御調八幡宮、石の仏様が見た千年 第6話:幸運とは(終)
作者のかつをです。
最終話です。
長い長い物語にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
最後は、物言わぬ石の視点から、人間の「幸せ」について考えてみました。
これまで描いてきた20章全ての物語が、この石の記憶の中に溶け込み、そして現代のあなたへと繋がっていく。
そんなイメージで筆を置きたいと思います。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
平成が終わり、令和の世となった。
三原の町は、新幹線が止まり、空港ができ、大きく様変わりした。
だが、御調八幡宮の境内だけは、千年前と変わらぬ静寂に包まれている。
我輩は、今もここにいる。
「幸運仏」として、多くの人々に撫でられ、少し形が丸くなり、黒光りしながら。
最近の参拝者たちの願いは、昔とは少し違う。
「宝くじが当たりますように」
「推しのライブに行けますように」
「ダイエットが成功しますように」
そんな、思わず吹き出してしまいそうな、平和な願いが増えた。
結構なことだ。
命の危険に怯える祈りより、こんな呑気な願いのほうが、よほど幸せな証拠だ。
ある秋の日。
一組の若いカップルがやってきた。
二人は、我輩たち夫婦岩の前に立ち、手を合わせた。
「……ずっと、一緒にいられますように」
シンプルな、しかし、いつの時代も変わらぬ、愛の願い。
その時、我輩はふと思った。
「幸運」とは、一体なんだろうか。
大金持ちになることか。
出世することか。
奇跡が起きることか。
いや、違う。
千年の間、人間たちを見てきて、ようやく分かったことがある。
本当の幸運とは、特別な何かが起きることではない。
あの大工の健太とお花のように、未来を信じて語り合えること。
あの塩田の親子のよう、誇りを受け継ぐこと。
あの闇市のお富さんのように、誰かと温かい汁を分かち合えること。
そして、こうして大切な人と手を合わせ、明日も一緒にいたいと願えること。
そんな、「当たり前の日常」が続くことこそが、最大の奇跡であり、幸運なのだ。
我輩は、ただの石だ。
願いを叶える魔法の力など、本当は持っていないのかもしれない。
だが、人々が我輩に触れ、自分の心と向き合い、「幸せになりたい」と願う、その瞬間の心の輝き。
それこそが、彼ら自身を幸せにする力なのだ。
我輩は、その手助けをしているに過ぎない。
カップルが去った後、一陣の風が吹いた。
紅葉が舞い、我輩の頭の上に一枚、ハラリと乗った。
遠くから、子供たちの笑い声が聞こえる。
新幹線の走る音が、微かに響く。
三原という、この愛おしい土地。
海があり、山があり、そして、懸命に生きる人々がいる。
我輩は、これからもここにいよう。
あと千年、いや、一万年でも。
人々の掌の温もりを感じながら、この土地の物語を、静かに、ずっと、見守り続けていこう。
それが、石に生まれた我輩の、最高の「幸せ」なのだから。
(第二十章:幸運仏のささやき ~御調八幡宮、石の仏様が見た千年~ 了)
(完)
『三原郷土史譚~潮風と祈りの物語~』全20章、これにて完結です!
三原という一つの土地を舞台に、古代から現代まで、様々な名もなき人々の人生を描いてきました。
普段何気なく見ている景色の中に、先人たちの想いや歴史が隠されていることを、少しでも感じていただけたら、作者としてこれ以上の喜びはありません。
歴史は、教科書の中だけにあるのではありません。
私たちの足元に、そして、私たち自身の中に流れているのです。
この物語が、あなたの「郷土」を愛するきっかけになれば幸いです。
最後まで応援してくださった読者の皆様、本当に、本当にありがとうございました!
もしよろしければ、評価(☆☆☆☆☆)や感想をいただけると、次なる創作の励みになります。
それでは、またどこかの物語の空の下で。




