山陽本線開通と鉄道工夫の汗 第6話:事故
作者のかつをです。
第十章の第6話をお届けします。
今回は物語の最も悲しい場面です。
明治の近代化の裏側にあった労働者の犠牲という重いテーマを、目を逸らさずに描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
それは冷たい雨が降りしきる日のことだった。
その日の作業は山を切り開いた崖の下で、最後の土砂を運び出すという危険な仕事だった。
長雨で地盤が緩んでいる。
誰もが嫌な予感を感じていた。
「頭! 今日はやめときやしょう! 山が泣いてる!」
古参の源さんが珍しく頭に食ってかかった。
「うるせえ! 工期が遅れてんだ! 雨くらいで休んでられるか! 文句がある奴は飯抜きだ!」
頭は聞く耳を持たなかった。
男たちは皆恐怖を押し殺し、黙々と作業を始めた。
吾一も源さんと二人一組になり、モッコで土砂を担いでいた。
その時だった。
ゴゴゴゴゴッ……
山全体が唸りを上げるような不気味な地響き。
次の瞬間、吾一は視界の端で崖の上の巨大な岩が、ゆっくりとこちらへ傾いてくるのを見た。
「……危ねえ!」
源さんが絶叫し、吾一の身体を突き飛ばした。
それが吾一が見た最後の光景だった。
耳をつんざくような轟音と衝撃。
吾一は数メートル吹き飛ばされ、泥の中に顔を突っ伏した。
どれくらいの時間が経ったのか。
意識を取り戻した吾一が目にしたのは、地獄のような光景だった。
先ほどまで作業をしていた場所は、巨大な岩と土砂に完全に飲み込まれていた。
呻き声、叫び声、そして助けを求める声。
「……源さん!」
吾一は夢中で叫んだ。
そして泥と岩の中に、見覚えのある手ぬぐいが挟まっているのを見つけた。
「源さん! しっかりしろ!」
吾一は他の人夫たちと一緒に、必死で岩をどかそうとした。
だが岩はびくともしない。
岩の下から、か細い声が聞こえた。
「……ごいち……か。……無事か……坊主……」
「源さん! 今助けてやるからな!」
「……もういい。……わしはもう助からん。……それより坊主……わしの夢……頼めるか……」
源さんの声は、どんどん小さくなっていく。
「……一番汽車で……江戸へ……。わしの代わりに……達者で、な……」
それが最後に聞こえた言葉だった。
岩の下から伸びていた源さんの手が、だらりと力を失った。
「源さーーーーん!」
吾一の絶叫が雨音にかき消されて、空しく響き渡った。
その日の事故で十数人の人夫が命を落とした。
しかしそのことは表沙汰にはならなかった。
頭は「自分の不注意で死んだだけだ」と言い放ち、遺族にわずかばかりの見舞金を渡しただけで全てを闇に葬り去った。
近代化の礎の下には、こうして名もなき人々の無数の死が埋もれていた。
吾一はただ呆然と立ち尽くしていた。
優しかった源さんの笑顔。交わしたささやかな約束。
その全てが、土砂と共に無残に奪い去られた。
彼はこの時初めて知ったのだ。
自分たちが作っているこの鉄の路は夢や希望だけでなく、多くの人間の命と悲しみを喰らって伸びていく非情な鉄の龍なのだということを。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
記録には残らないまでも鉄道建設の現場では、こうした痛ましい事故が数えきれないほど起きていたことでしょう。
日本の近代化はこうした名もなき人々の尊い犠牲の上に成り立っていることを、忘れてはならないのかもしれません。
さて、親友を失い深い絶望と怒りに沈む吾一。
しかし鉄路は非情にも、完成の日を迎えます。
次回、「最初の汽笛」。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。




