朝鮮通信使と港町の歓迎 第3話:言葉の通じない出会い
作者のかつをです。
第八章の第3話をお届けします。
今回は主人公・太一と朝鮮の文官との特別な出会いを描きました。
言葉が通じなくとも心は通じ合える。
「筆談」という手段を通して二人が絆を育んでいくエピソードです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
通信使が滞在して三日目の午後。
太一は網元の親方からお使いを頼まれた。
本陣に滞在している使節団のお偉いさんに、とびきり上等の鯛を届けてこいという。
「いいか太一、絶対に粗相をするなよ。これは安芸藩の面子に関わることなんだからな」
親方に何度も念を押され、太一は緊張でカチコチになりながら大きな活け鯛を入れた桶を抱え、本陣へと向かった。
本陣の門の前には屈強な安芸藩の武士たちがずらりと並び、厳しい警備を敷いている。
太一はおずおずと用件を告げた。
門番の武士は太一のみすぼらしい身なりを見て訝しげな顔をしたが、桶の中の見事な鯛を見ると中に取り次いでくれた。
通されたのは一番奥まった立派な座敷だった。
そこには一行の中でも特に身分が高いと思われる一人の文官が、静かに座り筆を走らせていた。
年は四十代半ばか。
顔立ちは穏やかだが、その瞳の奥には深い知性が宿っているのが見て取れた。
太一はどう挨拶していいか分からず、ただ黙って畳に額をこすりつけた。
文官は筆を置くと太一の方を見て、柔らかな母国語で何かを話しかけた。
もちろん太一には一言も分からない。
困り果てて顔を上げると文官は困ったように笑い、今度は筆を取り紙の上にさらさらと文字を書き始めた。
見せられた紙に書かれていたのは、見事な漢字だった。
『見事な鯛。礼を申す』
太一は驚いた。
漢字なら寺子屋で少しだけ習ったことがある。
完璧には読めなくても、意味はなんとなく分かった。
太一も震える手で懐から炭の燃えさしを取り出すと、その紙の余白に覚えたての拙い文字を書いた。
『三原の鯛は日本一』
それを見ると文官は声を上げて、楽しそうに笑った。
そしてまた筆を走らせる。
『そなたの名は』
『太一』
『良い名だ。わが名は朴』
言葉は通じない。
だが筆を通して、確かに心は通じ合っている。
その不思議な体験に、太一は夢中になっていた。
朴は自分が朝鮮の都・漢陽から来たこと、この旅の記録を書に残す役目を担っていることを教えてくれた。
太一も自分が港町で生まれ育ったこと、筆影山から見る景色が好きなことを伝えた。
やがて日が暮れ始め、別れの時が来た。
最後に朴は、こう書いた。
『太一。世界は広い。海を恐れるな。海の向こうにも、同じ心を持つ人がいることを忘れるな』
その言葉はまるで鑿で刻むように、太一の心の一番深い場所に刻み込まれた。
部屋を出る時、彼は涯忘れることのない光景を目にした。
朴が深々と自分に頭を下げている。
身分も国も違う、ただの漁師の小僧である自分に対して。
太一は熱い涙がこみ上げてくるのを、止められなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
実際に朝鮮通信使と日本の学者や文人たちが、「筆談」で漢詩を通して交流したという記録が多く残されています。
漢字という共通の文化が、国境を超えたコミュニケーションを可能にしたのです。
さて、涯忘れ得ぬ言葉をもらった太一。
しかし出会いには、必ず別れが訪れます。
次回、「一夜の饗宴」。
物語の続きが気になったら、ぜひブックマークをお願いします!




