蛸が引いた石 第5話:ある夜の蛸
作者のかつをです。
第一章の第5話です。
物語のクライマックス。
ついに、三原城築城の、最大の伝説である「蛸」が登場します。
絶望の淵に現れた、不思議な光景。
それが、人々の心を、どう動かしていくのか。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
嵐の後、工事は、完全に中断した。
人夫たちのほとんどは、故郷へと帰ってしまった。
残った者たちも、ただ、ぼんやりと、荒れ果てた浜辺を眺めるだけの日々。
現場には、重い諦めの空気が漂っていた。
源蔵もまた、故郷に帰ることを考えていた。
もう、自分にできることは、何もない。
その夜のことだった。
眠れずに、一人、浜辺を彷徨っていた源蔵は、信じられない光景を目にする。
月明かりに照らされた、波打ち際。
そこに、見たこともないほど、巨大な蛸がいた。
その体は、まるで小さな岩のよう。
ぬらりとした巨体から伸びる八本の足が、海の中で、蠢いている。
(化け物か……!)
源蔵は、恐怖に身を固くした。
だが、次の瞬間、彼は、我が目を疑った。
その巨大な蛸は、嵐で流され、海底に埋もれていた人頭大の石を、その太い足で、巧みに掴み上げると、ゆっくりと、沖へと運んでいくではないか。
そして、かつて縄張りがあった辺りで、その石を、そっと、置いた。
まるで、熟練の石工が、根石を据えるように。
一つ、また一つと。
それは、神の使いか、海の化身か。
源蔵には、わからなかった。
ただ、その光景は、あまりにも幻想的で、神々しくさえあった。
嵐で全てを壊したのは、海の神の怒りではなかったのか。
では、なぜ、今、海の化け物が、城造りを手伝うような素振りを見せるのか。
夜が明ける頃、蛸の姿は、どこにもなかった。
後に残されたのは、沖に向かって、点々と置かれた、数個の石だけ。
源蔵は、その場に、立ち尽くしていた。
夢だったのかもしれない。
しかし、彼の心には、恐怖とは違う、確かな感情が芽生えていた。
(海は、俺たちを、拒んでいるわけじゃなかったのかもしれない……)
まだ、やれる。
いや、やらなければならない。
あの蛸が、教えてくれたのだ。
この海の、本当の底力と、その付き合い方を。
源蔵は、夜明けの浜辺を、親方たちの小屋へと、全力で駆けだした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「蛸が石を引いた」という伝説は、三原城築城にまつわる、最も有名な逸話です。
もちろん、史実ではありませんが、それほど、この工事が困難を極め、人々が神仏や奇跡にすがる思いだったことの表れなのでしょう。
さて、不思議な体験をした源蔵。
彼の言葉は、絶望した仲間たちに、届くのでしょうか。
次回、「石工たちの唄」。
奇跡は、人々の心を一つにします。
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