山陽本線開通と鉄道工夫の汗 第3話:故郷を壊す槌音
作者のかつをです。
第十章の第3話をお届けします。
今回は過酷な労働の中で主人公・吾一が一人のベテラン工夫と出会い、ささやかな絆を育んでいくエピソードです。
絶望の淵に差し込む一条の光を描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
吾一たちの仕事はひたすら土を掘り、運び、そして固めることだった。
ツルハシとモッコだけを頼りに、人力で山を切り崩し谷を埋めていく。
来る日も来る日も同じ作業の繰り返し。
吾一の手は豆が潰れ、血で真っ赤に染まっていた。
工事の道筋は容赦なく、彼が生まれ育った故郷の景色を変えていった。
子供の頃、魚を捕って遊んだ小川は埋め立てられ。
村の鎮守の森は無残に切り払われた。
カン、カン、カンという槌音は、まるで故郷の思い出が一つずつ壊されていく音のようにも聞こえた。
何のために働いているのか。
吾一は分からなくなっていた。
家族を養うため。その一心でこの地獄に飛び込んだはずだった。
しかしその代償として失っているものは、あまりにも大きすぎるのではないか。
そんなある日の昼休み。
疲れ果て岩陰で一人うずくまっていると、不意に声をかけられた。
「……辛気臭い顔をしとるな、坊主」
見ると年の頃は四十がらみの古参の人夫だった。
名を源さんという。
この飯場の中では珍しく誰に対してもぶっきらぼうだが、決して理不尽な暴力を振るうことのない男だった。
「……あんたには関係ねえ」
吾一が吐き捨てるように言うと、源さんはふんと鼻で笑った。
「まあそういきり立つな。……わしも、お前さんくらいの歳の頃、同じような顔をしとったわい」
源さんはぽつりぽつりと自分の身の上を語り始めた。
彼は元は江戸の幕府に仕える下級武士の家の生まれだったという。
だが明治の世になり、武士の時代は終わった。
刀を捨て慣れない商売に手を出したが上手くいくはずもなく、全てを失いこの工事現場に流れ着いたのだ、と。
「わしらは皆、時代の流れに乗り損ねた半端者よ。……だがな坊主、ただ腐っていても腹は膨れん」
源さんは遠い目で、建設中の鉄路を見つめた。
「……わしは見てみたいのだ。このわしらの血と汗でできた鉄の路の上を、あの鉄の馬が走る姿をな。……そいつがどんな新しい世の中を連れてきてくれるのか。それを見届けるまでは、死んでも死にきれんわい」
その瞳には諦めとは違う、静かな闘志の光が宿っていた。
吾一は何も言い返せなかった。
この人も自分と同じように、いやそれ以上に多くのものを失い絶望を味わってきたのだ。
それでも前を向こうとしている。
「……よしな、坊主。いつかあの鉄の路ができたなら。わしが一番汽車で江戸……いや東京見物に連れてってやる。それまでの辛抱だ」
源さんはそう言うと吾一の頭を、無骨な手でぐしゃぐしゃと撫でた。
その不器用な優しさに、吾一の乾ききっていた心の奥から熱い何かがこみ上げてくるのを感じていた。
この地獄のような場所にも人間はいる。
その当たり前の事実に、彼は少しだけ救われた気がした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
明治維新は多くの武士たちから仕事を奪いました。
彼らの多くは「士族の商法」と揶揄されるように慣れない商売で失敗し、没落していったと言われています。
源さんのような人物も、決して少なくはなかったでしょう。
さて、ささやかな希望を見出した吾一。
しかし彼らの前には、この工事最大の難所が待ち受けていました。
次回、「鉄の龍」。
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