村上水軍と塩飽の船乗り 第4話:嵐の航海
作者のかつをです。
第四章の第4話をお届けします。
穏やかな日常は突如として破られます。
今回は吉蔵の船乗りとしての真価が問われる、海上での追跡劇を描きました。
彼の持つ技が、初めて戦の中で輝きます。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
その日、吉蔵はいつものように鶴姫を乗せ、穏やかな入り江を巡っていた。
空はどこまでも青く、波は絹のように滑らかだった。
鶴姫も最近は笑顔を見せることが多くなった。
吉蔵に故郷の塩飽の話や、船乗りの暮らしについて楽しそうに質問することもあった。
そのささやかで穏やかな時間が、吉蔵にとってはかけがえのない宝物だった。
しかし、その平穏は突然破られた。
岬の陰から数隻の不審な船団が、猛烈な速さでこちらに向かってくるのが見えた。
掲げられた旗印は見たこともないものだった。
だがその船の漕ぎ方、船足の速さは明らかにただの漁船のものではない。
「……海賊か!」
配下の一人が叫んだ。
この村上の縄張りで海賊行為を働くなど、自殺行為に等しい。
だが彼らは明らかに、鶴姫の乗るこの船を狙っていた。
「吉蔵! どうする!」
「落ち着け! 姫様をお守りするのが我らの役目だ!」
吉蔵は冷静に、しかし腹の底から声を張り上げた。
彼の頭は瞬時に計算を始めていた。
敵の数、船の速さ、そしてこのあたりの潮の流れ。
「このまままっすぐ沖へは出るな! あの烏帽子岩の狭い水路へ、船を向けろ!」
配下たちは一瞬ためらった。
あの水路は干潮時には渦を巻く、難所中の難所だ。
一歩間違えれば自分たちが座礁してしまう。
「俺を信じろ!」
吉蔵の気迫に満ちた声に、船乗りたちは覚悟を決めた。
船は大きく舵を切り、岩礁が牙のように突き出した狭い水路へと突っ込んでいく。
後ろからは敵船が鬨の声を上げながら、ぴったりと追ってくる。
「姫様! しっかりとお捕まりくだされ!」
船はまるで暴れ馬のように揺れた。
渦巻く潮に舵が取られそうになる。
だが吉蔵は全身全霊で艪を操った。
身体の全ての感覚を研ぎ澄まし、潮の僅かな流れを読み切る。
岩が船体をかすめる。
あとほんの数寸ずれていれば木っ端微塵だ。
鶴姫は船べりにしがみつきながらも、食い入るように吉蔵の背中を見つめていた。
それは彼女が今まで見たこともない、男の戦う背中だった。
そして船が最後の最も流れの速い渦を抜けた、その瞬間。
ガッシャーン!
後ろから凄まじい破壊音が響き渡った。
振り返ると、追ってきていた敵船の一隻が潮の流れを読み切れず、見事に岩に激突していた。
他の船も慌てて速度を落とし、水路から離れていく。
逃げ切ったのだ。
船の上には安堵のため息が漏れた。
吉蔵もその場にへなへなと座り込みそうになるのを、必死にこらえた。
「……見事だ、吉蔵」
震える声で鶴姫が呟いた。
その瞳は恐怖ではなく、深い尊敬の念に満ちていた。
吉蔵は初めて、自らの船を操る技がただの人を運ぶためのものではなく、人の命を、そして大切なものを守るための「力」なのだということを実感していた。
それは彼が塩飽の船乗りから、村上の海の武士へと真に生まれ変わった瞬間だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
芸予諸島の複雑な潮流は、村上水軍にとって天然の要害でした。
彼らはこの地形を知り尽くしていたからこそ、圧倒的な海戦での強さを誇ることができたのです。
吉蔵の機転を利かせた操船は、まさにその真骨頂と言えるでしょう。
さて、姫の危機を救った吉蔵。
しかしこの事件の裏には、大きな政治的な陰謀が隠されていました。
次回、「海の城の噂」。
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