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ひろしま郷土史譚《三原編》~潮風と祈りの物語~  作者: かつを
第2部:営みの物語 ~街道と塩田の賑わい~
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入浜式塩田と浜子の唄 第1話:夜明け前の塩田

作者のかつをです。

 

本日より第六章「白いダイヤは潮の味 ~入浜式塩田と浜子の唄~」の連載を開始します。

 

かつて三原の沿岸には広大な塩田がありました。

藩の財政を支え「白いダイヤ」とも呼ばれた塩。

その生産に人生を懸けた塩作り職人たちの、誇りと哀歓の物語です。

 

※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。

広島県三原市の沿岸部。

今では近代的な工場や住宅が立ち並び、かつての面影を見つけることは難しい。

しかしほんの百数十年ほど前まで、この海岸線には陽光を浴びて銀色に輝く広大な「塩田」が広がっていた。

 

藩の財政を支え人々の暮らしに欠かせない塩。それは「白いダイヤ」とも呼ばれた。

 

これは寄せては返す潮と容赦なく照りつける太陽の下、その白い結晶に人生の全てを懸けた、名もなき塩作り職人「浜子はまこ」たちの誇りと哀歓の物語である。

 

 

江戸、元禄の世。

 

まだ空には月と星が瞬き、ほとんどの者が深い眠りの中にいる刻限。

少年、清治せいじは冷たい潮風が吹き抜ける粗末な寝床から身を起こした。

身体の芯まで凍えるような寒さだ。眠い目をこすり、つくねんと囲炉裏の前に座り込むと、かじかんだ手に息を吹きかける。

 

「行くぞ、清治」

 

背後から低く静かな声がかかった。父の庄助しょうすけだ。

この辺り一帯で右に出る者はいないと言われる、腕利きの浜子だった。

父の言葉に清治は黙って頷くと、壁に立てかけてあった木製の道具を手に取り小さな戸口を抜けた。

 

外には、夜とも朝ともつかぬ青白い光に満たされた世界が広がっていた。

見渡す限りどこまでも続く平らな砂地。入浜いりはま式の塩田だ。

昼間は太陽を反射して目を焼くほどに輝くが、夜明け前の今はまるで巨大な水墨画のように静まり返っている。

聞こえるのは満ちてくる潮が、塩田の脇を流れる入川いりかわを遡るサラサラという微かな音だけ。

 

「まず、浜を整える。昨日のうちに、僅かでも風で乱れた場所はないか、よく見ろ」

 

父はそれだけ言うと、手にした「えぶり」と呼ばれる道具で寸分の狂いもなく砂の表面を均し始めた。

塩田の砂はただの砂ではない。長年海水を撒き天日に干し続けることで、塩分を吸着しやすくなった浜子にとっての宝そのものだ。その宝を最高の状態に保つこと。それが一日の仕事の始まりであり、最も重要な儀式でもあった。

 

清治も父の動きを真似て、見よう見まねでえぶりを動かす。

だが父のように滑らかにはいかない。力みすぎれば砂を掘り起こしてしまい、弱すぎれば表面が均一にならない。

 

「心で引け。腕で引くのではない」

 

父の言葉はいつも短い。だがその一言に、長年の経験から得た真実が込められているのを清治は知っていた。

 

やがて東の空が紫色に染まり始める。

長く過酷な一日が、また始まろうとしていた。

清治は目の前に広がる広大な塩田を見つめながら、これから続くであろう単調で厳しい労働を思い小さくため息をついた。

この仕事の意味もその先にある喜びも、まだ彼には分からなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

第三章、第一話いかがでしたでしょうか。

 

今回は物語の舞台となる「入浜式塩田」の、夜明け前の静謐な、しかし厳しい仕事の始まりを描きました。

主人公はまだ半人前の少年・清治です。

 

さて、偉大な父の背中を追いかける清治。

彼は父から塩作りの奥深さを学んでいきます。

 

次回、「父の背中」。

 

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