朝鮮通信使と港町の歓迎 第5話:海の向こうの国(終)
作者のかつをです。
第八章の最終話です。
一人の少年の人生を変えた異国との出会い。
その記憶がいかにして語り継がれ、現代の私たちに繋がっているのか。
この物語のテーマである「過去と現代の繋がり」を、改めて感じていただけたら幸いです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
夜が明け、別れの朝が来た。
数日前の喧騒が嘘のように、港は静かな感動と名残惜しさに包まれていた。
朝鮮通信使の一行が、再びあの極彩色の船へと乗り込んでいく。
港には安芸藩の武士たちだけでなく、多くの町人や漁師たちが見送りに集まっていた。
太一もその人垣の中にいた。
やがて全ての乗船が終わり、船と陸を繋いでいた太い綱が解かれる。
ゆっくりと船が岸壁を離れていく。
その時、誰からともなく別れを惜しむ声が上がった。
「ありがとうごぜえやした!」
「道中、ご無事で!」
すると船の甲板にずらりと並んだ通信使たちも、陸の人々に向かって深々と頭を下げた。
言葉は通じない。
だがその光景だけで、互いの感謝と敬意の気持ちは十二分に伝わってきた。
太一は船の上に朴の姿を見つけた。
朴も太一に気づき、小さく手を振っている。
太一も夢中で手を振り返した。
船団はゆっくりと港を出て、朝日が昇る東の江戸の方角へと帆を上げた。
人々はその姿が水平線の向こうに豆粒のように小さくなって、見えなくなるまでいつまでもいつまでも手を振り続けていた。
……それから長い年月が流れた。
太一はその後、網元の親方の跡を継ぎ、三原の漁師たちを束ねる立派な網元となった。
彼が若い頃に夢見たように海を渡り、朝鮮の地を訪れることができたのかどうか。
それは定かではない。
だが彼の家には生涯、一枚の古い水墨画が大切に大切に飾られていたという。
筆影山から望む、多島美の絵。
彼は自分の子供や孫たちに、繰り返し語って聞かせた。
自分がまだほんの小僧だった頃。
この三原の港に遠い異国から、素晴らしい人々がやってきた日のことを。
言葉や暮らしは違えども、海を超えれば同じ心を持つ友がいるのだということを。
その物語は太一の一家だけでなく、この港町に生きる人々の心にささやかな、しかし確かな誇りとして受け継がれていった。
◇
……現代。筆影山。
山頂の展望台から眼下に広がる多島美の絶景を、一人の若者がカメラに収めていた。
その隣では外国からの観光客と思われる家族連れが、同じように景色を眺め感嘆の声を上げている。
この当たり前のように人々が国境を超えて行き交う平和な風景。
その遥かな原点には、鎖国という閉ざされた時代の中で、それでも互いを理解しようと努め、ささやかな心の交流を紡いだ名もなき人々の誠実な想いが眠っている。
そのことを思うと、島々の間を吹き抜けていく潮風が、いつもより少しだけ優しく、そして誇らしく感じられるのだった。
(第八章:筆影山から見た異国の船 ~朝鮮通信使と港町の歓迎~ 了)
第八章「筆影山から見た異国の船」を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
朝鮮通信使は平和な時代の文化交流の象徴でした。
その歴史は私たちに、互いを尊重し理解し合うことの大切さを教えてくれているような気がします。
さて、平和な江戸の世の賑わいの物語が続きました。
次回は、この三原の地に今も続くユニークな祭りの始まりの物語に光を当てます。
次回から、新章が始まります。
第九章:福の神はダルマに乗って ~三原神明市、始まりの物語~
「日本一のだるま市」として知られる三原神明市。
そのユニークな祭りがどのようにして始まったのか。
人々の「七転び八起き」の願いをだるまに込めた、初代だるま職人の奮闘記です。
引き続き、この壮大な郷土史の旅にお付き合いいただけると嬉しいです。
ブックマークや評価で応援していただけると、第九章の執筆も頑張れます!
それでは、また新たな物語でお会いしましょう。




