大名の行列と旅籠の看板娘 第2話:参勤交代の行列
作者のかつをです。
第七章の第2話をお届けします。
今回は物語のハイライトの一つ、「大名行列」の様子を描きました。
そして主人公・おゆうの運命の相手となる、若き武士との出会いの場面です。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
大名行列がやってくるその日。
夜明け前から街道沿いは、異様な静けさと緊張感に包まれていた。
道は掃き清められ、家々の戸は固く閉ざされている。
松屋の家族や奉公人たちも一番良いよそ行きの着物を身に着け、店の前に筵を敷き、その上でひたすら行列が通り過ぎるのを待っていた。
おゆうも母に髪を丁寧に結い上げてもらい、少し窮屈な晴れ着に袖を通した。
やがて遠くから、地を這うような声が聞こえてきた。
「下にー、下にー」
先払いの侍たちの声だ。
その声が近づくにつれて、おゆうの心臓も大きく高鳴り始めた。
「来たぞ! 頭を下げろ!」
父の鋭い声に、皆一斉に額が地面につくほど深く頭を垂れた。
顔を上げることは決して許されない。
不敬とみなされれば、その場で切り捨てられても文句は言えなかった。
砂を踏みしめる幾百もの足音。馬のいななき。そして武具が擦れ合う硬い音。
それらが一つの巨大な生き物のようになって、ゆっくりと目の前を通り過ぎていく。
おゆうは恐る恐る、ほんの少しだけ伏せた目の視線を上げた。
天を衝くような毛槍。きらびやかな長刀。ずらりと並んだ鉄砲隊。
そしてその中心に、豪華な金蒔絵の装飾が施された巨大な駕籠が静かに進んでいく。
あの中に、安芸の殿様がおられるのだ。
それはおゆうが想像していた以上に、圧倒的で近寄りがたい権威の象徴だった。
自分たち庶民とは住む世界の違う、雲の上の存在。
それを肌で感じさせられた。
行列が松屋の前でぴたりと止まった。
小休止のためだった。
本陣である松屋に殿様や重臣たちが休むことはない。
だが後方に控える下級武士や足軽たちが、ここで喉を潤していくのだ。
「お茶をお持ちしろ! 粗相のないようにな!」
母の甲高い声に、おゆうははっと我に返った。
そして震える手でお盆に茶碗を乗せ、武士たちが休む松原の方へと運んでいった。
武士たちは皆厳しい顔つきで、黙々と茶を飲んでいる。
おゆうは緊張で身体が縮こまるのを感じた。
その時、一人の若い武士がおゆうにふと声をかけた。
「……見事な松原だな」
見ると自分とさして歳の変わらない、まだあどけなさの残る顔つきの若侍だった。
他の武士たちとは違い、その物腰は柔らかい。
「は、はい。この辺りの自慢でございます」
おゆうがかろうじてそう答えると、若侍はにこりと笑った。
「……美味い茶だ。心が安らぐ。礼を言うぞ」
彼は名を隼人と名乗った。
江戸での勤めは初めてで、故郷に年の近い妹を残してきたのだと少しだけ寂しそうに語った。
やがて出発の合図がかかる。
隼人は立ち上がると、去り際に、おゆうにだけ分かるように小さく会釈をして行列の中へと戻っていった。
おゆうはその凛々しい後ろ姿が、松原の向こうへと消えていくまでただじっと見送っていた。
胸の奥にこれまで感じたことのない、甘く、そして少しだけ切ない感情が芽生えているのを彼女は感じていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
参勤交代の大名行列は江戸時代の人々にとって最大のエンターテイメントであり、また最も緊張するイベントでもありました。
その圧倒的な非日常感が、二人の出会いをよりドラマチックなものにしたのかもしれません。
さて、淡い恋心を抱いたおゆう。
しかし次に彼女が出会うのは、全く違う人生を歩んできた人々でした。
次回、「お伊勢参りの老人」。
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