村上水軍と塩飽の船乗り 第3話:海賊か、海の武士か
作者のかつをです。
第四章の第3話をお届けします。
今回は物語のヒロインである鶴姫が登場します。
二人の船の上の静かな交流を通して、村上水軍が抱えていたであろう「海賊」と「武士」という二つの顔の間での葛藤を描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
吉蔵の新しい仕事が始まった。
彼に与えられたのは白木で造られた美しい小早船。そして数人の手練れの船乗りたちが配下として付けられた。
彼の役目はただ一つ。
月に数度、当主の娘である鶴姫の求めに応じて彼女を船に乗せ、穏やかな島の入り江を半日ほど巡ることだった。
初めて鶴姫に会った時、吉蔵は息を呑んだ。
年は自分と同じ十六、七といったところか。
透き通るように肌が白く、大きな瞳はどこか遠くを見ているように物憂げだった。
噂に聞いていた通りその立ち姿は、潮風に吹かれればすぐにでも倒れてしまいそうなほど儚げに見えた。
「……そなたが、吉蔵か」
か細い鈴の鳴るような声だった。
「はっ。塩飽の吉蔵にございます。本日より姫様の船を引かせていただきまする」
「うむ。……よろしく、頼む」
それだけの会話だった。
鶴姫はそれ以上何も話そうとはしなかった。
ただ船の舳先に静かに座り、流れていく島の景色をぼんやりと眺めているだけ。
吉蔵はこれまで培ってきた全ての技術を、この船の操船に注ぎ込んだ。
波のうねりを読み潮の流れを先読みし、船が揺りかごのように滑らかに進むよう細心の注意を払う。
彼の神業のような船捌きに、配下の船乗りたちも皆舌を巻いた。
そんな日々が数ヶ月続いた。
鶴姫は相変わらず無口なままだった。
だが吉蔵は気づいていた。
船が港に戻る時、彼女の頬がほんのりと血色を取り戻し、その瞳にかすかな生命の光が宿るのを。
ある日、船がいつもの入り江に差し掛かった時。
鶴姫が初めて吉蔵に話しかけてきた。
「吉蔵。そなたはなぜ、船乗りになったのだ」
「……生まれたのが船乗りの家だったからにございます。物心ついた時には、もう艪を握っておりました」
「では、戦は好かぬか」
不意の問いに、吉蔵は言葉に詰まった。
「……わかりませぬ。ですがわしは人を殺めるための技は持ち合わせておりませぬ。わしにできるのは、ただ船を誰よりも速く、そして滑らかに動かすことだけでございます」
それを聞くと、鶴姫はふっと寂しそうに微笑んだ。
「……そうか。だがな吉蔵、この村上の家では船を動かすこともまた戦なのだ。父は海賊ではないと申す。我らはこの海の秩序を守る武士なのだ、と。だが世間の者たちは我らを、ただの欲深な海賊と蔑む。……そなたは、どう思う」
それは彼女の心の奥底からの問いかけだった。
吉蔵は必死に言葉を探した。
「姫様。わしには難しいことは分かりませぬ。ですがこの海のこの島々の美しさを、誰よりも深く愛しておられるのは姫様、あなた様にございます。そしてその海を命を懸けて守っておられるのが、殿様や村上の皆様方だと存じまする。……それが武士でなくて、なんでございましょうか」
それを聞いた鶴姫の瞳が大きく見開かれた。
そしてその瞳からぽろりと、一筋の涙がこぼれ落ちた。
その日を境に、鶴姫は少しずつ吉蔵に心を開いていくようになった。
そして吉蔵もまた、この儚げな姫君と彼女が愛するこの海を守りたいと、強く思うようになっていた。
身分違いの淡い想いが、芽生え始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
村上水軍は自らを「海賊」と称することはなく、航路の安全を保障する「警固衆」としての側面を強く意識していました。
しかしその強大な武力は周辺の大名たちにとって脅威であり、また時には頼もしい味方でもありました。
その複雑な立場が、彼らの誇りと苦悩の源泉だったのかもしれません。
さて、少しずつ心を通わせていく吉蔵と鶴姫。
しかし穏やかな日々は長くは続きません。
戦国の荒波が、彼らの小さな船にも容赦なく襲いかかります。
次回、「嵐の航海」。
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