造船所の男たち 第6話:灰色の船
作者のかつをです。
第十一章の第6話をお届けします。
今回は物語の最も暗く重い部分。
太平洋戦争下の造船所の過酷な現実を描きました。
ものづくりの喜びを奪われ、ただひたすら兵器を作り続ける男たちの絶望と苦悩を感じていただければ幸いです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
昭和十六年十二月八日。
日本は米英に宣戦を布告し、太平洋戦争の泥沼へと突き進んでいった。
糸崎の造船所も完全に軍需工場となった。
若い職人たちは次々と赤紙一枚で戦場へと駆り出され、現場には年老いた職人とまだ幼い少年工、そして女子挺身隊の女性たちだけが残された。
資材も食料も乏しい。
それでも彼らは歯を食いしばり、船を造り続けた。
いや、もはやそれは船と呼べる代物ではなかった。
美しさも快適さも全て削ぎ落とされ、ただ兵隊と物資を前線へと運ぶためだけの粗末な鉄の箱。
翔太は設計部長として、そんな粗製濫造の輸送船の設計を強いられた。
彼の理想とはかけ離れた、ただ沈むためだけに造られるような悲しい船。
図面を引く彼の手は、鉛のように重かった。
源田は工場長として素人同然の工員たちをまとめ、叱咤しながらその灰色の船を造り続けた。
彼の口数はますます少なくなり、酒の量が増えていった。
そして彼らが最も恐れていた知らせが、次々と舞い込んでくるようになった。
「……『海燕』、ソロモン沖にて敵潜水艦の魚雷攻撃を受け、沈没……」
「海燕」はかつて翔太と源田が初めてコンビを組んで、世に送り出したあの傑作船だった。
徴用され海軍の輸送船として使われていたのだ。
その知らせを聞いた時、翔太は何も考えられなかった。
源田はただ一言「そうか」と呟くと、黙って仕事場を出ていった。
その背中は十歳は老け込んだように、小さく見えた。
自分たちの手で生み出した我が子のような船が、海の底へと消えていく。
そしてその船と運命を共にした、多くの名もなき船員たち。
自分たちは一体何のために船を造っているのか。
その根源的な問いが、重く彼らにのしかかった。
空襲のサイレンが頻繁に鳴り響くようになった。
造船所もいつ敵の標的となってもおかしくない。
死の影がすぐそこまで迫っていた。
それでも彼らは船を造り続けた。
もはやそれは誇りのためではない。
ただそうするしか生きる術がなかったからだ。
煙と鉄の交響曲はもはや聞こえない。
ただ断末魔の不協和音が、敗戦の色濃い日本の空に虚しく響き渡るだけだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
戦時中、日本の商船の多くが軍に徴用され、そのほとんどが敵の攻撃によって海の底へと沈んでいきました。
それは船を造った技術者たちにとって、我が子を失うのと同じ辛さだったに違いありません。
さて、絶望的な状況の中、物語はいよいよ終戦へと向かいます。
彼らが守り抜いたものとは何だったのでしょうか。
次回、「最後の進水式」。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。




