入浜式塩田と浜子の唄 第6話:浜子の唄
作者のかつをです。
第三章の第6話をお届けします。
今回は過酷な労働の中から生まれた「浜子の唄」をテーマにしました。
それは単なる作業唄ではなく浜子たちの魂の叫びであり、互いの絆を確かめるための大切なコミュニケーションツールでもありました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
父・庄助の咳は日増しに酷くなっていった。
医者にかかる銭もなく、母が煎じた薬草を飲むだけでは気休めにしかならない。
それでも父は決して浜を休まなかった。だがその動きは明らかに以前のような力強さを失っていた。潮撒きで息を切らし、まんがを引く足取りは重い。清治は父の仕事を補うため、自分の身の丈に合わない重労働も歯を食いしばってこなすようになった。
朝は誰よりも早く起き、夜は父が釜屋で倒れぬよう片時もそばを離れない。
少年から大人へと移り変わる最も多感な時期。他の若者たちが恋や遊びに興じるのを横目に、清治の毎日はただひたすら潮と砂と炎に向き合うことだけで過ぎていった。
辛くない、と言えば嘘になる。
逃げ出したいと思った夜は、一度や二度ではなかった。
そんな心が折れそうになる時、清治の耳にどこからともなく唄が聞こえてくることがあった。
「沖のナー カモメにヨー 潮時問えばヨ」
「わしゃナー 立つ鳥 波に聞け ヨーイトナー」
他の浜で働く浜子たちの唄だった。
単調でどこか物悲しい旋律。それは過酷な労働の苦しみを紛らわすための、ただの作業唄のように聞こえた。
だが、ある日のこと。
鹹砂掻きの最中、あまりの辛さに清治がその場にへたり込んでしまった。
もう一歩も動けない。涙が汗と共に砂の上に落ちた。
その時、隣の浜で働いていた年老いた浜子が清治の姿に気づき、唄い始めた。
「三原ナー 塩浜ヨー 地獄の浜よ」
「朝はナー まんがに 夜は釜焚き ヨーイトナー」
その唄に向こうの浜の若者が、応える。
「地獄ナー 極楽ヨー 釜から生まれ」
「白いナー 一番 腕次第 ヨーイトナー」
それは苦しみを嘆くだけの唄ではなかった。
この仕事の過酷さを誰よりも知っている者同士が互いを励まし、その中に自分たちの仕事への誇りを織り込んでいる。
地獄のような苦しみの先にある極楽のような一番塩。それを生み出すのは自分たちの腕なのだ、と。
清治ははっと顔を上げた。
自分は一人ではなかった。この広大な塩田で、同じように歯を食いしばり戦っている仲間たちがいる。
力が湧いてきた。
清治は泥だらけの手で涙をぬぐうと、おぼつかない声で唄を返した。
「白いナー 一番 父の味ヨ」
「俺もナー いつかは 継いで立つ ヨーイトナー」
その日を境に清治は、仕事が辛い時自らこの唄を口ずさむようになった。
それは彼が、父の背負うものの重さと浜子として生きる覚悟を、本当の意味で受け入れた証の唄だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
物語中の浜子唄は各地に残る塩田労働歌を参考に創作したものですが、実際にこのような唄を掛け合うことで人々は苦しい仕事を乗り越えていきました。
唄は名もなき人々の、もう一つの歴史書なのかもしれません。
さて、浜子としての覚悟を決めた清治。
しかし彼の意志とは関係なく、世の中は大きく変わろうとしていました。
次回、「時代の波」。
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