沼田荘の土、高山城の風 第3話:海の誘い
作者のかつをです。
第三章の第3話、お楽しみいただけましたでしょうか。
時代は鎌倉から南北朝、そして室町へと移り変わります。
戦のやり方の変化と共に、武士たちの価値観も大きく変わっていきました。
今回は小早川一族が、「山」から「海」へと目を向けるきっかけを描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
元寇という未曽有の国難は、やがて「神風」によって退けられた。
又四郎も初老と呼ばれる年頃になり、家督を息子に譲って穏やかな隠居生活を送っていた。
しかし、平和な時代は長くは続かなかった。
鎌倉の幕府が力を失い、京の都では帝が南と北に分かれて争う、新しい戦乱の世が始まったのだ。南北朝の動乱である。
この安芸国でも、南朝方につく武士、北朝方につく武士が入り乱れ、昨日までの味方が今日の敵となる先の見えない戦が何十年と続いた。
沼田小早川氏も、この動乱の渦に否応なく巻き込まれていった。
「又四郎殿。ちと、お知恵を拝借したい」
ある日、若き当主が隠居した又四郎の庵を自ら訪れた。
その顔には深い苦悩の色が浮かんでいる。
「殿。いかがなされました」
「……わしは迷っておるのだ。このまま山の城に籠り、この荘園を守るだけで本当に良いのか、と」
当主は静かに語り始めた。
戦のやり方が変わりつつあった。
これまでのように一騎打ちで雌雄を決する時代は終わり、兵の数を揃え、いかに効率よく兵糧や物資を運ぶかという兵站の戦が勝敗を分けるようになりつつあった。
そして、その鍵を握るのが「海」だった。
瀬戸内の海を制する者が西国を制する。
海運の力を持つ者が、富と力を手に入れることができる。
「海の者たちが、わしに手を組まぬかと誘いをかけてきておる。彼らの力を得れば我ら小早川も、安芸国で今以上の力を得ることができるやもしれぬ。しかし……」
当主は言葉を濁した。
「しかし、それはこの沼田の土を捨てることを意味する、と」
又四郎が静かにその言葉を継いだ。
海へ出る。
それはこの沼田の地で何百年と土と共に生きてきた、小早川一族の大きな大きな転換点を意味していた。
先祖代々の土地を捨て、未知の海へと活路を見出す。
それは一種の博打でもあった。
「わしは怖いのやもしれぬ。この豊かな土地を失うのが。だが、このままでは時代の流れに取り残されるだけではないのか」
又四郎は若き当主の苦悩を黙って聞いていた。
自分も若い頃、あの高山の頂でこの土地を永遠に守り抜くと誓ったはずだった。
だが時代は確かに変わりつつある。
一つの場所に留まり続けることが、果たして本当に「守る」ことになるのだろうか。
「殿。風は山の上だけでなく、海からも吹いておりまする」
又四郎はただそれだけを静かに告げた。
その言葉が何を意味するのか。
判断するのは若き当主の役目だった。
又四郎は庵の窓から、遠くにきらりと光る瀬戸内の海をじっと見つめていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
中世において瀬戸内海の制海権は、西日本の覇権を握るための最も重要な要素でした。
沼田小早川氏も、この地の利を活かすことでやがて大きく飛躍していくことになります。
さて、海の力に未来を見出した若き当主。
彼は一族の運命を懸けた、大きな決断を下します。
次回、「一族の決断」。
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