戦いは長く続き、零の息がどんどん荒くなっていく。
六人全員を撃破した後、零は膝をつき、荒い息を繰り返した。
両手のUSPが熱を帯び、指が痺れている。銀髪から滴る雨水が目に入り、視界をぼやけさせる。左目に浮かぶ赤い十字が激しく明滅している。
しかし、戦いはまだ終わらない。
さらに大規模な敵集団——十人以上——が、零の位置を察知して集まってきていた。
零はゆっくりと立ち上がり、二挺のUSPを構え直した。
義眼の十字が、再び赤く輝く。
0.3秒の先読みが、敵の配置を頭の中に鮮明に描き出す。
彼女は低く身を沈め、廃墟の路地を疾走した。
雨音がすべてを飲み込む中、銀髪の少女は再び戦場へと身を投じた。
パン! パン! パン! パン!
二刀流の連射が雨を切り裂く。
敵の叫び声が響く。
「Phantomだ! 囲め!」
零の心が、静かに燃え上がる。
孤独でもいい。
一人でも、撃ち続けられる。
この仮想の世界で、私は「Rei Phantom」として生きる。
銀髪が風を切り、雨の残り香を纏いながら、零は敵の群れの中に飛び込んでいった。
二挺の銃が、再び火を噴く。
雨が激しく降り、跳弾がアスファルトを跳ね、硝煙が雨に混じる。
零は戦いながら、現実の記憶を何度もフラッシュバックさせた。
事故の瞬間。血の匂い。右目の痛み。仲間たちの叫び。
ここでは違う。
ここでは、撃てる。勝てる。生きられる。
しかし、戦いが長引くにつれ、義眼の疼きが強くなってきた。
赤い十字の明滅が速くなり、視界の端がわずかに歪む。
0.3秒の先読みが、時折0.5秒近くまで伸びるような感覚。
零は歯を食いしばった。
——これは、何?
現実と仮想の境界が、ほんの少しだけ揺らぎ始めているような気がした。
雨はまだ止まない。
銀髪の幽霊は、廃墟の中でさらに深く、覚醒の淵に足を踏み入れていた。
(第3話 終わり)




