村上水軍と塩飽の船乗り 第5話:海の城の噂
作者のかつをです。
第四章の第5話をお届けします。
鶴姫を襲った海賊の正体。
その背後には戦国時代ならではの、複雑な政治的、軍事的な駆け引きが隠されていました。
そして第一章で描かれた、あの「海の城」の噂がこの物語にも影を落とし始めます。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
鶴姫を襲った謎の海賊。
その一件は、因島村上氏の砦の中を大きく揺るがした。
当主・吉充の怒りは凄まじかった。
自らの最も大切な娘が、生命の危険に晒されたのだ。
それも己の庭であるはずの、この海で。
「何者の仕業か! 突き止めよ!」
当主の怒号が響き渡る。
すぐさま手練れの者たちが、調査のために放たれた。
吉蔵も事情を聞かれるために、当主の前に呼び出された。
「吉蔵。この度の一件、まことに見事であった。お前の機転がなければ姫の命はなかったやもしれぬ。生涯この恩は忘れぬぞ」
当主は労いの言葉と共に、吉蔵に金子が入ったずしりと重い袋を与えた。
「そなたの故郷へ送ってやれ。家族もさぞ喜ぼう」
「……はっ。ありがたき幸せに存じまする」
吉蔵は平伏しながらも、心のどこか片隅で違和感を覚えていた。
あの海賊たちの動き。
それはただの烏合の衆ではなかった。
明らかに訓練された兵の動きだった。
そして何より、あの狭い水路の危険性をまるで知らないかのような無謀な追跡。
このあたりの海を知る者なら、決してしないはずの動きだった。
数日後。
調査から戻った者たちが、衝撃的な報告をもたらした。
「……襲撃犯はどうやら、伊予の河野の手のものである可能性が高い、と」
広間に緊張が走った。
河野氏は伊予国を支配する守護大名。
そして村上水軍の三家の一つ、来島村上氏が味方についている相手でもあった。
「来島が裏切ったと申すのか!」
「いや、それは早計かと。むしろ河野が我らと来島の仲を裂くために、仕組んだ罠とも考えられまする」
家臣たちの間で、激しい議論が交わされる。
吉蔵はその議論を遠巻きに聞きながら、別の噂を思い出していた。
最近、安芸国の本土で勢力を急速に拡大させている毛利という一族。
その毛利の一門である小早川という若き武将が、海の真ん中に前代未聞の巨大な城を築こうとしている、という噂だ。
もしそんな城が本当に完成すれば。
この瀬戸内の勢力図は、根底から覆るかもしれない。
大名たちはもはや村上水軍の力を借りる必要がなくなる。
いや、むしろ村上水軍の力を削ぐために動き出すだろう。
今回の一件も、その大きなうねりの一つなのではないか。
吉蔵は背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
自分と姫君が巻き込まれたのは、ただの海賊の襲撃ではない。
この瀬戸内海の覇権を巡る、巨大な戦の始まりそのものだったのかもしれない。
自分はただ姫様を守りたいだけだ。
だが時代の大きな嵐は、そんなささやかな願いさえも飲み込もうとしている。
吉蔵は与えられた金子の重みを握りしめながら、これから自分たちが進むであろう航海のあまりの荒々しさを予感していた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
村上水軍の三家(能島・来島・因島)は一枚岩ではなく、時にはそれぞれが別々大名に味方し、互いに争うこともありました。
戦国時代の瀬戸内海は、まさに混沌とした状況だったのです。
さて、時代の大きなうねりを肌で感じ始めた吉蔵。
彼のささやかな恋の行方も、その波に翻弄されていきます。
次回、「時代の変わり目」。
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