入浜式塩田と浜子の唄 第8話:最後の塩
作者のかつをです。
第三章の第8話、物語のクライマックスです。
浜子として生涯を終えようとする父。
彼が最後に息子に伝えたかった想いとは何か。
釜屋を舞台にした父と子の最後の夜を、丁寧に描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
その冬、父・庄助はついに塩田に立つことができなくなった。
骨と皮ばかりに痩せ細り、咳き込む声はか細く聞いているのが辛いほどだった。
もう長くない。
家族も、そして庄助自身もそれを悟っていた。
ある月夜の晩。
庄助は床に伏したまま、かすれる声で清治を枕元に呼んだ。
「清治……。釜屋へ、行くぞ」
「父ちゃん、無理だ! 今の身体では……」
「いいから肩を貸せ。わしがこの浜の浜子だということを、忘れるわけにはいかんのだ」
父の瞳には死期を悟った人間の、最後の執念の光が宿っていた。
清治は何も言えず、父の痩せこけた身体を背負うと、雪がちらつく中釜屋へと向かった。
釜屋の中はいつもと変わらず、炎が赤々と燃え盛っていた。
清治が一人で昼間のうちに鹹水を作り、火を入れておいたのだ。
父を釜の前に座らせる。
庄助はしばらく懐かしむように、炎の揺らめきを見つめていた。
「清治。今日の塩はわしが焼く。お前は黙って見ておれ」
それは浜子・庄助の最後の仕事だった。
彼は最後の生命を燃やすかのように、釜と向き合った。
薪をくべるタイミング、差し水をする一瞬の見極め。その動きは病に蝕まれた身体とは思えぬほど、正確で無駄がなかった。
清治はただ息を呑んで、その姿を見守るしかなかった。
父は自分に何かを伝えようとしている。
それは言葉では決して教えることのできない、浜子としての魂の在り方そのものだった。
やがて釜の中の鹹水が、美しい真っ白な結晶へと姿を変え始めた。
いつにも増して大きく輝きのある、見事な一番塩だった。
「……できたな」
父は満足げにそう呟くと、糸が切れたように清治の腕の中に崩れ落ちた。
「父ちゃん!」
「清治……。時代のことはわしにはようわからん。この塩作りがいつまで続くのかもな。だがな、これだけは忘れんでくれ。わしらはただの塩を作ってるんじゃねえ。人の命を支えるもんを作ってるんだ。どんなに世の中が変わっても、人が塩なしでは生きていけねえことだけは変わらん。その誇りだけは……決して手放すな」
それが父の最後の言葉だった。
清治は腕の中で静かに息を引き取った父の亡骸を抱きしめながら、声を殺して泣いた。
釜の中では父が遺した最後の塩が、まるで彼の魂そのもののように白く気高く輝いていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
時代の変化の中で失われていく技術。
しかしその根底にある仕事への誇りや、人の暮らしを支えるという使命感は決して色褪せることはない。
父・庄助はそれを、自らの生き様を通して息子に伝えたのです。
さて、父の想いを受け継いだ清治。
彼と彼が愛した塩田は、その後どうなっていくのでしょうか。
いよいよ第三章、感動の最終話です。
次回、「唄だけが残った(終)」。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。




