大名の行列と旅籠の看板娘 第1話:旅籠の朝
作者のかつをです。
新しい構成案に基づき、本日より第七章「西国街道、涙の松原 ~大名の行列と旅籠の看板娘~」の連載を開始します。
舞台は平和な江戸時代の西国街道。
多くの人、物、情報が行き交ったこの道を見つめ続けた、一人の旅籠の娘の一代記です。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
広島県三原市の本郷町。
現在の国道二号線から一筋脇道へ入ると、まるで時が止まったかのような古い松並木が続く一角がある。
かつて京と西国を結ぶ大動脈「西国街道」の面影を、今に伝える場所だ。
江戸の世、この道は数えきれないほど多くの人々の喜びと悲しみ、そして人生そのものを運んでいた。
これは街道沿いの名もなき旅籠の娘が、その瞳に映し続けた時代の移り変わりと、行き交う人々のささやかな、しかし忘れがたい物語である。
◇
江戸時代も半ばを過ぎた宝暦の頃。
西国街道、本郷宿と三原城下の中ほどにある立場の茶屋兼旅籠「松屋」。
看板娘のおゆうは夜明けと共に、井戸端で冷たい水を浴びるように顔を洗い、きりりと鉢巻きを締めた。
彼女の一日は誰よりも早く始まる。
「おゆう! 釜の火はどうだ!」
「大丈夫だよ、父ちゃん! もう湯気が上がってる!」
店の主人である父・源右衛門の野太い声に、おゆうは威勢のいい声で応えながら土間の竈に薪をくべる。
松屋は大名が泊まるような本陣ではない。
馬を乗り換え、あるいは一服してまた次の宿場へと向かう旅人たちが、一休みするための小さな旅籠だ。
それでも朝の忙しさは戦場のようだった。
夜明けと共に出立する江戸へ向かう商人。
大坂からの報せを運ぶ飛脚。
四国八十八か所を目指す巡礼の老人。
様々な身分の様々な目的を持った人々が、この松屋で束の間の休息を取り、そしてまたそれぞれの道へと旅立っていく。
おゆうはそんな慌ただしい朝が好きだった。
旅人たちの顔には旅の疲れと共に、目的地への期待や故郷に残してきた家族への想いなど、様々な感情が浮かんでいる。
その一期一会の出会いが、毎日同じことの繰り返しに見える彼女の暮らしに彩りを与えてくれていた。
「娘さん、勘定を頼む。あんたの淹れてくれる茶は、いつ飲んでも精がつくわい」
馴染みの行商人の言葉に、おゆうはにっこりと笑みを返す。
「毎度ありがとうございます。お気をつけて」
そんなささやかな言葉のやり取り。
この道の上で自分が誰かの役に立っている。その実感が、彼女の何よりの喜びだった。
その日の昼下がり。
全ての客を送り出し一息ついていると、父が帳場から真剣な顔で声をかけてきた。
「おゆう、皆にも伝えろ。来月、安芸の殿様が江戸への参勤交代でこの道をお通りになる、とのお達しだ。我らも粗相のないよう準備をせねばならん」
その言葉に、店の空気がぴりりと引き締まった。
大名行列。
話には聞くが、おゆうはまだ一度も見たことがない。
雲の上の人が、すぐ目の前を通っていく。
いったいどんな光景なのだろう。
おゆうは店の前からどこまでも続く西国街道の松並木を眺めながら、まだ見ぬ豪華絢爛な行列の様子を胸を躍らせて想像していた。
その出会いが彼女の穏やかな心に、小さなさざ波を立てることになるとはまだ知らずに。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第七章、第一話いかがでしたでしょうか。
立場とは宿場と宿場の間に設けられた休憩施設のことです。
茶屋や小規模な旅籠があり、旅人たちの憩いの場となっていました。
今回はそんな旅籠の活気ある朝の風景と、物語の始まりを描きました。
さて、生まれて初めて大名行列を目にすることになる主人公・おゆう。
その非日常の体験の中で、彼女は一人の若き武士と出会います。
次回、「参勤交代の行列」。
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