村上水軍と塩飽の船乗り 第1話:瀬戸の掟
作者のかつをです。
新しい構成案に基づき、本日より第四章「芸予の海を駆ける者 ~村上水軍と塩飽の船乗り~」の連載を開始します。
舞台は戦国時代の瀬戸内海。
日本最大の水軍として時に大名をさえ動かした「村上水軍」。
その巨大な組織の末端で、時代の波に翻弄されながらもたくましく生きた名もなき船乗りの視点から、海の民の知られざる世界を描きます。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
広島県三原市。
穏やかな波が打ち寄せるこの港町から、大小様々な島々が浮かぶ芸予諸島を望むことができる。
かつてこの複雑な潮流が渦巻く海は、日本最大の水軍、村上氏が支配する独立した「海の王国」だった。
彼らはある時は海の守り神として交易船を守り、ある時は恐るべき海賊として敵船を襲った。
これは戦国の世、その海の王国に生き、巨大な組織の末端で潮風と共に己の運命を切り拓こうとした、名もなき船乗りの物語である。
◇
室町時代の末期、天文の世。
芸予諸島、因島。
塩飽出身の若き船乗り、吉蔵は息を殺して、入り組んだ水路を進む小早船の舳先に立っていた。
目の前にはまるで海の迷路のように、無数の島々が連なっている。
潮の流れは場所によって激流のように速く、あるいはぴたりと止まったように穏やかだ。
この海を知らぬ者が不用意に入り込めば、たちまち岩礁に砕かれるか、潮に流されて二度と戻ってはこれないだろう。
「……見えたぞ」
船頭の低く鋭い声が飛んだ。
吉蔵が目を凝らすと、島影に隠れるように築かれた村上水軍の砦が見えた。
掲げられた旗印は「丸に上文字」。能島、来島と並び、村上水軍の三家の一つに数えられる因島村上氏の紋だ。
吉蔵の故郷、塩飽諸島も優れた船乗りを輩出する土地として知られていた。
だがこの芸予の海を支配する村上水軍の力は桁違いだった。
彼らはこの海の絶対的な支配者。
この海域を通る船は、大名であろうと大寺社であろうと、必ず村上氏の許しを得なければならない。
その許しの証として「過所旗」を買い、船に掲げるのだ。
旗を掲げぬ船は、問答無用で海賊行為の対象となる。
「塩飽の吉蔵! 親方の言いつけ通り、米百俵滞りなくお届けに上がりやした!」
砦の前に船を着けると、吉蔵は腹の底から声を張り上げた。
これは交易ではない。貢ぎ物、いや現代で言うところの「みかじめ料」のようなものだった。
自分たちの縄張りで自由に漁をさせてもらう代わりに、定期的に米や塩といった物資を村上氏に納める。それがこの海の絶対的な掟だった。
やがて砦から屈強な男たちが現れ、無言のまま米俵を運び出していく。
彼らの顔には、自分たちがこの海の支配者であるという揺るぎない自信と誇りが満ちあふれていた。
荷を降ろし終えた吉蔵に、砦の番頭格の男が無愛想に声をかけた。
「塩飽の小僧。お前、なかなか腕が立つそうじゃな。うちの親方がお前に話がある、とよ」
吉蔵の心臓がどきりと大きく鳴った。
村上水軍の当主が、自分に?
それは吉蔵のような末端の船乗りにとっては、天の上の人が声をかけるのに等しいことだった。
良い話か悪い話か、見当もつかない。
だがこの海の掟として、断るという選択肢はありえなかった。
吉蔵はごくりと唾を飲み込み、男の後に黙って従った。
この日この時が、彼のただの船乗りとしての人生を大きく変えることになる、運命の分岐点だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第四章、第一話いかがでしたでしょうか。
村上水軍は通行料を徴収し航路の安全を保障するという、現代の海上保安庁と保険会社を合わせたような役割を瀬戸内海で担っていました。
彼らの許しなくして、この海を航行することは不可能だったのです。
今回はその絶対的な支配の様子を描きました。
さて、謎の呼び出しを受けた主人公・吉蔵。
一体彼は何を命じられるのでしょうか。
次回、「水軍の誘い」。
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