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『バレット・ファントム ~仮想銃姫の覚醒~』  作者: 蒼狐
第1部 新人狩り

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第10話 Nullの影

 Collapsed Highwayの雨は、まだ激しさを失っていなかった。


 Rei Phantom——星野零は、高架橋の残骸が折り重なる区間で、息を潜めていた。

 冷たい雨粒が銀髪を重く濡らし、額から頰、首筋へと滑り落ちる。唇に触れる雨水は無味だが、湿ったコンクリート、錆びた鉄、硝煙の残り香が混じった空気が肺の奥まで染み込み、息苦しさを増幅させる。タクティカルスーツの生地が体にべっとりと張り付き、雨水が隙間から染み込んで肌を冷やし、仮想の神経を震わせる。


 左目に浮かぶ義眼の赤い十字が、激しく明滅を繰り返していた。

 0.3秒の先読みが、世界をわずかにスローモーションに落とす。視界の端が歪み、現実の薄暗い自室——ベッドに横たわる自分の体、Neuro Linkerのヘッドギアが頭に食い込む圧迫感、埃をかぶった射撃部のユニフォーム——が、重なるようにちらつく。右目の義眼が、現実世界でも熱を持っているような疼きが、脳の奥深くまで響く。


 チーム「Storm Edge」との共闘が始まってから、数時間。

 「この区間だけ」という約束だったはずが、戦闘の激しさの中で自然と連携が深まっていた。Tankの巨大なシールドが前面を守り、Lilyの精密射撃が側面をカバー、Support二人が回復と援護を担う。零は後方と遠距離、そして接近戦の切り札として機能していた。


 しかし、零の胸の奥には常に棘のような違和感が刺さっていた。


 ——信じられるわけがない。


 雨音が絶え間なく響く中、零は崩れたガードレールの影に身を隠し、Void Railgunを構えた。スコープを覗くと、雨粒がレンズに当たり、視界をぼやけさせる。強風が横から吹き、弾道に微妙な影響を与える。湿度が高く、空気が重い。


 前方約1200メートルに、敵の集団が見えた。十人以上。重機関銃とスナイパーを組み合わせた連携部隊だ。


 零は深く息を吸い、ゆっくり吐きながら風速と湿度を計算した。現実の射撃部時代、雨の屋外レンジで培った感覚が、仮想の身体に鮮やかに蘇る。


 ヴゥゥゥン……!


 重く低い発射音。反物質弾が雨のヴェールを貫き、遠方の敵スナイパーを一瞬で蒸発させる。空間に黒い穴が開き、赤いエフェクトが雨に溶けて消える。


 Tankが低く唸った。


「すげえ……あの距離で即死か。Phantom、お前がいると心強いぜ」


 Lilyが微笑みながら援護射撃を加える。


「本当に。一瞬の幽霊って、伊達じゃないわね」


 零は無言で応じた。

 言葉は最小限。名前すらほとんど呼ばない。背中を預けるだけ——それが零のルールだった。


 しかし、戦いが続く中で、チームの連携は予想以上にスムーズだった。

 Tankの盾が堅い。Lilyの射撃が正確。Supportの回復が的確。

 彼らは零の背中をしっかりと守ってくれている。


 零の心に、微かな温かさと、それに反発する強い拒絶が同時に湧き上がる。


 ——嬉しい……?

 いや、違う。信じてはいけない。

 現実で信じた結果、失ったものは大きすぎた。


 事故の記憶が、再び鮮明に蘇る。


 病室の白い天井。雨の音が窓を叩く中、親友が謝罪の言葉を繰り返していた。零は無言で天井を見つめ、右目の義眼の疼きを感じていた。あのときの孤独と喪失感が、今も胸の奥に深く根を張っている。


 零は小さく息を吐いた。雨の冷たさが、肺いっぱいに染みる。


 戦闘が一段落した短い間、零は高架橋の影に腰を下ろした。雨が銀髪を伝い、冷たい滴が首筋を滑る。息がまだ荒く、心臓の鼓動が耳の奥で鳴り響く。


 Bladeが近くに寄り、雨を払いながら声をかけた。


「Phantom……お前、ソロ専門だって聞いたけど、意外と連携がいいな。義眼みたいな特殊能力持ってるのか?」


 零は冷たく答えた。


「……関係ない」


 しかし、内心では動揺していた。

 義眼の能力——0.3秒の先読み、光学迷彩のファントム・スキル——が、チームの目にも「異常」に映っているらしい。


 そのときだった。


 零の視界に、通常のシステムメッセージとは異なる、奇妙なウィンドウがポップアップした。


 【観測中……】


 文字は黒く、縁が歪んでいる。送信者名は表示されていない。


 零の義眼が激しく疼いた。赤い十字が明滅を極限まで速め、視界全体が一瞬、ノイズのようにざわつく。


 ——何だ、これは?


