大名の行列と旅籠の看板娘 第3話:お伊勢参りの老人
作者のかつをです。
第七章の第3話をお届けします。
今回は大名行列という「ハレ」の出来事とは対照的な、名もなき庶民の旅の姿を描きました。
主人公・おゆうが彼らとの触れ合いを通して、人々の温かさや篤い信仰心に心を打たれるエピソードです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
あの夢のような大名行列が通り過ぎてから、数年の歳月が流れた。
おゆうは二十歳を過ぎ、もはやただの看板娘ではなく、母を助け旅籠の切り盛りを一手に担うようになっていた。
あの若侍・隼人のことは、今も時折思い出していた。
今頃、遠い江戸の空の下でどうしているだろうか。
もう自分のことなど忘れてしまっただろう。
そう思いながらも心のどこかで、いつかまた会えるかもしれないという淡い期待を捨てきれずにいた。
そんなある秋日の夕暮れ。
松屋に一組の年老いた夫婦が、宿を求めてやってきた。
身なりは質素でその顔には長い長い旅の疲れが深く刻み込まれている。
聞けば遥か西の長州の百姓で、生涯の夢であったお伊勢参りの道中なのだという。
「どうか一夜の宿を恵んでくだされ。見ての通り銭はこれっぽっちしかありませぬが……」
老人は申し訳なさそうに、しわくちゃの巾着袋を見せた。
父・源右衛門は一瞬渋い顔をしたが、おゆうは笑顔で言った。
「ようこそおいでくださいました。ささ、どうぞお上がりください。旅のお疲れでしょう」
その夜、おゆうは心を込めて老夫婦の世話をした。
粗末な麦飯と汁物だけの食事にも、二人は何度も何度も手を合わせ、「ありがたい、ありがたい」と涙を浮かべて食べた。
食後、おゆうが囲炉裏で繕い物をしていると、老婆が静かに隣に腰を下ろした。
「……娘さん。あんたは優しい子じゃな。わしらにもこんな娘がおったら、よかったんじゃが」
老婆はぽつりぽつりと自分たちの身の上話を語り始めた。
子供には恵まれず二人きりで小さな畑を耕し、寄り添うように生きてきたこと。
若い頃から二人でいつかお伊勢様へお参りに行こうと、少しずつ銭を貯めてきたこと。
そしてようやく夢が叶い、今こうして旅をしていること。
「……この旅が終わったら、わしらはもう思い残すことはない。じいさんと二人手を取り合って、土に還るだけじゃ」
そう語る老婆の顔は、どこまでも穏やかで幸せそうだった。
おゆうはその話を聞きながら、胸が熱くなるのを感じていた。
自分もいつかこんな風に誰かと寄り添い、穏やかな人生を送ることができるのだろうか。
ふと、あの隼人の涼やかな笑顔が脳裏をよぎった。
翌朝。
老夫婦は何度も何度も頭を下げて、松屋を旅立っていった。
その小さな後ろ姿を見送りながら、おゆうの心は不思議なほど温かい気持ちに満たされていた。
後片付けのため二人が泊まった部屋に入る。
すると粗末な枕の下に、小さな紙包みがそっと置かれているのが目に入った。
開けてみると中には二人のなけなしの銭の中からであろう数文の銅銭と、「娘様へ。旅の一夜の親切、心より感謝いたします。あなたの道中の無事を、お伊勢様にてお祈り申します」という拙い文字が書かれた紙切れが入っていた。
おゆうはその温かい心遣いに、思わず涙が溢れそうになるのを必死にこらえた。
この道の上には様々な人生がある。
その一つ一つに触れることができるこの仕事が、彼女はたまらなく好きだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
江戸時代「お伊勢参り」は庶民にとって一生に一度の夢の大旅行でした。
人々は何年もかけて旅費を貯め、「伊勢講」というグループを作って助け合いながら旅をしたのです。
そこには現代とはまた違う、旅の喜びと人々との温かい繋がりがありました。
さて、心温まる出会いの後。
次に松屋を訪れるのは、少し影のある人物です。
次回、「訳ありの浪人」。
物語の続きが気になったら、ぜひブックマークをお願いします!




