第二話 港南理工大学とリミ研
港南理工大学は、坂の上にある。最寄り駅から商店街を抜け、住宅街のゆるやかな坂をのぼりきると、控えめな石の門柱が現れる。
その向こうに段差のあるキャンパスが広がり、上段に理工学部棟、中段に中央広場と学食、下段に文系棟と古い部室棟が並んでいる。
四月下旬、新入生歓迎期間の終盤。中央広場はまだ熱を帯びていた。軽音サークルのドラムが響き、ダンスの掛け声が重なり、油の匂いとスプレー塗料の匂いが風に混ざる。新入生たちは少し浮き足立った表情で、色とりどりのビラを抱えている。
その喧騒のなかで、ひときわ目立つピンク色が跳ねていた。
「新入生のみんなー! 旅行サークル・リミナル研究会、略してリミ研だよ!」
ピンクのウサギの着ぐるみが、両手いっぱいにビラを抱え、新入生の前にぬっと現れる。
リミナル研究会。4年前に創部されたサークルだ、部長の瀬川が発起者となるが、元々は旅行系のサークルで申請をしたが、乱立する同様のサークルとかぶるという事で、大学側からの許可が下りず、仕方なく、地域の伝承や不思議な話、事象を調査研究するという事で、ようやく認証された経緯がある。因みに、リミナルとは、境界・中間・敷居を意味するらしいが、瀬川は、特に考えなく名前を付けている。
「旅するだけじゃないよ! 地域の伝承や謎なんかも解くよ!」
「解いたことはありませんよ、まだ」
横から淡々とした声が入る。
ウサギの中身は瀬川恒一。理工学部情報工学科四年、二留。長く大学にいるせいで、キャンパスの空気の一部みたいな存在だ。
「瀬川先輩、酸欠状態の継続は効率的ではございません」
少し離れた場所から、早瀬凛が言う。
理工学部応用物理学科二年
成績優秀
理性的
一人称は「わたくし」
整った顔立ちと丁寧すぎる口調のせいで近寄りがたいが、サークル内ではなぜか“教授”と呼ばれている。
「教授が、声割れてるってよ。もっとウサギらしく可愛く話してください」
スマートフォンを構えながら川島翔太が笑う。
理工学部メディア情報学科二年。
撮影と編集が得意で、何でも“素材”として見る。
「うるせえ、これ中サウナだぞ!」
ウサギが耳をぶんぶん振る。
「いや、映えないウサギってどうなんですか」
「映えは気合いだ!」
ビラを渡しながら笑っているのが久慈美咲。文学部二年。
女子校出身で、誰から見ても可愛いのに本人に自覚はない。
男性に話しかけられると一瞬固まるが、なぜかモテる。
「瀬川先輩、耳曲がってます」
「うさ先輩の威厳が……」
美咲がそっと耳を直す。
「威厳あったことあったか?」翔太が笑う。
凛は広場全体を見渡していた。
「人の流れが三十分周期で変化しております」
「なに観察してんの」
「観測は基本です」
瀬川がウサギの頭を外しながら言う。
「だから教授って呼ばれんだよ」
「教授ではございません」凛は即座に否定する。「理論の提示はいたしますが、講義はしておりません」
「そこ細かい」
笑い声が広場の喧騒に溶ける。
夕方、熱気が少し引いたころ、四人は坂を下り、部室棟三階の端へ戻った。廊下は静かだ。さきほどまでの音が嘘のように遠い。部室のドアを開けると、紙と埃と機械油の匂いが混ざる。壁一面の地図、ホワイトボード、三脚、測定機材のケース、工具箱。冷蔵庫の中には誰のものかわからないペットボトル。
そしてソファの上に、力なく横たわるピンクの塊。
「うさ先輩、お疲れさま」
美咲が耳を整える。
「これほんとにバイト代の代わりなんですか」翔太が言う。
「未払いだったからな。回収した」
ウサギの中から、こもった声がした。
「勝手に?」
「論理的には等価交換だ」
「契約上は問題がある可能性がございます」凛が静かに補足する。
「教授、そこは目つぶれ」
瀬川は着ぐるみの頭を脱ぎ捨て、ソファに倒れ込む。
「……生き返った」
天井を見上げながら言う。
「で、例の動画どうする」
美咲がスマホを差し出す。再生回数はさらに伸びている。
「四百二十万」
「ゴールデンウィークに真似するやつ出るよな」
「そうです。出没する前に行動するのが良いでしょう」凛が言う。言い切りの口調だ。「観測せずに判断するのは非合理的です」
「教授、行く気満々だな」
「わたくしは事実を確認したいだけです」
瀬川が起き上がる。
「四月二十九日、朝七時出発。第一次現地調査」
ホワイトボードに日付が書き込まれる。
「では、まず役割分担を決めよう」
「俺が運転する」
「撮影は、僕に任せて」
「わたくし、地図係を拝命させていただきたいと思います」
三人が止まる。
「……教授、それはやめとけ」
「なぜでしょう」
「箱根裏山事件」翔太がすぐに言う。
「方位的に合理的ですって左入って、そのまま沢に」
「地形が予想外でした」
「予想外じゃなくて迷子だ」
美咲が笑う。
「鎌倉でも、目的地を見事に外して二周したよね」
「円環構造の確認です」
「海まで行っただろ」
凛は少しだけ考え、「理論上は常に正しい方向を選択しております」と言った。
「現実が間違ってるってか」
「可能性としては否定できません」
三人が同時にため息をつく。だが、その空気は温かい。四人だから、成立している。
そのとき、うさ先輩がソファから、こてんと倒れた。
「縁起悪い」
「重心の問題です」
「言い方」
笑いが戻る。
凛のスマートウォッチが、かすかに震えた。凛は手首を見下ろす。表示はない。
「……誤作動でしょう」
それは、誰に向けた言葉でもなかった。




