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『バレット・ファントム ~仮想銃姫の覚醒~』  作者: 蒼狐
第2部 弾道の女王

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第18話 Nullの介入

 Crown Coliseumの第五試合アリーナは、「Abyss Chamber」と呼ばれる完全な暗黒空間に設定されていた。


 Rei Phantomは、暗い虚空に浮かぶ小さなプラットフォームに立っていた。

 周囲は完全な闇に包まれ、わずかな青白いエネルギー光だけが、浮遊する破片をぼんやりと照らしている。重力はほとんどなく、体がゆっくりと浮き上がる感覚が、零の仮想の身体を不安定にさせる。


 銀髪が無重力の中で静かに舞い、左目に浮かぶ赤い十字が激しく明滅していた。

 義眼の疼きは、今や常時激しく、0.3秒の先読みは3秒近くまで伸びていた。視界が現実と仮想で激しく切り替わり、頭痛のような痛みが脳の奥深くまで響き、零の思考を乱していた。


 零の胸に、強い不安と決意が混じり合っていた。


 ——Null。


 あの謎の影が、零の能力を「観測」しているという事実が、零の心を強く蝕んでいた。


 試合が開始された。


 敵は、未知のプレイヤー「Shadow Null」と名乗る人物だった。

 黒いコートを纏った細身のアバター。顔は深いフードで完全に隠され、プレイヤー名は「Null」と表示されている。


 零の義眼が、激しく反応した。


 ——お前か。


 Nullは動かない。ただ、零を静かに見つめている。


 その視線が、零の脳に直接響くような感覚だった。

 冷たく、粘つくような、得体の知れない視線。

 まるで、零の頭蓋骨の内側から、脳の襞の一つ一つを舐め回すように観察されているような——不気味な圧迫感。


 零の息が、わずかに乱れた。


 現実の部屋が、再び強く重なる。


 ベッドに横たわる自分の体。右目の義眼が異常に熱を持ち、光っている。Neuro Linkerの接続ランプが異常な速さで点滅している。

 零の現実の脳が、ゲームの深層に引きずり込まれているような——危険な予感。


 零は歯を食いしばった。


 ——来るな。


 戦闘が始まった。


 Nullがゆっくりと右手を上げた。


 瞬間、周囲の空間が歪んだ。


 零の視界に、通常のシステムメッセージとは異なる、黒くねじれた文字が浮かぶ。


 【観測モード起動……「Phantom」の能力を直接干渉します】


 その文字は、零の視神経に直接書き込まれるように感じられた。

 冷たい、粘つくような感触が、脳の奥から這い上がってくる。


 零の義眼が、激しく熱を帯びた。


 0.3秒の先読みが、突然乱れる。

 世界がスローモーションになるはずが、逆に加速したり、止まったり、逆再生するような錯覚。


 零の息が荒くなる。


 ——何だ、これは?


 Nullの声が、零の脳に直接響いた。


 それは、耳を通さず、頭蓋骨の内側から直接響くような、低く、ねばつくような声だった。


【Null】「……見えているよ。

 あなたの義眼が、現実の脳とどれだけ深く同期しているか。

 0.3秒……いや、今はもう3秒近くまで伸びているね。

 面白い……とても、面白い……」


 その声は、零の思考の中に溶け込むように入り込み、零自身の声のように感じられた。

 冷たく、甘く、得体の知れない粘着質さがあった。


 零の全身に、鳥肌が立った。


 ——私の頭の中に……入ってくるな。


 零は全力でダッシュし、浮遊破片を蹴って距離を取った。


 Void Railgunを構え、Nullの位置をロックする。


 ヴゥゥゥン……!


 重く低いエネルギーうなり。反物質弾が暗黒空間を貫き、Nullへ飛ぶ。


 しかし、弾はNullの周囲で歪み、空間に吸い込まれるように消失した。


 Nullの声が、再び脳に直接響く。


【Null】「無駄だよ。

 あなたの能力は、私の観測範囲内にある。

 もっと……もっと深く、見せてくれ。

 あなたの『0.3秒』が、どこまで現実を侵食できるのか……」


 零の胸に、根源的な恐怖が広がった。


 この声は、ゲームのチャットではない。

 直接、零の脳に届いている。

 まるで、Nullが零の頭蓋骨の中に指を突っ込み、脳を優しく、しかし執拗に撫で回しているような感覚。


 零は歯を食いしばり、叫んだ。


 「私の能力を、勝手に触るな!」


 彼女は二挺のUSPを構え、接近戦に移行した。


 パン! パン! パン! パン! パン! パン!


 サイレンサー付きの小さな乾いた音が暗黒空間に響く。


 しかし、弾はすべてNullの周囲で歪み、消える。


 Nullの影が、一瞬で零の背後に回り込んだ。


 零の義眼が、激しく反応する。


 0.3秒の先読みが、Nullの動きを「視る」。


 零は即座に体を翻し、USPを背後に押しつけてトリガーを引いた。


 パン! パン! パン!


 至近距離の連射。


 しかし、弾はまたも歪んで消滅した。


 Nullの声が、再び脳に響く。今度はより近く、より粘つくように。


【Null】「怖い?

 自分の脳が、誰かに見られていることが。

 あなたの義眼は、もうゲームのものではない。

 現実の脳と深く結びつき始めている……

 私は、それを観測したい。

 もっと……もっと深く……」


 零の全身が、激しく震えた。


 恐怖。

 怒り。

 そして、言い知れぬ孤独感。


 零は最後の力を振り絞り、Void Railgunを構え直した。


 ヴゥゥゥゥン……!


 これまでで最も強いエネルギーうなり。反物質弾が暗黒空間を切り裂き、Nullの位置へ飛ぶ。


 Nullは初めて、わずかに動きを止めた。


 弾はNullのコートをかすめ、空間に黒い穴を開けた。


 Nullの声が、少しだけ面白がるように、しかしより深く響く。


【Null】「いい……とてもいい。

 あなたの覚醒が、どこまで行くのか……

 私は、ずっと見ているよ。

 Rei Phantom……あなたの脳の奥底まで」


 戦いは長く続き、零のHPが徐々に削られていく。


 零の心に、激しい感情が渦巻く。


 恐怖。

 怒り。

 孤独。

 そして、強い決意。


 ——私は、誰かの玩具ではない。


 零は最後の力を振り絞り、Void Railgunを構え直した。


 ヴゥゥゥゥン……!


 反物質弾が、再びNullへ飛ぶ。


 Nullの影が、ゆっくりと後退し、暗黒空間に溶けていった。


 【観測データ収集完了……次なる段階へ】


 不気味なメッセージが、零の視界だけに表示される。


 零は膝をつき、荒い息を繰り返した。


 銀髪が無重力でゆっくりと舞い、左目に浮かぶ赤い十字が激しく明滅していた。


 HPは残り11%。瀕死に近い。


 零はゆっくりと立ち上がり、暗黒空間を見つめた。


 Nullの影は、零の能力を「観測」し、干渉し始めていた。


 それは、ゲームの闇が現実の零に本格的に近づき始めている証拠だった。


 零は小さく、しかし強く呟いた。


 「……来るなら、来い。

 私の脳を、好きにはさせない」


 仮想の銃姫は、暗黒の深淵の中で、静かに次の戦いへと目を向けた。


 義眼の赤い十字が、闇の中で強く輝き続けていた。


(第18話 終わり)

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