 零は即座にメニューを開き、ログを確認しようとした。


 しかし、通常のログとは異なる、不可解な記録が並んでいた。


 【プレイヤー「Rei Phantom」のファントム・スキル発動ログを解析中……】

 【義眼パラメータとの同期率:91.8%……異常値検出】

 【現実脳波干渉の可能性:中……監視継続】


 零の息が止まった。


 これは、運営のメッセージではない。

 ハックか? それとも——もっと危険な何か。


 雨の音が、突然遠く聞こえるようになった。心臓の鼓動が大きく、耳の中で反響する。銀髪から滴る冷たい雨水が、頰を伝う感触が妙に鮮明だ。


 チームのメンバーが気づいた。


「Phantom? どうした? 顔色が……」


 Lilyが心配そうに近づく。


 零はUSPを構え直し、周囲を警戒した。


 その瞬間、遠くの高架橋の上層から、異様な気配がした。


 影のような人影。

 黒いコートを纏った細身のアバター。顔はフードで隠れ、プレイヤー名は表示されない。

 ただ、視界に一瞬だけ浮かんだ文字列。


 【Null】


 謎の黒幕——Null。


 零の義眼が、0.3秒の先読みを超えて反応した。

 世界が極端にスローモーションになり、Nullのわずかな指の動き、風の流れ、雨粒の一つ一つまでが鮮明に「視える」。


 Nullは動かない。ただ、零の方を「観察」している。


 その視線が、零の脳に直接響くような感覚。


 現実の部屋が、再び強く重なる。


 ベッドの上に横たわる自分の体。右目の義眼が異常に熱を持ち、光っている。Neuro Linkerの接続ランプが異常な速さで点滅している。

 零の現実の脳が、ゲームの深層に引きずり込まれているような——危険な予感。


 零は低く呟いた。


「……誰だ、お前」


 Nullは答えず、ゆっくりと手を上げた。


 瞬間、零の周囲のシステムが一瞬凍りついたような感覚。


 チームのメンバーが動揺する。


「何だ? システムエラーか?」

「Phantom、離れろ!」


 零は即座にVoid Railgunを構え、Nullの位置をロックした。


 ヴゥゥゥン……!


 反物質弾が雨を切り裂いて飛ぶ。


 しかし、弾はNullの目前で歪み、空間に吸い込まれるように消失した。


 Nullの影が、わずかに笑うような気配。


 【観測データ収集完了……「Phantom」の覚醒率、予想以上。】


 不気味なメッセージが、零の視界だけに表示される。


 零の義眼が激しく熱を帯び、頭痛のような痛みが脳を襲う。

 視界が激しくフラッシュし、現実と仮想の境界がぼやける。


 ——これは、バグじゃない。


 もっと深い何か。

 ゲームの外側から、零の義眼と脳を直接「観察」している存在。


 零の胸に、冷たい恐怖が広がった。


 これまで感じたことのない、根源的な不安。

 自分の能力が、誰かに「見られている」。

 自分の脳が、誰かに「触れられている」ような感覚。


 孤独だったはずの戦いが、突然、誰かの視線に晒されていることに気づいた瞬間だった。


 Nullの影は、ゆっくりと後退し、高架橋の闇に溶けていった。


 チームのメンバーが駆け寄る。


「Phantom! 大丈夫か?」


 零は膝をつきながらも、USPを構えたまま立ち上がった。


 銀髪が雨に打たれ、冷たい滴が頰を伝う。

 義眼の赤い十字が、激しく——そして不気味に——輝き続けている。


 Nullの影は、零の能力を「バグ」と疑い、ログをハック気味に監視していた。

 それは、ゲームの闇が現実の零に近づき始めている証拠だった。


 雨はまだ激しく降り続いていた。


 仮想の銃姫は、チームの影に守られながらも、謎の「Null」の影に包まれ始めていた。


 義眼の疼きは、ますます強くなり、現実と仮想の境界を静かに、しかし確実に崩壊させようとしていた。


(第10話 終わり)

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