山陽本線開通と鉄道工夫の汗 第2話:タコ部屋の掟
作者のかつをです。
第十章の第2話をお届けします。
今回は主人公・吾一が鉄道工事の過酷な労働現場へと足を踏み入れます。
明治の近代化の裏面史ともいえる「タコ部屋労働」の厳しい現実を描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
測量が終わると、すぐに鉄道の敷設工事が始まった。
吾一の家の畑は、お上から支払われたわずかばかりの金と引き換えに取り上げられた。
小作農だった一家にとってそれは、生活の糧を失うことを意味していた。
父は気力をなくし酒に溺れる日が多くなった。母は黙ってため息をつくばかり。
このままでは一家は路頭に迷ってしまう。
「俺が働く」
ある夜、吾一は意を決して父に告げた。
「どこでだ」
「鉄道工事の人夫を集めている。日銭が良いと聞いた」
父は何も言わなかった。反対する気力もなかったのだろう。
だがその目が「お前に何ができる」と語っているのを、吾一は感じていた。
翌日、吾一は村はずれに建てられた人夫募集の飯場へと向かった。
そこには吾一と同じように仕事を求めて、全国各地から流れてきた様々な男たちが集まっていた。
皆一様に荒くれ者といった風体で、まだ少年の面影が残る吾一は気後れするのを禁じ得なかった。
「おう、坊主。お前もここで働きてえのか」
帳場で人夫たちを束ねる「頭」と呼ばれる人相の悪い大男が、値踏みするように吾一を見た。
「はい! 体力には自信があります!」
吾一が必死に声を張り上げると、男はにやりと笑った。
「いいだろう。だがな、ここの仕事はきついぞ。一度入ったら工事が終わるまで抜け出すことはできねえ。逃げ出そうなんざ考えたらどうなるか、わかってるな」
男の目が鋭く光る。
飯場の中は薄暗くじめじめとしていた。数十人の男たちが雑魚寝をするための板の間があるだけ。
それは世間で「タコ部屋」と呼ばれる、過酷な労働環境の入り口だった。
入る者は蛸壺に入った蛸のように、二度と出られない。だからタコ部屋。
その日から吾一の地獄のような日々が始まった。
夜明け前に叩き起こされ、夜星が出るまでひたすら肉体労働が続く。
食事は麦飯と申し訳程度の漬物だけ。
仕事の対価である日銭も、飯代や寝床代といった名目でほとんどが天引きされてしまう。
そして何より厳しかったのは、頭や古参の人夫たちによる絶対的な支配だった。
少しでも逆らえば容赦ない暴力が飛んでくる。
ここは法律も人情も通用しない、弱肉強食の世界。
「おら、ぼうず! 手が止まってるぞ!」
今日も頭の怒声が飛ぶ。
吾一は唇を噛みしめ、重いツルハシをただ無心に固い地面へと振り下ろした。
悔し涙が汗と共に土に吸い込まれていく。
豊かな村を作るためじゃなかったのか。
日本の夜明けのためじゃなかったのか。
聞こえのいい言葉の裏側で現実に行われているのは、ただ人間を人間とも思わぬ使い潰すだけの労働だった。
吾一は文明開化という華やかな光の、その下に広がる深い深い闇の存在をその身をもって知ることになった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
明治時代の大規模な土木工事は、こうしたタコ部屋労働に代表されるような多くの労働者の犠牲の上に成り立っていました。
彼らはまさに、日本の近代化の人柱となった人々だったのです。
さて、地獄のような日々の中で希望を失いかける吾一。
しかし彼はそんな絶望の中で、一つの出会いを果たします。
次回、「故郷を壊す槌音」。
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